6話
灼けつくような熱風が峡谷を吹き抜ける。
ジャックスは歯ぎしりをしながら、眼前のドラゴンを睨みつけていた。
咆哮ひとつで地面が震える。
「……クソ。なんで、こんな簡単な依頼で手こずってんだ」
ジャックスの剣は硬くて黒い鱗に弾かれた。
硬い。いや、前も同じ鱗だったはずだ。
なのに、今日はやけに重い。
横でエレナの風魔法が炸裂する。だが、ドラゴンはわずかに体勢を崩しただけだった。
「ダメ……! 削りきれない!」
ユミルが叫ぶ。額には脂汗が滲み、呼吸も荒い。
「回復、追いつかない……! ジャックス、撤退を――」
「黙れ!!」
怒鳴り声と同時に、ジャックスは前に出た。
「俺が決める! ここで退いたら、終わりだろうが!」
――終わる? 何がだ。分かっている。
剣を握る手に、力を込める。だが、思うように体が動かない。
その時だった。
「……アルトが、いないからじゃない?」
ぽつりと、ユミルの声が漏れた。あまりにも小さく、だが確実に耳に届いた。ジャックスのこめかみが、ぴくりと跳ねる。
「……その名前を、出すな」
低く唸るような声。
「いなくなって清々したはずだろ? あいつは足手まといだった。白魔法しか使えない、逃げ回るだけの――」
「本当に、そう思ってる?」
エレナが、初めてジャックスをまっすぐ見た。その目には、失望があった。
「アルトがいた時、私たち、こんな追い詰められ方したことあった?」
言葉が、胸に突き刺さる。
「……は?」
「前に出るのはあなただった。でも、立て直してたのはアルトだった」
「無茶しても、必ず戻れた」
「それを『当たり前』だと思ってたの、あなただけよ」
一瞬、世界が静まり返った。
次の瞬間――ドラゴンの尻尾が、地を裂いた。
「ぐっ――!」
吹き飛ばされ、地面を転がる。口の中に、血の味が広がった。
「もう、無理……」
ユミルが、震える声で詠唱を始める。
「転移する。これ以上は死ぬだけ」
「待て! まだだ――」
ジャックスの声は、魔法陣の光にかき消された。
◆ ◆ ◆
洞窟の外。夜の焚き火を囲み、三人は沈黙していた。
火が爆ぜる音だけが響く。
「……私たち、ここで抜ける」
エレナが言った。
「は?」
ユミルも頷く。
「もう限界。あたしたち、もうあんたについていけない」
「理由は?」
ジャックスは笑った。笑おうとした。エレナの声は、冷たかった。
「自分が間違ってるって、認めないから」
その言葉で、すべてが終わった。二人は背を向け、闇の中へと消えていく。
残された焚き火の前で、ジャックスは拳を握りしめた。
「……くそが」
「まだだ、まだ俺は終わっちゃいねえ!」
「そうだ、あいつらなんかよりもっと強い奴を仲間にすればいいんだ」
夜空を見上げて、ある人物に思い当たる。
「……弓聖だ! 氷の弓聖・ティーエ」
「あいつと組めば、すべて取り戻せる」
◆ ◆ ◆
翌日。霧の谷――。
森の入口に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
音が消え、風が凍る。まるで森全体が生きているかのように、侵入者を拒んでいる。
「うっ……なんだ、この圧……?」
ジャックスは森全体が自分を殺そうとするような異様な空気を感じながらも、森の中を進んだ。
――ヒュン
森の奥で、一本の矢が風を裂いた。次の瞬間、ジャックスの頬をかすめて木の幹に突き刺さる。一本の矢で、木が真っ二つに裂けた。
「……誰だ!」
霧の向こうから、銀色の髪が現れる。氷のような瞳。無表情のまま、矢をつがえる女性。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「人間。お前の声が、この森を汚している」
声は低く、冷たく、それでいて絶対的な威圧を放っていた。彼女こそ、ジャックスが探していた『氷の弓聖』ティーエだった。
「え……本物……?」
ジャックスは今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「俺はジャックス。次期勇者パーティーのリーダーだ。あんたみたいな戦力が加われば、魔王も――」
「帰れ」
冷たく一言。それだけで、空気が凍る。
「……なに?」
「お前の漂う傲慢さは、勇者の器ではない」
ティーエの瞳が細められた瞬間、空気がひび割れたように感じた。ジャックスの喉が鳴る。だが、引くことができない。
「ふざけやがって! 誰に向かって――!」
「俺の実力を見せてやる!」
怒りに任せ、ジャックスは雷魔法を詠唱しようと、右手を天に掲げる。
その瞬間だった。
――ヒュン。
音よりも速く、一本の矢が飛来した。次の瞬間、ジャックスの右腕を貫く。
「ぐあああああっ!!」
魔法は暴発し、地面を爆ぜさせる。雷光が地面に落ち、焦げた匂いが漂った。
ジャックスが膝をつく。遠く、森の奥から、静かな声が響いた。
「二度とこの森に足を踏み入れるな。次は、心臓を射抜く」
霧の向こうに、ティーエの影が消えていく。その姿を見失っても、冷たい殺気だけが辺りに残っていた。
「……これが、『氷の弓聖』……」
ジャックスは腕を押さえながら、歯を食いしばった。その瞳には、恐怖と、どうしようもない劣等感が宿っていた。




