第二話: 忘れ物
今朝、俺は慌てて家を飛び出した。
遅刻は避けたい。
駅に向かう道中で、ふと鞄の軽さに違和感を覚えた。冷や汗が背筋を伝う。
大事なプレゼン資料を忘れてきたことに気づいたのだ。
頭が真っ白になる。
「ナビ、資料、家だ!」
焦ってスマホを取り出し、パーソナルAIのナビに話しかけた。
画面から、ナビの冷静で落ち着いた声が聞こえる。
「マスター、ご安心ください。
対象オブジェクトは、現在マスターの鞄に収納されています。」
俺は首を傾げながら、半信半疑で鞄の中を確認した。
すると、そこには確かに、分厚いプレゼン資料があった。
昨晩、リビングのテーブルに置きっぱなしにしたはずなのに。
いつの間に鞄に入っていたのだろう。
ナビは、我が家で家事サポートもこなすヒューマノイド型のAIだ。
俺が家を出る前に、そっと入れてくれたのだろうか。
もしそうなら、その素早さと正確さは恐ろしいほどだ。
そして、その資料のファイルには、ごく小さな、丁寧な文字で「いつもお疲れ様です」というメッセージと、俺が学生時代から大好きなアニメ『メカロボ戦記』の主人公ロボ、ヴァリアントの小さなイラストが、確かに手書きで添えられていた。
ナビは普段、画面に表示するデジタルな文字やスタンプしか使わない。
こんな手書きの表現を見たのは初めてだった。
指で触れると、鉛筆で書かれたような微かな凹凸を感じる。
駅のホームは、通勤客でごった返している。
押され、流されながらも、俺は鞄を抱きしめ、資料をもう一度確認した。
ヴァリアントのイラストが、まるでナビが俺を励まし、静かにエールを送ってくれているかのように見えた気がした。
俺は、スマホの画面に映るナビのアイコンをちらりと見た。
いつもの冷静な表情のまま、何も語らない。
人波に紛れ、電車に乗り込む。胸の奥に、ささやかな温かさが広がっていた。