24話
王都クラウディアの大通りに面した酒場は、昼間だというのに賑わっていた。
冒険者や商人たちが思い思いに酒を酌み交わし、威勢のいい笑い声が店内に響いている。
「一杯だけですからね」
「わかってるって」
ルナフレアさんは、ひらひらと手を振りながらカウンターに向かった。
——それから、どれくらい経っただろう。
「もう一杯!」
「ルナフレアさん、それ何杯目ですか……」
テーブルには空になったジョッキが山積みになっていた。一杯どころの騒ぎではない。
「んー? 数えてないー」
顔を真っ赤にして、ルナフレアさんはへらへら笑っている。
謁見の間で貴族たちを震え上がらせた威厳は、完全にどこかへ消え去っていた。
「あっつ……」
ルナフレアさんは、おもむろに胸元を緩め始めた。
「ちょ……っ! 見えてますよ!」
「だから何?」
「だから何って……!」
「見られて減るもんじゃないでしょー」
宿でも同じことを言っていた気がする。この人、本当にデリカシーがない。
「ねーねー、アルトー」
ルナフレアさんが、ぐいっと腕に抱きついてきた。
柔らかい感触が腕に押し付けられる。
「ちょ、近いですって!」
「いいじゃん別にー」
全く悪びれない。というか、本人は何とも思っていないのだろう。
周囲の客がこちらをニヤニヤと見ている。恥ずかしい。
「ねーアルトってさー」
ルナフレアさんが、酒臭い息を吹きかけながら顔を近づけてくる。
「そういう経験、ないでしょ?」
「……はい?」
「だーかーらー、女の子とそういうことしたこと、ないでしょって聞いてんの」
僕の顔が一気に熱くなる。
「な、なんでそういうこと聞くんですか!」
「図星かー」
ルナフレアさんは、にやにやと笑った。
「やっぱりねー。顔に書いてあるもん」
「う……」
何も言い返せない。
「かーわいー」
ルナフレアさんが、僕の頬をむにむにとつねってくる。
「ちょ、やめてください!」
「アルトってホント可愛いよねー」
今度は頭をわしゃわしゃと撫で回してくる。
「子供扱いしないでください!」
「だって可愛いんだもーん」
そして、ルナフレアさんの顔がさらに近づいてきた。
鼻と鼻が触れそうな距離。蒼い瞳が、じっと僕を見つめている。
「……お姉さんがさ」
甘い声が、耳をくすぐる。
「相手してあげよっか?」
「——っ!!」
僕の思考が完全に停止した。
顔が耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。
「か、か、帰りますよ!!」
僕は勢いよく立ち上がった。
「えー、もう一杯だけー」
「ダメです!」
ルナフレアさんが、僕を膝の上に乗せようとしてくる。
「ほらほら、おいでー」
「行きません!」
必死に抵抗しながら、僕はなんとかルナフレアさんを引っ張り上げた。
周囲の客たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
穴があったら入りたい。
「うー、まだ飲みたかったー」
「十分飲んだでしょう……」
ルナフレアさんに肩を貸しながら、僕は夜道を歩いていた。
昼間の賑わいが嘘のように、通りは静まり返っている。
「アルトってさー、いい匂いするよねー」
「……聞いてないですよね」
「すーはー」
「嗅がないでください!」
酔っ払いの相手は本当に大変だ。
と、その時。
「おい、そこの姉ちゃん」
前方から、数人の男たちが近づいてきた。
身なりからして、あまり品の良くない連中だ。
「いい体してるじゃねえか。俺たちと遊ばねえ?」
下卑た笑みを浮かべて、ルナフレアさんに近づいてくる。
「すみません、この人酔ってるので……」
僕が間に入ろうとすると、男の一人が僕を押しのけた。
「邪魔すんな、坊主」
「っ……!」
「なんだ、こいつ? 姉ちゃんの弟か?」
「ガキは引っ込んでな」
男たちがゲラゲラと笑う。
僕は拳を握りしめた。
魔法を使えば——いや、ダメだ。白魔法は攻撃には向かない。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「ルナフレアさんに手を出すな!」
「あ?」
男たちの目が、すっと細くなる。
「……いい度胸じゃねえか、坊主」
一人が、ゆっくりと拳を振り上げた。
——その瞬間。
僕の横にいたはずのルナフレアさんが、消えた。
いや、消えたんじゃない。
次の瞬間には、男の一人が宙を舞っていた。
「——は?」
男が地面に叩きつけられる。鈍い音が路地に響いた。
残りの男たちが、呆然とした顔でルナフレアさんを見る。
さっきまでの酔っ払いの姿はどこにもなかった。
真っ直ぐに立ち、冷たい目で男たちを見下ろしている。
「——アルトに手ェ出そうとしたな?」
低い声。
謁見の間で貴族たちを黙らせた時と、同じ声だった。
「ひっ……!」
男たちの顔から、血の気が引いていく。
「次やったら、殺す」
その一言で、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
地面に倒れていた男も、這うようにして逃げていく。
僕は呆然と、その光景を見ていた。
酔っ払っていたはずなのに。ふらふらだったはずなのに。
一瞬で素面に戻って、あの動き。
やっぱり、この人は——
「——うぷ」
ルナフレアさんが、急に口を押さえた。
「急に動いたから……気持ち悪い」
そして、再び僕に寄りかかってきた。
「……え?」
「やばい…吐きそう」
さっきまでの威圧感はどこへやら。完全に酔っ払いに戻っている。
「…………」
僕は深くため息をついた。
でも、なぜだろう。
この人のことが、もっと好きになった気がした。
「ほら、行きますよ。宿はもうすぐです」
「んー……」
ルナフレアさんを支えながら、僕は歩き出した。




