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嘘をつくと花が咲く世界で、婚約者の庭だけが満開なんですが  作者: 秋月 もみじ


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第10話 真実の花


 春が来た。


 王宮庭園管理官になって、三ヶ月が過ぎていた。


 朝の庭園を巡回するのが日課になった。ノエルさんと二人で歩く。彼は正式に「共同管理官」として再任された。国王の決定だ。「一人で抱えるには重すぎる仕事だ。二人で管理しなさい」と。


 あの花壇は今も花が咲かない。だが国王は時折ここに来て、腰を下ろして空を見上げるようになった。十年間閉じていた場所を、少しずつ開き始めている。


 ヴァレリオ殿は外交官補佐の資格を剥奪された。論文は撤回。公爵家の別邸で蟄居処分を受けている。彼の庭は花を摘んでも摘んでも新しい花が咲くらしい。過去の嘘の根が深すぎて、地上に出続けている。自分の嘘を自分の庭で見続けることに耐えられず、庭に出られなくなったという。


 自分の嘘が庭に咲き続ける。摘んでも摘んでも終わらない。それは地獄だろう。でもそれは、三年間私に嘘をつき続けた代償だ。同情はしない。同情する必要もない。


 恨んではいない。怒りはもう薄れた。でも許してもいない。許す必要がない。彼の庭は彼の問題であって、私の問題ではない。


 リリアーヌ嬢は聖女候補を辞退した。実家の領地で静かに暮らしているらしい。


 庭師ギルドへの入門希望者が増えたと、マーサさんが嬉しそうに話していた。「嘘のない庭」を見に来る貴族も増えた。「花が多い庭は恥ずかしい」という感覚が、社交界にじわりと広がっている。


 世界は少しだけ、正直になり始めていた。


 変わったのは庭だけではない。管理官の巡回報告を受けて、庭の「花の量」を減らそうとする貴族が出始めた。嘘を減らすとまではいかなくても、「花が多い庭は恥ずかしい」という感覚が芽生え始めている。


 父から手紙が来た。「根を信じろ」。いつもそれだけだ。でも、今回は追伸がついていた。「母さんの庭にも、一輪だけ花が咲いている。おまえが生まれた日についた嘘だ。『痛くなかったよ』と言った」


 泣いた。今度は泣いてよかった。



 その日の午後。真実の庭で、雑草を抜いていた。膝をつき、土に指を沈め、一本ずつ丁寧に。


 指先に、何かが触れた。


 根だ。だが嘘の根ではない。形が違う。歪んでいない。枯れていない。生きている。強く、まっすぐに、地中に伸びている。


(何これ。嘘の根じゃない。この庭には嘘がないはずなのに、根がある?)


 顔を上げた。


 庭の中央、ノエルさんが品評会の日に植えてくれた真実の花のそばに、見覚えのない花が一輪咲いていた。


 白くない。淡い青。透き通るような花弁。真実の種の花ではない。嘘の花でもない。見たことのない花だ。


 膝の裏に汗がにじんだ。嘘の花でも真実の花でもない花。文献にもない花。こんなものが存在するのか。世界のルールの外側に、まだ知らない何かがある。庭師として、一番興奮する瞬間だ。


(でも同時に怖い。この花が嘘でも真実でもないなら、私の能力で読めるのだろうか。読めなかったら。わからなかったら。わからないものが、この庭にある)


 根に触れた。読もうとした。


 根に触れた。読もうとした。


 流れ込んできたのは、感情だった。言葉ではなく、感情。温かくて、不器用で、ずっと押し殺されていた何か。嘘ではない。真実だ。真実の感情が強すぎて、世界が形にした花。


「ローレル嬢」


 振り返った。ノエルさんが立っていた。手に巡回報告書を持っている。いつもの顔。いつもの隈。いつもの無表情。


 でも、耳が赤い。


 耳が赤い。首の横も赤い。それが何を意味するか、嘘の根を読む力がなくてもわかった。


「……その花」


「咲いてましたね」


「……はい」


「これ、嘘の花じゃないですよね」


「違います」


「真実の種の花でもない」


「はい」


 巡回報告書をゆっくり脇に挟んだ。両手が空いた。でもその手の置き場所に困っている。


「俺にもわからないんです。こんな花は文献にもない。ただ、この庭の土に、俺は毎日触れています。巡回のたびに」


「もしかしたら、嘘でも真実の種でもない、別の何かが根を張ったのかもしれない」


 嘘は花になる。真実は花にならない。だが真実の感情が強すぎたら? 形にならずにはいられないほどの感情だったら。


「ノエルさん。この花」


「……たぶん」


「ローレル」


 呼び捨てにされた。初めて。「嬢」も「殿」もつかない、名前だけの呼びかけ。


 背中の真ん中を、電気が走った。指の先から足の裏まで、全部が痺れた。


「好きです」


 短い言葉。ノエルさんの精一杯。


 足元を見た。花は咲いていない。嘘の花は咲いていない。本心だ。この世界のルールが、証明している。


「花が、咲かない」


「はい。嘘ではないので」


 笑ってしまった。この人らしい告白だ。


(嘘じゃない。花が咲かないんだから、嘘じゃない。この世界で、これ以上確かなものがあるだろうか。契約書よりも、宣誓よりも、足元に花が咲かないということが、一番確かな愛の証明だ)


 嘘の花が咲かないことが、この世界で一番確かな愛の証明。


「私も」


 ノエルさんの手に、自分の手を重ねた。土で汚れた指先同士が触れた。庭師の手だ。二人とも。


「私も、花は咲きません」


 足元を確認した。花は咲いていない。嘘ではない。本当に。嘘ではない。本当に嘘ではない。


 ノエルさんの手が、おずおずと私の手を握り返した。不器用な握り方。力加減がわからないらしく、強すぎたり弱すぎたりしている。でも、温かかった。


 庭師の手だ。二人とも。土に触れてきた手。嘘の根を読んできた手。真実の花を育ててきた手。その手が今、互いを握っている。


 足元を確認した。花は咲いていない。嘘ではない。本当に。



 夕暮れの真実の庭で、二人で座っていた。あの青い花が、風に揺れている。


「この花に名前をつけましょう」


「俺は、そういうのは苦手です」


「じゃあ私がつけます」


 考えた。嘘の花でも真実の花でもない花。嘘をつけない人が、嘘のない庭に咲かせた花。


「『告白花』」


「……安直では」


「じゃあ何がいいの」


「……」


 いつもの沈黙。でも今日の沈黙は、温かかった。


「……『ローレルの花』」


「それこそ安直でしょう」


「名前をつけるのは苦手だと言った」


 笑った。二人で笑った。嘘の花が一輪も咲かない庭で。


 この世界で一番美しい庭は、嘘のない庭だった。そして一番美しい花は、真実の気持ちが咲かせた、たった一輪の花だった。

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