14話
エルフの里からほど近い宿場町。その外れにある、湿った土と安酒の臭いが染み付いた酒場の片隅に、かつての勇者候補だった男の姿があった。
「……クソが、どいつもこいつも……。俺を誰だと思っていやがる」
ジャックスは、脂ぎった髪をかき上げ、濁った安酒を煽った。かつて勇者パーティーにもっとも近いとされた『蒼い翼竜』のリーダーとして、帝都で最上級の酒と称賛を浴びていた頃の面影はどこにもない。鎧の隙間には泥が詰まり、誇りだったマントの裾はボロボロに擦り切れている。
「……おい、店主。酒だ。さっさと持ってこい」
「金が先だと言っただろう。払えないなら、その小汚い鎧でも置いてさっさと失せな」
店主の冷ややかな視線に、ジャックスは歯噛みした。周囲の冒険者たちからも落ちぶれっぷりを失笑され、かつての威光は完全に失われている。
彼はただ、見返してやるという、歪んだ執念だけでこの吹き溜まりに留まっていた。
その時だった。
ギィ……と、酒場の重い扉が開く。 一瞬にして、店内の喧騒がぴたりと止んだ。
入り口から差し込む月光を背に、三人の人影が足を踏み入れる。圧倒的なオーラを湛えたティーエと、洗練された大人の威厳を放つルナフレア。そしてその中心に立つアルトが、以前とは見違えるような凛とした足取りで歩を進めていた。
酒場の客たちは、彼女たちが放つ「本物」の気配に圧倒され、本能的に道を開ける。
「……! おい、アルト!ちょうどいいところにきたな」
アルトの姿を認めた瞬間、ジャックスは椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その瞳には、かつてのように自分に怯えるアルトを期待する、独善的な優越感が宿っている。彼はさも当然かのようにアルトの前に立ち塞がると、顎で自分の足元にある汚れた荷物を指した。
「いつまで遊んでいるつもりだ。ほら、さっさとその荷物を持て」
「雑用係の分際で、随分と上等な女を連れて歩いているようだが、俺がまたパーティーに入れてやるから有り難く思えよ」
以前のアルトなら、だまってジャックスの言うことを聞いていただろう。しかし、今のアルトは表情一つ変えず、静かにジャックスを見据えた。
「……断るよ、ジャックス。俺はもう雑用係じゃない」
静かだが、鋼のような意志を感じさせる拒絶。ジャックスの顔が屈辱で真っ赤に染まる。
「貴様……! 調子に乗るなよ!」
我慢の限界に達したジャックスが、怒鳴り声とともに拳を振り上げた。アルトの顔面に向けて、全力の拳を叩きつけようとする。
だが――。
「……鬱陶しいわね」
冷ややかな声が響いた瞬間、横から伸びてきた細くしなやかな手が、ジャックスの拳を無造作に、それでいて鋼のような力強さで払いのけた。
「ぐっ……!?」
ジャックスの体が、まるで羽虫でも払われたかのように、数歩後退させられる。ジャックスはよろめきながらも、自分の拳を弾き飛ばした「女」へと憎悪の視線を向けた。
「このアマ、何をしやが……っ!?」
毒づこうとしたジャックスの言葉が、喉の奥で凍りついた。自分を払いのけたその女――ティーエが放つ、肌を刺すような冷徹なプレッシャー。
ジャックスは震える瞳で、目の前の小柄な女性を注視する。銀色の髪。凛とした顔立ち。それが、エルフの里でみた弓聖の姿と重なった。
「……まさか。貴様、弓聖……?」
ジャックスの声が、恐怖で上ずった。自分が門前払いを食らった弓聖、しかもあろうことか、自分が追い出したアルトと共に旅をしている。その事実が、ジャックスの脳内をパニックに陥れる。
「………? どこぞの誰かと思えば、門前で追い払った羽虫か」
ティーエの残酷なまでの無関心。その隣で、ルナフレアが溜め息をつきながら、蔑むようにジャックスを一瞥した。
「……アルト。これがあんたが所属していたパーティーのリーダー? 冗談でしょう。ただの酒臭い敗残兵じゃない」
「アルト、こんな程度の低い男を相手にする必要はないわ。時間の無駄よ」
初対面のルナフレアから、人間以下のゴミを見るような冷徹な視線を向けられ、ジャックスは膝をついた。叫ぼうとしても、本物の英雄たちが放つオーラに気圧され、乾いた喉からはヒューヒューと情けない呼吸が漏れるだけだった。
「行きましょう、アルト。酒が飲めないのは残念だけど」
「はい、ルナフレアさん。行きましょう」
アルトたちは一度も振り返ることなく、店を後にした。
「……あ、あ……あ…………っ!!」
ジャックスの喉から、言葉にならない呻きが漏れる。 夜の帳へと消えていくアルトたちの背中は、もはやジャックスがどれだけ叫ぼうとも届かない、遥か高みの輝きへと繋がっていた。




