⑨
私の婚約者はいなくなった。
私はもう自由の身。なにも遠慮することはない。
私は厩舎の壁際にレアンドルを追い詰めた。
「さあ!さっさとシましょう!」
「ちょっと待て!落ち着け!」
「そんなに勿体ぶらなくてもいいじゃないの。減るものでもあるまいし」
「減る!なにかが確実に減っちまうから!
というか、なんで俺がその台詞を言われる側なんだよ!普通逆だろ!」
壁に背をつけ、降参するように両手を上げるレアンドルの両脇に、私は手をついて逃げられないように閉じ込めた。
騎士服姿の逞しい男が、頭一つ分以上も背が低い女に捕らえられている。
傍から見たら、なんともおかしな光景だろう。
「据え膳食わぬは男の恥なんじゃないの?」
「どこでそんな言葉覚えたんだよ!」
「庶民向け恋愛小説!最近仲良くなったメイドさんたちに貸してもらったの」
私は現在、王宮で働くメイドたちの寮に住んでいる。
そこで人生初の友達ができたのだ。
同じ年頃の女の子たちと本を回し読みしたり、お菓子を分け合ったりしながら楽しく暮らしている。
「公爵令嬢がそんなもん読むな!」
「私はただのジョゼよ。もう公爵令嬢なんかじゃないわ」
私はレアンドルの体に胸を押し付けるようにして距離をつめた。
ジョゼになってから食事もきちんと食べられるようになったので、ガリガリだった体は丸みを帯びてきて、胸もそれなりに育った。
少なくとも平均的なサイズにはなっているはずだ。
「私もあなたも、明日はお休みでしょ?するには、ちょうどいいと思わない?」
レアンドルの喉ぼとけが上下した。
苦し気に寄せられた眉に、赤く染まった頬。
「くそっなんなんだよこの女……!」
どうやら、誘惑はある程度成功してはいるようだ。
陥落まであと一声といったところだろうか。
『ジョゼ、レアンドル。少しいいだろうか』
ひょいと顔を覗かせたのは、イヴェットの番であるブリュノだった。
イヴェットに次いで大きく強大な、美しい青の鱗をした竜だ。
『おまえたちの事情は、よくわかっているつもりだ。
その上で口を挟ませてもらう』
ブリュノは銀色の澄んだ瞳で私たちを交互に見た。
『イヴェットが言ったことは本当だ。
おまえたちが性交をすれば、レアンドルの魂は竜と契約を結べるようになるだろう。
ただし、今ここにいる竜とは無理だ。
レアンドルの魂に見合う竜がいない』
現在、竜騎士団には誰とも契約をしていない竜が五頭いる。
その竜とレアンドルでは契約を交わすことができないらしい。
『気持ちはわかるが、急ぐことはない』
「でも、野生の竜にはいつ出会えるかわからないのよ。
それがもし明日だったらどうするのよ。早めに備えておかないと」
『それはそうだが、まずは、なぜレアンドルが性交するのを躊躇っているのか聞いてみなさい。
それがわからないことには、先に進めないだろう』
なるほど。確かにそれはそうだ。
「レアンドル!どうして私とシたくないの?」
「う……だって、そりゃあ……」
「やっぱり、わたしが可愛くないから?」
「違う!そんな理由じゃねぇって!」
私が思いつく唯一の理由なのに、かなり怖い顔で否定されてしまった。
「じゃあ、どうして?」
首を傾げて覗き込むと、赤い顔をしたレアンドルが眉を寄せた。
「だってなぁ……女にとって、そういうのは大切なもんだろ。
それを、俺なんかのために奪っちまうのは……どうしても、気が咎めるんだ」
「私がいいって言ってるのに?」
「いくらなんでも、あんたの払う犠牲が大きすぎるんだよ!
いっそ、あんたが嫌な女だったら、遠慮なくヤらせてもらうんだが……あんたは、そうじゃねぇ。
俺は……あんたに、悲しんだり傷ついたりしてほしくねぇんだよ」
レアンドル……一見粗暴なように見えるが、優しいひとだ。
だからこそ、竜に好かれるのだ。
私もそれがよくわかっているから、純潔を失ってもいいと言っているのに。
どう説得しようかと私が考えを巡らせていると、またブリュノが口を開いた。
『おまえたちは、もっとお互いのことをよく知った方がいいのではないか』
銀色の瞳が交互に私たちを見た。
『人間は季節を問わず発情しているようなものだが、性交というのは番かそれに近い関係の男女がする行為なのだろう?
前世からの深い縁があるとはいえ、まだ出会ってから数日しか経っていないのだ。
まずは、親しい関係になることを目指したらどうだろうか。
そうすれば、レアンドルにもジョゼの気持ちが伝わるのではないか。
あるいは、レアンドルからジョゼを求めるようになるかもしれない。
そうなったら全ての問題は解決する。
おまえたちは相性がいいのは確実なのだから、焦って関係が悪くなるような愚を犯すことはしてほしくないのだ』
それだ!顔を輝かせる私と、怪訝なというより、どこか怯えた顔のレアンドル。
通訳すると、レアンドルは驚いた顔をした。
「ブリュノは、人間のことがよくわかってるんだな」
『私はイヴェットの番となってからここで暮らし始めたが、それから人間観察が趣味になったのだよ。
人間とは興味深く面白い生き物だ。
二百年以上経っても、飽きることがない。
お前たちは、その中でも特に興味深い』
ブリュノの銀色の瞳は穏やかで、見ているとこちらも心が凪いでいくような気がする。
『人間はデートというのをするのだろう。
二人でどこかに出かけて、そのデートとやらをしてきたらどうだ』
「そうするわ!ありがとうブリュノ!」
私は再びレアンドルに迫った。
「というわけで!デートをしましょう!」