33話
魔族の気配をまとったその男を、僕は呆然と見つめた。
顔は知っている。声も知っている。幼い頃から隣にいた、幼馴染の顔だ。
でも、その体から漂う気配が——違う。
「その気配……ジャックス、お前まさか——」
ジャックスが、口元を歪めた。
「ふふふ。無能のお前でもわかるか」
その笑い方が、知っている顔とまるで違った。
「そうだ。俺は魔族になった」
ジャックスが自分の手を見下ろした。黒い力が、その手の甲に浮かび上がっている。まるで血管のように、黒いものが皮膚の下を流れていた。
「これが本当の力だ。お前には一生手に入らない力だ」
「……なんで魔族なんかになったんだ」
声が震えないように、必死に絞り出した。
「勇者として世界を救うって……いっていたじゃないか。覚えてるか、ジャックス。子供の頃のことを」
ジャックスは黙っていた。
一瞬だけ、その目が揺れた気がした。
でも、すぐに消えた。
「夢?」
ジャックスが鼻で笑った。
「笑わせるな」
「支援魔法しか使えない雑用係のくせに、聖戦士を連れて英雄面してんじゃねえ」
「――ジャックス」
「一人じゃなにもできないお前に、俺は倒せない」
ジャックスの目が、細くなった。
「それを証明してやる」
次の瞬間、空気が爆発した。
魔族の力を纏ったジャックスの拳が、僕に向かって迫る。咄嗟に白魔法を展開した。防御の壁。でも――
ガンと音がし、壁が、砕けた。
衝撃が全身に走り、体が吹き飛んだ。石畳に叩きつけられ、転がる。痛みで視界が白くなる。
なんとか立ち上がろうとしたが、そこにジャックスの蹴りが飛んできた。
「がっ……!」
また吹き飛ぶ。今度は壁に激突した。背中に鈍い痛みが走る。視界が揺れる。
それでも立とうとした。膝に力を入れて、地面を押す。
ジャックスがゆっくりと歩いてくる。
「お前一人じゃ、何もできないんだよ」
静かな声だった。
「昔も今も、変わらない」
その言葉が、胸の奥に刺さった。
膝を起こした瞬間――首に何かが巻きついた。
ジャックスの手が、僕の首を掴んでいた。
体が浮き、足が、地面から離れた。息ができない。
ジャックスの腕一本で、僕は宙吊りにされていた。手足をばたつかせる。でも、まるで子供が大人に抵抗するような、虚しい抵抗だった。
視界が、じわりと滲んでいく。
「……っ、は……」
ジャックスが、宙吊りの僕を見上げた。
「これが、お前の限界だ」
意識が、遠くなっていく——
◆ ◆ ◆
前線で魔物と戦闘中だったルナフレアは異変を感じた。
体から、白い温もりが消えた。
アルトの支援魔法だ。あの柔らかい白魔法の感触が、突然、ぷつりと途切れた。
「……魔力が消えた」
魔法を放ちかけた手を止める。
同じ頃、高台のティーエが矢を番えたまま動きを止めていた。
「アルトたんに……何かあった」
広場では、ローザが静かに剣を鞘に収めた。
「アルトちゃん……」
三人が、同時に動いた。
◆ ◆ ◆
最初に駆けつけたのは、ルナフレアだった。
煙の向こうに見えた光景に、彼女の足が一瞬止まった。
アルトが、宙吊りにされていた。
「アルトー!」
怒号とともに、ルナフレアが魔法を放った。炎の塊がジャックスに直撃し、爆発が起きた。その衝撃でジャックスの手が緩み、アルトが地面に落ちる。
ティーエとローザが駆け寄り、アルトを支えた。
「アルトたん! 大丈夫でしゅか!」
「……っ、はぁ……」
ようやく空気が肺に入る。膝をついたまま、咳き込んだ。
爆炎の中から、ジャックスが歩いて出てきた。
服は焦げている。でも、傷一つない。煙を手で払いながら、ゆっくりと三人を見渡した。
「……聖戦士か」
その目に、恐れはなかった。
三人の表情が、変わった。
ルナフレアさんの目が細くなる。ティーエさんが弓を引き絞る。ローザさんの手が剣の柄にかかる。
三人が、無言で顔を見合わせた。
「……全力でいくわよ」
ルナフレアさんが静かに言った。
両手に魔力が集まっていく。今まで見たことのない量の魔力が、指先に凝縮されていく。空気が、熱を帯び始めた。
ティーエさんが弓を引き絞った。矢先に魔力が集中していく。弦が軋む音がした。
ローザさんが静かに剣を抜いた。
ジャックスがそれを見ていた。
「……面白い」
それでも、動じなかった。
三人は持ちうるすべての力を込めた全力の一撃を同時に放った。
ルナフレアさんの超大魔法、ティーエさんの全力の一矢、ローザさんの渾身の斬撃。
三つの力が、同時にジャックスに叩きつけられた。
轟音が鳴り響き、土煙が王都中に広がった。
しばらくの間、誰も動かなかった。
土煙が、ゆっくりと晴れていく。
そこには――ジャックスが立っていた。
傷一つない。
服についた埃を、無造作に払っている。
「……終わったか?」
三人は言葉を失った。




