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嘘をつくと花が咲く世界で、婚約者の庭だけが満開なんですが  作者: 秋月 もみじ


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第6話 学術院の審判


 学術院の聴取室は、窓がない。


 石造りの壁に囲まれた四角い部屋。長机が一つ。向かい側に審査官が三人。右手にヴァレリオ殿。左手に私。そして私の隣に、ノエル殿が座っている。


「引き継ぎ顧問として同席する権限があります」


 入室時にそう告げたノエル殿に、審査官は異議を唱えなかった。ヴァレリオ殿が、一瞬だけノエル殿を見た。「なぜお前がここにいる」という目。ノエル殿は視線を返さなかった。壁のように静かで、揺るぎがない。


「では、聴取を始めます。まず、ファーシュタット殿」


 ヴァレリオ殿が立ち上がった。穏やかな表情。堂々とした所作。聴取室でさえ、彼は優雅だった。


「ローレル・ヴェルデ嬢は、婚約期間中に私の書斎で研究資料を閲覧していました。彼女が管理官就任後に提出した分析手法は、私の論文を基にしたものです」


 半分だけ本当の嘘。書斎で資料を閲覧していたのは事実。分析手法が彼の論文を基にしているのは嘘。因果が逆だ。足元を見た。花が半開き。審査官には判別できないだろう。


(半分だけ本当の嘘。これがあの人の武器だ。でも今日は、私の武器もある。根の記録と、三年前の巡回データ。そして、隣に座っているこの人)


「続いて、ヴェルデ嬢」


 立ち上がった。膝の裏に汗がにじんでいた。でも声は出る。


「私の技術書は三年前の春に執筆したものです。日付入りの原本をここに持参しています」


 技術書の原本を机に置いた。師匠のマーサさんが裏表紙に「合格」の印を押した日付が残っている。


「ファーシュタット殿の論文は二年前の秋に学術院に提出されています。時系列的に、私の技術書が先です。また、文体の照合結果をご確認ください」


 二冊を並べて開いた。七ページ、十二ページ、十五ページ。同じ表現。同じ図表。同じ論理構成。


「『根の密度が閾値を超えた場合』という表現は、私が独自に考案したものです。既存の庭師文献には存在しません」


 審査官の一人が眉を寄せた。ヴァレリオ殿の表情がわずかに強張った。しかし、すぐに微笑みを作り直す。


「偶然の一致ではないでしょうか。同じ分野の研究者が似た表現に辿り着くことは」


「三年前の巡回記録があります」


 ノエル殿が、初めて口を開いた。聴取室が静まった。


「私は三年前まで王宮庭園管理官を務めていました。その任期中、ファーシュタット邸の庭を巡回した際に、研究に関する嘘の根の反応を確認しています。『自分のものではないものを自分のものと偽った』嘘であることは、根の形状から推定していました」


 巡回記録の写しを机に置いた。三年前の日付。ノエル殿の手書きの記録。


「この記録は、ファーシュタット殿が論文を提出する一年前のものです」


 沈黙。


 ヴァレリオ殿の足元で、花が開いた。半開きではない。完全に開いている。「偶然の一致」が嘘だったことを、世界のルールが証明した。


「……ファーシュタット殿。足元の花についてご説明いただけますか」


 微笑みが消えた。翡翠の瞳が揺れている。あの完璧な微笑みが崩れていく。「庭師風情」と言い返す余裕すらない。


「先ほどの発言について、改めてご見解を」


 口を開くたびに、足元で花弁が揺れた。弁明すること自体が嘘を重ねる行為になっていた。彼は黙った。黙るしかなかった。



 聴取は二時間で終わった。「論文の独自性に重大な疑義あり。精査期間中、ファーシュタット殿の外交官補佐資格を審査保留とする」。


 聴取室を出た瞬間、全身から力が抜けそうになった。腿の裏の筋肉が震えている。


(危なかった。本当に危なかった)


 廊下に出た。春の風が石畳を撫でていた。


「ノエル殿」


「はい」


「三年前から知っていたんですね」


 ノエル殿が立ち止まった。


「……はい。あの男の庭に、あなたの研究の根が混じっていた。最初に気づいたのは三年前の俺です」


「なぜ黙っていたのですか」


「証拠が足りなかった。あなたが来るまで、俺には証拠を揃える力がなかった」


 その言葉の裏にどれだけの重さがあるのだろう。三年間、嘘の存在を知りながら、手を出せなかった。


「ありがとうございます。三年間、覚えていてくれて」


「……覚えていた、というより」


 言いかけて、口を閉じた。何かを飲み込んだ顔。


「いえ。宮廷祭の庭園品評会が二週間後です。準備を始めましょう」


 話題を変えた。不自然に。でも、追及しなかった。


 この人が飲み込んだ言葉は、いつか聞けるような気がした。根は土の中に残る。言葉にならなかった気持ちも、どこかに残るはずだ。


 執務室に戻ると、机の上に茶葉が補充されていた。柑橘系のハーブティー。先週空になっていたのに、いつの間に。


(ノエル殿が? いつ?)


 お茶を淹れた。


(この人は。言葉にしないくせに、こういうところで手を動かす。茶葉の種類を覚えていて、空になったタイミングを見計らって補充する。業務上の配慮、と言うのだろうけれど。業務で人の好みの茶葉を覚えるものだろうか)


 ほのかに甘い香りが、聴取室の緊張をほどいていった。


 カップを両手で包んだ。温かい。聴取室の、あの窓のない部屋の冷たさが、まだ指先に残っている。ヴァレリオ殿の足元で花が開いた瞬間、審査官たちの目が一斉に動いたのを覚えている。この世界では、嘘は隠せない。どれだけ巧妙に言葉を操っても、足元が裏切る。


 二週間後。品評会。今度は庭そのものが証人になる。


 カップを置いた。


 不思議だった。聴取の場では冷静でいられたのに、こうして一人でお茶を飲んでいると、手が震える。戦っている間は緊張が支えてくれるが、戦いが終わると体が正直になる。庭師の体も嘘をつかない。戦いが終わると体が正直になる。庭師の体も嘘をつかない。


 ノエル殿が聴取室で立ち上がった瞬間を思い出した。「三年前の巡回記録があります」。あの一言で空気が変わった。三年間黙っていた人が、初めて声を上げた。その重みを、審査官たちも感じたはずだ。


 あの人のために、この仕事を続けたい。あの人の三年間を無駄にしないために。


 カップの底に茶葉の模様が残っていた。


 底に茶葉の模様が残っていた。花の形に見えた。嘘の花ではない、ただの茶葉だ。でも、なんだかきれいだった。


 ノエル殿があの茶葉を選んだ理由を、いつか聞いてみたいと思った。業務上の配慮なのか、それとも。

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