26話
今回の依頼は王都近郊の森に出没するオーク討伐だった。
森に入ってしばらく歩くと、魔物の気配を感じた。
「いるでしゅね」
ティーエさんの目が、すっと細くなる。さっきまでの甘えた様子が嘘のように、鋭い眼光。
次の瞬間――
茂みから、三体のオークが飛び出してきた。筋骨隆々で、棍棒を振りかぶっている。
ティーエさんが弓を構えた。いや、構えた、という表現は正しくない。気づいた時には、矢が放たれていた。
一射目。先頭のオークの眉間を貫く。
二射目。二体目の心臓を射抜く。
三射目。三体目の喉を貫通する。
全てが一瞬だった。三体のオークは、何が起きたか理解する間もなく、地面に崩れ落ちた。
「……終わりでしゅね」
ティーエさんは、何事もなかったかのように弓を下ろした。
僕は支援魔法の詠唱を始めようとして――そこで止まった。
もう、終わっていた。
詠唱する間もなかった。矢を番えてから放つまで、瞬きする間もなかった。それを三度。寸分の狂いもなく急所を射抜いた。
これが、弓聖。これが、聖戦士。
その時だった。
背後の茂みが、ざわりと揺れた。
「――っ!」
死角から、もう一体。大型のオークが、僕めがけて棍棒を振り上げていた。
反応できなかった。体が動かなかった。
――ヒュン。
音よりも速く、矢が飛んだ。
大型のオークの眉間を貫き、棍棒が宙を舞う。巨体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
僕の頬を、生ぬるい風がなでていった。
棍棒が落ちた場所は、僕の足元のすぐ横だった。
「怪我はないでしゅか?」
ティーエさんが、駆け寄ってくる。
「……は、はい」
声が、かすかに震えた。
ティーエさんは僕の体をざっと確認し、ほっとしたように息を吐いた。しかし、その動作に一瞬だけ、ぎこちなさがあった。
庇いながら射た。体勢が崩れた。それでも、外さなかった。
――僕がいなければ、もっと楽に倒せた。
その考えが、頭にこびりついて離れなかった。
「アルトたん?」
ティーエさんが、不思議そうな顔でこちらを見ている。
「……何でもないです」
無理に笑顔を作る。
僕は、ここにいていいのか。
母さんの息子だから、大事にしてくれてるだけじゃないのか。
足を引っ張っただけの僕が——この人たちと、一緒にいていいのか。
森を出て、王都への帰り道。
僕は、ずっと黙っていた。
「……アルトたん」
ティーエさんが、足を止めた。
「どうかしたでしゅか?」
「え? いえ、何でも……」
「嘘でしゅ」
ティーエさんが、真っ直ぐに僕を見た。
「さっきから、ずっと暗い顔してるでしゅ」
「……」
見抜かれていた。
「何か、悩んでいることがあるなら聞かせて」
ティーエさん語尾に“でしゅ”がなかった。
いつものような甘い声ではなく、真剣な響きの声だった。
「……僕は」
ぽつりと、言葉が漏れる。
「皆さんに見合う存在なのかなって、思って」
「母さんの息子だから、大事にしてくれてるだけなんじゃないかって」
言ってしまった。
ずっと心の奥で燻っていたこと。
「さっきも……僕は何もできませんでした。ティーエさんが庇ってくれなかったら、僕は死んでいたと思います…」
「僕は、ここにいていいのかなって」
ティーエさんは、黙って僕の話を聞いていた。
しばらくの沈黙の後――
「……私はね」
静かな声が響いた。
「長く生きてきた。人間よりも、ずっと長く」
「……」
「族長として、誰かの上に立ち続けてきた。判断して、責任を負って。それがずっと、当たり前だった」
風が、木々の葉を揺らす。
「私は誰にも弱さを見せない。見せられない。族長だから。弓聖だから」
「……」
「でも…」
ティーエさんが、こちらを向いた。
「アルトといると……忘れるのよ」
「……忘れる?」
「族長であることを。弓聖であることを」
真っ直ぐな瞳が、僕を捉える。
「あなたの前だけが、ただの『ティーエ』でいられる」
「……」
「私がアルトを大事にしてるのは、ルビスの息子だからじゃない」
胸が、締め付けられた。
「あなたといる時間が、私にとって……初めて、自分でいられる時間だから」
「……」
言葉が出てこなかった。
目の奥が、熱くなる。
「だから、そんな顔しないで」
ティーエさんが、優しく微笑んだ。
「私の前では、笑っていて」
「……ありがとう、ございます」
やっとそれだけ言えた。声が震えているのが、自分でも分かった。
少しの沈黙が流れる。
「……さて」
ティーエさんが、ふっと表情を変え、すっと顔を近づけてきた。
何をするのかと思った、次の瞬間。
柔らかい感触が、頬に触れた。
「――っ!?」
頬に、キスされた。
頭が真っ白になる。顔が一気に熱くなる。
「ふふ、次はもっといいところにしてあげましゅね〜」
「ちょ……っ!」
ティーエさんは、満足そうに笑っている。
顔が熱い。
さっきまでの真剣な雰囲気はどこにいったんだ。
――でも
この人を、守りたい。
守られるだけじゃなく、一緒に歩きたい。
この人が笑っていられるように、僕も強くなりたい。
「ほら、早く行くでしゅよ〜」
ティーエさんが、僕の手を引く。
「……はい」
僕は、その手を握り返した。
二人で、王都への道を歩き始める。
夕日が、僕たちの影を長く伸ばしていた。




