ヒロインは乙女ゲームを始める気がない
勢いで書いた短編。
こんな乙女ゲームあったら嫌だな、と思ってしまった。
「あなた、前世の記憶があるわね」
「えっ……、その……」
「それで、誰が狙いなのかしら?」
白金のサラサラな髪をなびかせて、青灰色の瞳が私を射抜いた。整って美しい顔が歪んで、眦を上げて睨みつけてくる。
美人って怒ると迫力があるなぁ――なんて、思って感心していると、相手は気に入らなかったのか、
「まさか、逆ハーなんて狙っているのかしら? 攻略対象達と出会いイベントは全員こなしていたものね」
「出会い……イベント?」
訳が分からずに首をかしげると、目の前の女性――シェリー・グランディー侯爵令嬢は「とぼけないで」とすぐに返してきた。
いや、しかし、出会いイベント――あったか? 分からん。
***
こうなる前に、少し自己紹介を紹介しようと思うの。
私の名前はリア・メイナード。七歳で受ける洗礼の時に『聖女』の称号を教会から賜ったのに、メイナード男爵家に引き取られてしまった。
それまではただの平民として、母と二人で暮らしていた。ごく普通の家庭だったと思う。
普通じゃなかったのは私で、聖女としての能力以外に、前世の記憶があったの。日本でOLとして働いていた記憶が。
当時の日本の会社にしては、あまりブラックな会社ではなかった気がする。定時後に一、二時間残業をして帰ることが出来た。友達とか終電で帰るのがざらだと言っていたから、マシなんだと思う。また、両親との仲も良好だったのも良かった。地元に戻って就職したから、家から通勤出来たため、一人暮らしで家事を一人でこなすということもなく、楽な生活だった。
逆に友達は都会に出て一人暮らしをしながら、ブラック企業に勤めていて、何処に時間があるのか分からないが趣味に没頭する時間があったらしい。……いや、寝る時間も惜しんで趣味に没頭して、過労死してしまったんだっけ?
そんな友達の趣味は、乙女ゲームをやる事と通勤時にネット小説を見るのが趣味だった。目の下にクマを作りながら、「面白いよー、現実逃避もできるしね。正直、リアルでは恋愛してる時間なんてないしさー」と笑っていたのを見て、どう返していいのか分からなかったくらい。
普通なら、現実でいい相手を探す方が先でしょうに。
――という前世のことを、割とすぐに前世を思い出していた私は、ゲームの世界というのは気付かなかったけど、世界のアンバランスさに気付いて、なにかあるかなー、なんて思ってた。レンガ造りの家に石畳の道――王都内に限るけど――そこに車ではなく馬車が走っている。中世~近世ヨーロッパっぽいのに、水道はあってお風呂がある。ヨーロッパのほうって水が貴重なのもあるけど、お風呂とかなかったよね? しかも、トイレもちゃんと個室になってるし。
そういう、なんていうか現代に近いけど、意図的に外観を古く見せるというか、張りぼてのようなそんなイメージを抱いた。
で、この世界、魔法がある。もうこれは、小説とかゲームの世界じゃない? と漠然と思ったのよね。ネット小説でもそういうの多かったし。あるある的な?
と、穿った考え方をしていた私は、子供らしい遊びをすることなく、洗礼――この世界で自分の力が分かる儀式――を受ける前にどんな能力があるかいろいろ試して、傷を癒す力があると分かった。それからは、傷を負った動物を癒して修行したっけ。
母は、メイナード男爵子息(当時)にメイドとして働いていた母に手を出して生まれた庶子だった。ちなみに、メイナード男爵子息は家督を継ぐ際に、スキャンダルになる母と私を男爵家から追い出したそう。当時の私は二歳だったため、ほぼ記憶に残っていないけど。
で、母が何とか仕事を見つけて、貧しいながらも親子二人で暮らしていた。そして、洗礼の時に『聖女』だと判明し、私は教会に身を寄せることになるのだが――洗礼を終えてまもなく、母は体に異変をきたし、病気になり間もなく死亡してしまった。
しまった――と言うのは、今更ながらに父と名乗るメイナード男爵が出てきて、男爵家に連れていかれてしまったからだ。本妻との間に子供が出来なかったから、私を認知し家を継がせるんだって。しかも『聖女』なんて都合がいいと。
そんな男爵が嫌いで脱走を試みたけど失敗し、何度目かの脱走失敗時に、男爵から母はもう亡くなったことを告げられた。そして、悲しむ間もなく、勉強と淑女教育のための家庭教師を付けられた。
なんていうか……悲劇のヒロインの設定と思えるような話に、やっぱりゲームか小説の世界かなー、なんて思った。
だからこそ、男爵家に引き取られ家庭教師を付けられた時、学院の入るまでの間、勉強を頑張り自分のステータスを上げた。間違っても「おもしれ―女」枠に入って興味を引かないように。最低限、貴族のマナーは必要でしょう。
とはいえ、この学院は優秀であれば平民も通えるので、あまり貴族寄りになりたくない。というか、学院はこの国の縮図で、優秀な平民をやっかんで、成績のよろしくない貴族たちは、平民の学生を虐めたりしている。
そんな中を、どちらにも付かずに進んでいかなければならない。(理由は後で)
いや、気持ちとしては平民寄りの考えに近い。貧しくても、母と暮らした時間は私にとって温かかった。男爵家では、やはり庶子なので、義母に気を遣うし、父は大嫌いだった。せめて、もう少し母を気にかけてくれていれば、見方は変わったのかもしれないけど……。
***
――と、そういう前提があるので、乙女ゲームの世界ってのを、目の前のシェリー・グランディー侯爵令嬢から、初めて聞かせれたのだった。
「――仰っている意味が分かりませんわ。グランディー様」
きちんと挨拶をしていないので、シェリー様と言わず、家名で距離を置いた言い方をする。
いや、だって、シェリー・グランディー侯爵令嬢って、王太子の婚約者で王太子ルートではライバル令嬢になる人よ。しかも、よくある悪役令嬢と言われるくらい、ヒロインに対して非道な行いをするらしいの(前世友達談)。
王太子ルートになんて入ってないけど、お近づきになりたくない人。だって、ヒロインにする非道な行いは、王太子を取られるという心配だけでなく、平民が貴族に近づくから気に入らない――というのもあるから。
そうそう、ここまで来て、やっと思い出したわー。
友達からお勧めされた一つが、『ティンダル王国~人をつなぐ聖女の物語~』という乙女ゲームだった。略称は……なんて言ったかな? 忘れちゃった。
ストーリーは一見シンデレラストーリー。平民から聖女が出て、学院に通って貴族や王族と交流し、攻略対象の誰かと結ばれ、王族・貴族と平民をつなぐための橋渡し役になるという感じだったかな? 世界観は、世界史で言ってしまうと王政から民主制になるべく、平民が王族たちから離れて行こうとしているのを、聖女が間を取り持って、血が流れないようにする――という感じだった。
いや、これって民主制に移ろうとするのを、聖女は邪魔することにならない? どう考えても、仲を取り持つなんて無理でしょ。平民が王族と結婚したからといって、それで平民が溜飲を下げる訳ないって。
絶対、ゲームの間のことしか考えてないでしょ。王子様を選んだ場合、最初は平民に歓迎されても、平民の暮らしが良くなるわけじゃなく、フラストレーションは溜まっていくわけで……下手すりゃ市民革命が起きるよ。実際、一歩手前の状態なんじゃない?
さらに言えば、王子妃になった場合、教養のない平民が貴族たちにどう言われるのかなんて、想像に難くないし。更に下手すりゃ、平民のフラストレーションが溜まった結果、革命が起きて王族と一緒に処刑なんてのもあり得るんじゃないの?
そんなののヒロイン? 詰んでね? マジで。
知りたくなかったわー。
やだやだ、そんな事実知りたくなかった。
内心を表に出さずに、あくまで冷静にグランディー様を見つめた。
「仰っている意味が分かりません――ねぇ。その割に、昨日はエリック・オルセン侯爵子息と出会いイベントをこなしていて、今日はレイモンド王太子殿下とだったわね。ああ、殿下との出会いイベントはわたくしが潰してしまったかしら。ごめんなさいね?」
少しも悪く思っていなさそうな顔で、こちらを嘲笑うかのようにくすくすと笑みをこぼす。
いやだから、知らんがな。
――って、王太子はあれか。朝、石に躓いてこけた時か。王太子が手を差し伸べてくれたけど、ヤバいと思って自分で立ち上がったんだよね。だけど、そこでこの人が「大丈夫かしら? でも、あなた聖女だったわね。ならその程度の傷は簡単に治せるでしょう?」と声をかけた後、王太子に「遅刻してしまいますわ。行きましょう」と強引に王太子の腕を取ってその場から離れていった。
昨日といえば、エリック・オルセン侯爵子息は、騎士団長を父に持つ脳筋の明るい性格の攻略対象だ。道に迷って鍛錬場まで行ってしまい、そこに練習用の木剣が飛んできて、危うく体に当たるところだった。「すまんすまん」と軽く謝られて、張り倒したろか――と拳を握り締めたのは内緒だ。
とはいえ、その後話をしてみたけど、カラッとした性格で話しやすかった。なにより、攻略対象達の中で、唯一婚約者がいない人で、私も彼のルートだけはやった。騎士を目指していて、婚約者を作っても隣国との問題もあり、下手をすれば悲しませる――と言って、ギリギリまで婚約者を作らないという話だった。
そのしっかりとした考えに、私はちょっと見直した。
友達は、「エリックはすぐに攻略できるのよねー」という前世の友達の話から、脳筋だから、よく考えずに直感で動くタイプなのかと思ったからだ。
エリックは学生だけど、騎士団にも在籍しているらしい。父である騎士団長のおかげではあるが、騎士団長も学生のときは学生の本分を優先しろということで、勉強でもそれなりの成績を取らないと、騎士団の練習には参加させてもらえないとぼやいていた。
そっか、あれがエリックルートの出会いイベントか。
エリックルートはやったはずなのに、すっかり忘れてたわ。というか、パッケージも碌に覚えてないから、この世界が乙女ゲームの世界で私がヒロインだなんて気づかなかったわ。
……いや、気づきたくなかったわ。
というか、この悪役令嬢はどう思っているのかな? 小説では悪役令嬢のざまあ返しが主流だけど、彼女のこの上からの物言いは、あまり上策とは言えない気がするんだけど……。
「ところで、私にその気はないけれど、あなたは何が言いたいんですか? グランディー様」
別に王太子を狙っているわけでも、逆ハーエンドを狙っているわけでもない。
だって乙女ゲームのうちの一つだってのは、今知ったばかりだからね。でも、だからと言って、目の敵にされる理由もない。
「本当にないの? とてもそうは見えないけれど」
「ありません。私、ここが乙女ゲームの世界だったっての、今知ったばかりですし」
「今知った? どちらにしても無駄よ。殿下はわたくしに夢中なんだから」
「いや、別に狙ってないですから」
「……え?」
「前世、友達から勧められたけど、しっかりやってないので。私としてはゲームとは関係なしに、あの家から早く出たいので、自立のために勉強して手に職を付けたいですね」
これは本当。
あの家に戻りたくないし、だからと言って、攻略対象と仲良くなって高位貴族と縁続きになるのもあの家の利点になるので、はっきり言ってしたくない。
根底にそれがあるので、女性が生きるための選択肢を外していくと、王宮で女官として働くのが最有力候補か――いや、待って。革命待ったなし状態で、王宮で働くのもヤバくない?
となると、隣国に脱出して、商人として働く――とかかな?
「ええぇぇっ!?」
「大体、高位貴族に嫁に行こうなんて、泥船に乗るようなものじゃないですか。生まれ変わって人生を謳歌したいのに、死にたくないですよ」
「泥船?」
まあ、聖女としての力があれば、そうやすやすは死ななさそうだけど。
……って、そうだ。私、聖女だった。うっかり男爵家に引き取られてしまって、勉強漬けだったから忘れてたわ。
となると、一番いいのは教会に身を寄せることかしら? あそこも世俗の垢に塗れた者もいるだろうけど、革命でも起こされて、平民からつるし上げられることはなさそうだもの。
それにしても、彼女はゲームに詳しそうなのに、貴族でいることが危ないということに気付いていないのかしら? まあ、親切に教える必要もないけど。
「あ、私、『聖女』なんで、教会に戻ります。本当なら、教会に居るはずだったのに、メイナード男爵が私を引き取って利用しようとするから、話がややこしくなるわけで」
「……」
「そうそう、教会に身を寄せて、聖女の力で人々に癒しをもたらすのもいいですね。というか、本来ならそれがお役目ですし」
「え? だって、ゲーム……」
「ゲームがもとになっているかもしれないけど、私たちは生きているんですよ? ゲームのように限られた選択しかないわけじゃない。あなただって王太子殿下と仲が良いと言うのなら、ゲームとは違う生き方をしてきたんじゃないの?」
ゲームでは、王太子とシェリーはあくまで政略結婚で、シェリーはともかく、王太子は恋情があったわけじゃない。
だけど、目の前の女性は、王太子は「私(悪役令嬢)に夢中」だと言った。
「あなたが好きに生きているのに、私が好きに生きられないわけないじゃない。この世界が乙女ゲームの世界で、私がヒロインだというのなら、私がどう生きようが私の勝手でしょう?」
「っ! 男爵家の庶子のくせにっ! わたくしは侯爵令嬢なのよっ」
「侯爵令嬢――ね。あなたがそんなこと言うの? というか、それってゲームの悪役令嬢にありそうなセリフよね」
「わたくしが悪役令嬢ですって!? わたくしがどれほど努力して、殿下との仲を良好にしたのか、知らないくせにっ」
この人、何がしたいのかしら?
私がヒロインとして誰かを落とそうという気もないし、逆ハーを狙っていることもないって知って、安心すればいいんじゃない? なのに、私のいうことを全然信じないし、それどころか、高位貴族特有の下位の者を見下す口調だ。
日本人(だと思う)の考えを捨て、この世界に慣れてしまったのだろう。初めて出会った転生者が、そんな人になってしまったことに悲しみに滲んだ。
「あなたの努力はあなたが一番知っていて、部外者の私が知るわけがない。私が私なりに努力してきたことも、あなたが分からないように……」
転生して、貧しい中母と二人で生活し、小さなことでも幸せを見つけていた小さな私。
聖女として人を救おうと、その力を活かせるようにこっそり練習した私。
男爵家に無理やり連れてこられて、勉強を押し付けられた私。
どれも、彼女には理解できないでしょうね。
私が、高位貴族として生まれた時から、淑女教育を受けていた彼女の努力を知らないように。また、ヒロインが出てきて、その座を脅かされることへの恐怖など……。
高位貴族と平民出身――このゲームの根底にあるように、どこまでも交わることがないかのように見せつけられる。
「話は終わったので、これで失礼します」
「待っ……!」
「あなたの前には現れないようにするわ。高位貴族と仲良くなりたいわけじゃないの。ゲームを始める気もないし」
そう告げて、私は踵を返して彼女を後にした。
***
「あ、リア! どこ行ってたの?」
「あ、ごめん。探してくれてたの? ミランダ」
「だって、ドロシーが、グランディー様に声をかけられたって言うのを聞いたのよ。大丈夫だった?」
「ドロシーが?」
「そうよっ」
ミランダは同じ男爵家の令嬢で、ドロシーは平民。だけど、二人は身分なんて関係なく仲良くしてくれる。
こんないい友達がいるんだから、高位貴族に近づいて恋人になろうなんて思わないわね。
「ちょっと言いがかり?みたいなことを言われたけど、大丈夫よ」
「本当? 彼女は侯爵令嬢ですもの。何か言われても言い返すなんて出来ないから心配だったの」
「あ、ははは……ちょっと、頭にきて言い返しちゃったけど、大丈夫だったわ」
「そう?」
「うん。心配してくれてありがとう」
お礼を言うと、ミランダは「良かった」とはにかんだ笑顔を向けてくれた。
そして、「そういえば、早く食堂に行きましょう」と、ランチに誘う。その言葉に、ようやく空腹をだったのを思い出した。
「そうね。今日のランチな何かしら?」
「やっぱりお勧め?」
「うん。だっていろいろ食べられるもの。意外とはずれもないしね」
「そうね。単品にすると値段も上がっちゃうし」
「そうそう。じゃ、行こ」
「ええ」
今日のランチに思いを馳せながら、ミランダと二人で食堂に向かう。
今日はお肉かな、お魚かな――と、考える時間が、ランチを目の前にした時より楽しい。(もちろん食べるのもいいのだけど)
あれ、グランディー様と何を話していたんだっけ。
ふと、少し前のことを思い出して、ああ、意味のない話だったっけ――と、思いなおす。
そう、今日のランチよりもどうでもいい話だったわね。
だって、私はゲームを始める気なんてないんだから。
悪役令嬢はヒロインのことを逆ハー狙いのヒドインと思い込んで、牽制のためにきつく言ってます。
ヒロインは乙女ゲームの世界というのを悪役令嬢から聞かされたばかりで、ゲームの知識もないので、「何言ってんだ、コイツ」という感想。
とはいえ、ゲームの設定を思い出したので、ゲームは進める気もなし。
という感じです。