30話
昼下がりの宿の食堂は、ほとんど人がいなかった。
ルナフレアさんがエールを片手に古びた書物を広げ、ティーエさんが窓際で弓の手入れをしている。ローザさんはのんびりとお茶を飲んでいた。
僕はそんな三人を眺めながら、ずっと引っかかっていたことを口にした。
「……あの、聞いていいですか」
「なんだ?」
ルナフレアさんが書物から目を上げる。
「僕の白魔法って、結局……なんなんですか」
三人の動きが、ほんの少しだけ止まった。
「今更な質問ね」
ルナフレアさんが僕の目を見て言う。
「今更でも、ちゃんと知りたいんです。支援しかできない僕の魔法がで魔王を倒すことができるのか。そもそも……なんで封印されたはずの魔法が、僕が使えるのか」
ルナフレアさんがゆっくりと書物を閉じた。
「……座れ。少し長くなる」
僕は椅子を引き寄せた。ティーエさんも弓を置き、ローザさんもお茶のカップを静かにテーブルに戻した。
「白魔法は、光魔法の源流だ。この世界がまだ暗黒に包まれていた頃、神が世界を創る時に使った魔法。光魔法は、それを人間が模倣して生み出したものに過ぎない」
「……それは、以前も聞きました」
「ああ。だが続きがある」
ルナフレアさんが書物を再び開き、古い挿絵を指差した。鎖に縛られた白い光の絵だった。
「初代魔王は、白魔法の力を恐れた。自分では太刀打ちできないと悟って、死に際に自らの命と引き換えに白魔法を封印した。それ以来、誰も白魔法を使えなくなった」
「……命と引き換えに」
「そうだ。それだけ白魔法は脅威だったということだ。光魔法の源流――支流では届かなかった魔王に、源流なら届くかもしれない。それが、お前の白魔法が鍵になる理由だ」
僕は自分の手を見た。
「でも……僕は誰かを支援することしかできない。自分では何もできない」
「それの何が不満なんだ」
ルナフレアさんの声が、少し低くなった。
「古代竜との戦いを覚えているか」
ティーエさんが、静かに口を開いた。いつもの甘い赤ちゃん言葉ではない、真剣な口調だった。
「あの時、アルトたんが大地を通じて魔力を流し込んでくれなければ……私の矢は届かなかった。里は灰になっていた」
「……」
「あなたの支援は、私たちを『超えさせて』くれる」
ローザさんが、穏やかな声で続けた。
「普通の支援魔法とは違う。あなたの白魔法を受けると、自分でも信じられないほどの力が出る。それがどれだけのことか、わかってるの?」
「……でも」
言葉が、喉に詰まった。
「僕自身は、何もできない。皆さんがいなければ、僕は魔物一匹倒せない。ジャックスに言われていたこと……あながち間違ってなかったのかもしれない」
静寂が落ちた。
三人が、それぞれ何かを言おうとして――言葉を飲み込んだ。
ルナフレアさんが、ゆっくりとエールを一口飲んだ。
「……なあ、アルト。一つ聞いていいか」
「はい」
「お前の白魔法が封印されていたなら、なぜ今のお前に使えるのか。封印を解くには、初代魔王の命と同等の……対価が必要なはずだ」
部屋の空気が、変わった。
ティーエさんの手が、膝の上でかすかに握りしめられる。ローザさんがお茶のカップから目を落とした。
「……それは、どういう」
「分からん」
ルナフレアさんが、静かに言った。
「今はまだ、分からん」
でも――三人の表情が、一瞬だけ何かを知っているような顔をした。気のせいかもしれない。でも、確かに見えた。
誰も、何も言わなかった。
僕は自分の手を見つめた。この手から放たれる白魔法。命と引き換えの対価。
(……母さん)
胸の奥が、じわりと締め付けられた。
でも、確かめる言葉が出てこなかった。
◆ ◆ ◆
同じ頃。王都の冒険者ギルド。
ジャックスは掲示板の前に立っていた。
今日で三度目だ。パーティー募集の欄を端から端まで眺めるが、どこも似たり寄ったりだ。「経験者優遇」「Cランク以上」「明るく楽しくがモットー」どれも、かつて次期勇者パーティーと呼ばれた男が入るべき場所じゃない。
今朝、酒場で耳にした話が、頭から離れなかった。
「聖戦士三人を率いる勇者パーティーが結成されたって」
「『白翼の導き手』だろ? リーダーはあの白魔導師らしいぞ」
「勇者の息子か。なんでも白魔法が……」
アルトだ。あの雑用係が。後ろでコソコソ支援魔法を使っていただけの男が。
掲示板を見つめるジャックスの手が、かすかに震えていた。
(……俺が、あいつに負けた?)
認められなかった。認めてたまるか。
足早にギルドを出ようとした、その時だった。
裏口に続く薄暗い通路の壁に、一枚の紙が貼られているのが目に入った。
正規の掲示板ではない。ギルドの職員が管理しているものでもない。誰かが勝手に貼ったような、粗末な紙だった。
だが、そこに書かれた文字に、ジャックスの足が止まった。
「埋もれた英雄求む」
短い言葉の下に、メンバーの名前と肩書きが並んでいた。
ジャックスは目を細めた。
(……これは)
一人は、かつて帝国最強と謳われた剣士の名前だった。一人は、大陸で指折りの魔法使いとして名を馳せた人物だった。もう一人は――聞いたことのない名前だったが、その経歴は常人のものではなかった。
こんな連中が、なぜこんな場所に求人を出している。
怪しい。どう見ても怪しい。
だが――
(こんな達人たちを率いることができたなら)
アルトへの怒りと、消えかけていた野心が、胸の奥で同時に燃え上がった。
ジャックスの手が、その紙へと伸びていった。




