30話
王都の外れ、石畳が途切れる手前にある古びた宿だった。
ギルドの裏口に貼られていた紙には、この宿の名前と部屋番号だけが書かれていた。それ以外の説明は何もない。
ジャックスは宿の扉の前で一度立ち止まり、自分の右手を見た。
(……本当にいくのか)
怪しいのは分かっている。だが、足は止まらなかった。
扉をノックすると、すぐに開いた。
「……何の用だ」
出迎えたのは、長い黒髪の女だった。切れ長の目が、ジャックスを値踏みするように一瞥する。警戒心をあらわにした、冷たい視線だった。
「チラシを見た。加入したい」
「ふうん」
女はジャックスを頭のてっぺんから足先まで眺めた。品定めするような、無遠慮な目だった。
「……まあ、入って。シェラよ」
部屋の中には、あと二人いた。
壁際に腕を組んで立つ、熊のような体格の男。年は五十がらみ。顔に古い傷跡が走っている。目が合うと、無言で顎をしゃくった。
「ガルドだ。よろしく頼む」
低く、よく通る声だった。
もう一人は、部屋の隅の椅子に静かに座っていた。二十代くらいの、細身の青年。こちらはジャックスの方を見ようともしない。ただ、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「……あいつは?」
「レン。無口だけど、腕は確かよ」
シェラが肩をすくめる。レンはそれでも振り向かなかった。
ジャックスは三人を順番に眺めた。チラシに書かれていた肩書きが頭をよぎる。帝国最強の剣士。大陸指折りの魔法使い。そして素性不明の男。
(……本物か)
実力者特有の、空気の重さがあった。
「で、あなたが?」
シェラが腕を組んで聞いてきた。
「『蒼き翼竜』のリーダー、ジャックスだ」
「ふ~ん。『蒼き翼竜』ね~」
「口で言われても分からないわ。実力を見せてもらわないと、加入は認められない」
「……それで構わない」
ジャックスは静かに答えた。
「実力を見てもらえるなら、それでいい」
◆ ◆ ◆
翌日。王都近郊の森。
依頼の内容は、魔物の討伐だった。近隣の村を荒らしているオーガの群れを片付けてほしいという、ギルドに持ち込まれた正規の依頼だ。
ジャックスは最初、様子見のつもりだった。初めて組む相手の実力も分からない。焦らず、各自の動きを確認してから動けばいい。
だが、森に入った瞬間から、何かがおかしかった。
体が、軽い。
いつもより剣が速く振れる気がする。足の踏み込みが深い。視界が、妙にはっきりしている。
(……なんだ、これは)
考える間もなく、オーガの群れが飛び出してきた。
ジャックスは反射的に剣を抜いた。
一閃。
二閃。
自分でも信じられなかった。剣が吸い込まれるように急所を捉え、オーガが次々と倒れていく。体が動きを覚えているというより、体が動きを超えていく感覚だった。
「……!」
群れの最後の一体が、ジャックスの剣で地に伏した。
静寂。
ガルドが、低く唸った。
「……見たことのない剣筋だ」
無骨な男が、初めて表情を変えた。目を細め、ジャックスを真っ直ぐに見ている。
「俺は長年この稼業をやってきたが、あれほどの剣は見たことがない」
「……驚いた」
シェラが、初めて表情を崩した。値踏みするような目が、少し丸くなっている。
「正直、たいした実力じゃないと思ってたわ。チラシに集まってくる連中なんて、だいたいそんなもんだから」
シェラが続けた。
「でも、これは本物ね」
ジャックスは答えなかった。
胸の中で、何かが燃え上がっていた。
(……俺は、本物だった)
ずっと疑っていた。アルトに負けたのは、運が悪かっただけだと言い聞かせながら、どこかで自分の実力を疑っていた。
だが、違った。俺は本物だった。ただ、正しい場所にいなかっただけだ。
「なあ」
ガルドが、ジャックスに向かって言った。
「俺たちのリーダーになってくれないか」
「……は?」
「俺たちには実力がある。だが、前に出て引っ張る者がいない」
ガルドが静かに続けた。
「あんたの剣と判断力があれば、俺たちは本物のパーティーになれる」
「私もそう思うわ」
シェラが頷く。
「ガルドとレンの力を束ねられるリーダーが、ずっと必要だったの。あなたみたいな人を待っていたわ」
ジャックスはしばらく黙っていた。
部屋の隅で、レンが初めてこちらを向いた。何も言わない。ただ、静かに頷いた。
「……分かった」
ジャックスは剣を鞘に収めた。
「俺がリーダーをやる」
◆ ◆ ◆
依頼を終えて宿に戻ると、レンが無言でジャックスの前に立った。
手に、革袋を持っている。
無言のまま、差し出してきた。
「……なんだ」
受け取って中を開けると、金貨が詰まっていた。
ジャックスは眉をひそめた。今日の依頼の相場を、頭の中で計算する。どう考えても、多すぎる。
「なんでこんなに……」
レンは答えなかった。ただ、かすかに微笑んだ。その笑顔が、どこか空虚だった。
「それだけ私たちの仕事は価値があるってことよ」
シェラが後ろから声をかける。
「気にしない気にしない。腕のいい連中が集まれば、依頼人だって相応の対価を払うものでしょ」
ジャックスはもう一度、革袋の中を見た。
おかしい。
でも――今日の戦闘の高揚感が、まだ体の中に残っていた。あの剣筋。あの感覚。俺は本物だったという確信。
違和感が、高揚感の波に飲み込まれていった。
「……そうだな」
ジャックスは革袋を懐に収めた。
「次の依頼はいつだ」
「早速やる気ね、リーダー」
シェラが笑う。ガルドが無言で頷く。
レンは、窓の外を見ていた。その横顔に、感情はなかった。




