19話
街道沿いの野営地で目を覚ましたジャックスは、冷たい朝露に濡れた体を起こした。金は尽き、安宿にすら泊まれない。かつて『蒼い翼竜』のリーダーとして帝都で称えられていた頃が、まるで遠い夢のようだった。
脳裏に焼き付いて離れないのは、数日前の酒場での光景だ。
自分を「羽虫」と呼んだ弓聖の冷たい目。「酒臭い敗残兵」と吐き捨てた賢聖の嘲笑。そして――振り返りもせずに去っていったアルトの背中。かつての雑用係が、聖戦士を連れて歩いている。その事実が、ジャックスのプライドを粉々に砕いていた。
「……クソが。見てろよ、アルト」
重い足取りで街道を歩いていると、麓の町の方角から黒い煙が立ち上っているのが見えた。悲鳴と爆発音が風に乗って届いてくる。
町に近づくと、魔王軍の先遣部隊が暴れ回っていた。逃げ惑う住民たち。燃え上がる家屋。その光景を見た瞬間、ジャックスの頭に閃くものがあった。
(これだ)
聖戦士どもに頭を下げて回っているアルトなんかより、自分の方が上だと証明できる。
「今こそ、俺の実力を見せてやる……!」
町の広場では、すでに何組かの冒険者パーティーが魔王軍と戦っていた。剣士が前衛で敵を引きつけ、後衛の魔法使いが援護する。その連携は見事なもので、下級魔物を次々と倒していく。
「おい、そっちに回り込め!」
「任せろ!――身体強化!」
後衛の白魔導士が前衛にバフをかけた瞬間、剣士の動きが目に見えて速くなる。重そうだった大剣を軽々と振り回し、魔物を一刀両断した。
別のパーティーでも同様だった。回復、防御強化、速度上昇――後衛の魔導士たちが絶え間なく味方を支え続けている。
その光景を見て、ジャックスは鼻で笑った。
(ふん、あの程度の連携で喜んでやがる。俺なら一人で十分だ)
ジャックスは剣を抜き、魔王軍の下級魔物に斬りかかった。しかし、剣を振った瞬間、違和感が走る。
――重い。
いつもなら軽々と振れたはずの剣が、まるで鉛の塊のように腕にのしかかる。
「なん……だと……?」
魔物の爪を避けようとするが、体が思うように動かない。反応が遅れる。かろうじて致命傷は避けたものの、腕を切り裂かれた。
「がっ……!」
D級程度の魔物相手に、傷を負う。かつての『蒼い翼竜』時代なら、目を瞑っていても倒せた相手だ。
「おい、あいつ大丈夫か?」
「一人で突っ込んでいったぞ。バカか?」
「支援もなしに前に出るなんて、素人かよ」
他の冒険者たちが怪訝な目でジャックスを見ている。かつて「次期勇者パーティー」と称えられた男は、今や「無謀な素人」扱いだった。
(なんで動けない……! なんで剣が重い……!)
ジャックスには理解できなかった。アルトの身体強化のおかげだったことは、彼の頭には浮かばない。それは空気のように当たり前に存在していたから。水の中の魚が水を意識しないように、ジャックスはアルトの支援を「自分の実力の一部」だと無意識に思い込んでいた。
「くそっ、調子が悪いだけだ……!」
自分に言い聞かせながら、再び剣を振るう。だが、振るうたびに体力が削られ、動きが鈍くなっていく。その時、地響きと共に巨大な影が現れた。
B級魔物――オーガだ。
他の冒険者たちは即座に距離を取り、陣形を組み直す。
「やばい、オーガだ! 一旦引くぞ!」
「支援魔法を重ねがけしろ! タンク、時間を稼いでくれ!」
冷静に対処する冒険者たち。しかしジャックスは、その巨体を見て足が竦んだ。かつてなら倒せた相手。しかし今のジャックスには、その巨体が山のように見えた。
(逃げるのか……? 俺が……?)
プライドが足を止めさせた。逃げれば、自分が「雑魚」だと認めることになる。
「俺は……『蒼い翼竜』のリーダーだぞ……!」
震える声で叫び、オーガに斬りかかる。だが、剣はオーガの皮膚に弾かれた。まるで岩を殴ったような衝撃が腕に走る。
オーガの棍棒が振り下ろされる。避けきれず、吹き飛ばされるジャックス。鎧が砕け、地面を転がり、泥の中に顔を突っ込んだ。
「が……は……っ」
立ち上がろうとするが、足が震えて言うことを聞かない。
「あいつ、まだ生きてるのか?」
「知らねえよ。俺たちはこっちで手一杯だ」
冒険者たちは自分たちの戦いに必死で、ジャックスを助ける余裕などない。勝手に突っ込んでいった馬鹿を、命懸けで助ける義理などないのだ。
オーガがゆっくりと近づいてくる。逃げようとしても、体が動かない。周囲で避難していた町人たちが、遠巻きに見ている。誰も助けに来ない。
(助け……て……)
かつて「次期勇者パーティー」と呼ばれた男が、泥の中で震えている。剣は折れ、鎧は砕け、プライドも何もかもが粉々になっていた。
オーガが棍棒を振り上げる。止めの一撃。ジャックスは目を閉じた。
その瞬間――
視界が、白く染まった。轟音。熱。そして、肉が焼ける臭い。目を開けると、オーガの巨体が真っ二つに裂け、崩れ落ちていくところだった。
「な……に……?」
白銀の残光が、夜空に溶けていく。ジャックスは泥の中から顔を上げ、光が飛んできた方角を見た。
そこに立っていたのは――




