第7話 二つの庭
宮廷祭の朝、空は快晴だった。庭を見るには、これ以上ない天気。
品評会場は王宮の中庭広場に設えられていた。各家の庭園を小区画で再現し、観衆が歩きながら鑑賞する形式だ。入場口には花の紋章を掲げた門が立てられ、楽師が穏やかな弦の音を奏でている。
私の区画は広場の東端にあった。「嘘のない土壌」で育てた花々の庭。ノエル殿が三年間かけて管理していた実験区画の土壌を分けてもらった清浄な土だ。嘘の根がない土で育てた花は、色が深い。根に栄養を奪われていないから、花弁の一枚一枚にまで生命力が行き渡っている。
花の数は少ない。他の貴族の区画に比べれば驚くほど少ない。でも一輪一輪の色の深さと花弁の厚みが違う。
品評会の準備中、ノエル殿が苗木を一つ持ってきた。
「これを」
「何ですか」
「真実の種から育てた花です。嘘の花ではなく、この世界に自生する本来の花の種。清浄な土壌でなければ育ちません」
白い小さな花。花弁が透き通るように薄い。光を通すと虹色に輝く。
まじまじと見た。嘘の花とは全く違う。嘘の花は色が鮮やかだが、どこか作り物めいている。真実の種の花は、色は淡いが、生きている光がある。
「庭の中央に植えてください。この花がある庭は、嘘が一つもない証明になります」
苗木を受け取った。指先が触れた。彼の手は冷たかった。いや、私の手が熱かったのだ。朝から準備で動き回っていたから。それだけだ。
苗木を庭の中央に植えた。白い花が、朝日の中で静かに揺れている。
「……綺麗ですね」
侍女のエマが手伝いに来てくれていた。花農家の出身だけあって、花の質の違いがわかる。
「嘘がないと、こんなにも違うんですね」
「そうなの。嘘の根は栄養を奪うから。清浄な土壌では、花本来の力が出る」
エマが真実の花に顔を近づけた。「匂いがする。甘い匂い。嘘の花には匂いがないのに」
本当だった。鼻を近づけると、微かに甘い香りがする。嘘の花は色だけで匂いがない。真実の花には匂いがある。小さな発見だった。庭師としてのノートに書き留めた。「清浄土壌で育てた真実の種の花には、微かな甘い芳香あり。嘘の花との顕著な差異」。
本当だった。鼻を近づけると、微かに甘い香りがする。嘘の花は色だけで匂いがない。真実の種の花には、匂いがある。小さな発見だった。
◇
昼前から観衆が集まり始めた。
注目を浴びていたのは、やはりファーシュタット家の区画だった。満開だった。薔薇、百合、ダリア、蘭。ありとあらゆる花が咲き誇っている。観衆から歓声が上がった。「さすが公爵家」「今年も一番ではないか」。
ヴァレリオ殿が自信に満ちた表情で微笑んでいる。
彼の足元に花は見えない。この場で嘘をついていないのだろう。自分の庭を「美しい」と信じている。信じていることは嘘にならない。だが、その庭を美しくしているのが嘘の花だということに、彼は本当に気づいていないのだろうか。それとも、気づかないふりをしているのか。
学術院の審査保留になっているはずだが、社交の場では何食わぬ顔だ。
観衆が広場を一周して、私の区画に辿り着いた時。
「あら。花が少ないわね。でも、色が違う」
「なんだか、透き通っているみたい」
私の庭の花は少ない。ファーシュタット家の十分の一もない。でも、一輪一輪の存在感が違った。
中央の真実の花。白く透き通る花弁が陽光を受けて虹色に光る様に、観衆が足を止めた。
「あの白い花は何?」
「真実の種の花だそうよ。嘘のない土でしか育たないんですって」
「嘘のない土? そんなものがあるの?」
侍女のエマが私の隣で、ほっとした顔をしていた。花農家の出身の彼女には、花の質の差がわかる。「勝ちましたね」と小さな声で言った。勝ち負けの話ではないのだけれど、嬉しかった。
子どもが一人、真実の花の前にしゃがみこんでいた。「おかあさま、この花きれい」。母親が「ええ、嘘のない花は綺麗なのよ」と答えた。庭師として、これ以上の褒め言葉はない。
そして、誰かが振り返った。ファーシュタット家の区画を。
「……あちらのお庭、花がとても多いですわね」
その一言が、空気を変えた。
花が多い。この世界で、それが何を意味するのか。観衆は知っている。普段は誰も口にしない。貴族の庭に花があるのは当然のことで、指摘するのは野暮だとされている。
だが、隣に「嘘のない庭」が並んだ瞬間、比較が始まる。
庭師長のマーサさんが、品評会の解説として壇上に立った。
「花が多い庭は美しく見えますが、嘘の根は栄養を奪います。管理官のヴェルデ嬢が育てた清浄土壌の庭は、庭師として理想的な環境の一例です」
専門家の解説。悪意はない。事実の報告だ。だが、その事実がヴァレリオ殿の庭を静かに告発していた。
何を言えばいいのだろう。「あれは嘘の花ではない」と言えば足元に花が咲く。黙るしかない。自分の庭が、自分を告発する。それが、この世界のざまぁだ。
私は何もしていない。ただ隣に、嘘のない庭を並べただけだ。隣に真実を置くだけで、嘘は自壊する。証拠を突きつける必要すらない。庭が全部やってくれる。庭が全部やってくれる。
品評会が終わる頃には、観衆の多くが私の区画の前に留まっていた。真実の花を見つめる人、清浄な土に触れてみたいと申し出る人。庭師のエマが丁寧に対応してくれていた。
観衆の囁きが大きくなった。「あの公爵家のお庭、嘘の花がずいぶん」「まさか、あれだけの量は」「管理官の庭と比べると、違いが歴然ですわ」。
ヴァレリオ殿の翡翠の瞳が、私の区画を睨んでいた。でも私は視線を返さなかった。返す必要がなかった。
私は何もしていない。ただ隣に、嘘のない庭を並べただけだ。
ノエル殿が少し離れた場所で、壁に背を預けて立っていた。目が合うと、小さく頷いた。「よくやった」と言われた気がした。
(この人の言葉の少なさにも、だんだん慣れてきたな)
◇
品評会が終わった夕暮れ。王宮の使者が駆けてきた。
「管理官殿。国王陛下がお呼びです。『余の庭を、見てくれるか』とのことです」
振り返った。ノエル殿が、少し離れた場所で壁に背を預けて立っていた。目が合った。彼は小さく頷いた。
あの花壇の秘密に、もう一歩近づく時が来た。
夕日が品評会場を赤く染めていた。真実の庭の白い花だけが、赤い光の中で青白く光っていた。嘘のない花は、夕日にも染まらない。




