第4話 根の告発
神殿の庭は、清らかであるべき場所だ。はずだった。
赴任して三週間。二度目の巡回で、私は神殿区画を訪れていた。ノエル殿が隣を歩いている。引き継ぎ顧問という肩書きが、だんだん形骸化している気がするが、本人は気にしていない様子だ。
「神殿の庭は特殊です。聖女候補の祈祷記録と連動していて、祈りの回数が多いほど浄化作用が強く、嘘の花が育ちにくい」
「つまり、神殿に花が多かったら問題、ということですね」
「はい」
神殿の門をくぐった。白い石畳の回廊を抜けると、祈祷の庭が広がっている。聖女候補たちが毎朝ここで祈りを捧げ、その浄化の力が土壌に染みこむ仕組みだ。
土に触れた。
根がある。浄化されているはずの場所に、明らかに嘘の根がある。しかも一種類ではない。同じ人物の根が、何重にも重なって蓄積されている。
嫌な汗が首筋を伝った。嫌な汗が首筋を伝った。指先を深く沈めると、根の密度がさらに上がる。ノエル殿が隣で地図を広げているのが視界の端に見える。彼も気づいているだろうか。この異常な根の密度に。
形を読んだ。
祈祷の回数。「百回祈りました」と報告した。でも実際は五十回。残り五十回分が嘘の根になっている。繰り返し。何ヶ月も。同じパターンの嘘が、規則正しく積み重なっている。
根の古さを指先で推し量った。最も古い根は約二年前。最も新しいものは先週。二年間にわたって祈祷回数を偽り続けている。聖女候補の試験は祈祷の総回数が基準の一つ。これは不正だ。
指を抜いた。胃の底に石が沈んだような重さがあった。聖女候補。真実の女神エテルナに仕える者が、祈りの回数を偽っている。神殿の浄化作用は祈りの回数に連動している。つまり、この不正は神殿の庭の浄化力を弱めている。実害がある。
根の主は、リリアーヌ・メルヴィス嬢。
あの「善意の忠告」を下さった聖女候補だ。清楚な微笑みの裏で二年間、祈りの回数を偽っていた。聖女候補としての評価を積み上げるために。努力が足りなかったのか、才能が足りなかったのか。どちらにせよ、不正は不正だ。
ノエル殿の地図を確認した。三年前の記録にも、この区画で微弱な根の反応が記されている。当時は密度が低く特定できなかったと書いてある。私の能力なら特定できる。三年間の蓄積が、証拠を十分な厚さにしてくれた。
◇
公式記録に残した。管理官の権限で、神殿の庭の根の分析結果を報告書に記載した。名前は伏せ、「聖女候補の一名に祈祷記録の不整合あり」とだけ書いた。
リリアーヌ嬢には、巡回の結果を伝えた。管理官として。
「リリアーヌ嬢。先日の巡回で、聖女候補の庭に根の蓄積を確認しました。記録に残しましたので、ご報告します」
「まあ。ご丁寧にありがとうございます。何かの間違いではないかしら」
「根は間違えません」
「……そう」
扇を閉じた。菫色の瞳が、一瞬だけ冷たく光った。
「管理官のお仕事は大変ですわね。あまりご無理をなさらないでくださいね」
また「善意の忠告」だ。足元に花が咲いた。今度は半開きではなく、しっかり開いている。純粋な嘘。先日の忠告では半開きだった。余裕があった。今回は全開。焦りは根に出る。
(あなたの善意は嘘で、あなたの忠告は脅しで、あなたの祈りは水増し。リリアーヌ嬢、あなたの庭はどれだけの花で埋まっているのかしら)
◇
帰り道だった。貴族棟の共有庭園を通り抜けようとした時、足元の土に異様な根を感じた。
屈んで、触れた。
「ローレル・ヴェルデは無能な庭師だ」。中傷。私に向けた嘘の根。複数人分。
耳の後ろが冷たくなった。頭ではわかっている。嘘だ。でも嘘を言葉にされると、根として残ると、胸の奥が鋭いもので突かれたように痛む。
(嘘だってわかってるのに。わかってるのに、なんでこんなに痛いの。嘘だよ。嘘なんだよ)
膝をついたまま動けなくなった時、隣で土を掘る音がした。
ノエル殿だった。
何も言わずに、中傷の根を一本ずつ掘り返している。丁寧に、記録帳に書き写しながら。
「……何をしているんですか」
「記録です。嘘は記録に残せば、嘘として処理されます」
掘り返した根を布に包んで、鞄にしまった。
「管理官への中傷は、公務妨害として報告書に記載できます。制度上の正当な手続きです」
制度の話をしている。正しい手続きの話をしている。でも、この人の手は泥だらけだ。私の代わりに膝をついて、土を掘っている。言葉が足りない代わりに、手を動かす人なんだ。
立ち上がった。膝に土がついていた。ノエル殿の膝にも。二人揃って泥だらけだ。
ふと気づいた。この人、巡回のたびにさりげなく私の隣にいる。引き継ぎは終わっているはずなのに、毎回のルートに合流してくる。
(引き継ぎ熱心な人だなあ)
そう思った。それ以上は、思わなかった。
◇
執務室に戻ると、机の上にノエル殿が持ってきた冊子が置いてあった。
ヴァレリオ・ファーシュタットの名前で学術院に提出された論文。「嘘の花の土壌蓄積理論」。付箋が貼ってある。三ページ目。
開いた。目が止まった。
この文体。この分析手法。この図表の書き方。
私の技術書だ。
二年前に書いた庭師見習い時代のノート。ヴァレリオ殿の書斎で読んでいたのを、「素晴らしい内容だね。君は本当に才能があるよ」と褒めてくれたあの日。あの言葉は嘘だったのだろうか。いや、あの時は花が咲かなかった。才能を認めていたのは本当だったのだ。認めた上で、盗んだ。
ノエル殿の付箋には、一言だけ書いてあった。
『三ページ目を、あなたの技術書と比べてください。 N』
舌の付け根が乾いた。喉が詰まった。
怒り。静かで、深くて、根のように太い怒り。
(盗んだ。私のノートを、私の言葉を、私の三年間を。才能を認めていた? 認めていたなら、なぜ奪う。認めたうえで、名前だけすり替えた。「素晴らしい内容だね」と。あの笑顔で。あの足元に薔薇を咲かせながら)
論文を机に叩きつけたかった。叩きつけなかった。代わりに、両手で丁寧に閉じた。証拠は大切に扱わなければならない。庭師は感情で根を折らない。
呼吸を整えた。吐いて、吸って。吐いて。手が止まるまで待った。
窓の外では、夕焼けが王宮の庭園を赤く染めていた。赤い光の中で、論文の文字がにじんで見えた。




