㉞ ベアトリス視点
「へぇ、あんたってやっぱりいいところのお嬢さんだったんだね」
私がこれまでの経緯を語ると、ロマーヌと名乗った四十代くらいの女は、私を珍しい動物でも見るような目で見た。
ロマーヌも私と同じように王都から妾として送られてきて、それからもう二十年近くデュラクに住んでいるのだそうだ。
デュラク人は瞳も髪も黒に近い濃い色で、身長が低くがっしりと分厚い体つきをしているが、ロマーヌはすらりと背が高く金髪に青い瞳だ。
きっと私の気持ちがわかってくれると思って聞かれるままに話したのだが、返ってきたのは同情でも憐憫でもなかった。
「話を聞く限り、あんたはかなり重罪人だね。
それなのにここに送られて来るなんて、あんたはついてるよ」
「はぁ!?これのどこがついてるっているのよ!」
魔力を封じる腕輪をつけられ、髪を短く切られ、私は最低限の家具しかない部屋に監禁されている。
しかも、夜になると、ここで男の相手をさせられるのだ。
領主の妾にされるということだったはずなのに、ここに来るのは領主ではない男たちだった。
毎晩一人男がやってきては、私を無理矢理組み敷く。
子をつくることだけが目的の行為のようで、男たちの方も楽しんでいる様子は欠片もない。
「あんた、魔力が多いらしいね。
この辺りは強い魔物がよく出てくるんだ。
それを狩るために、魔力の多い子が必要なんだよ。
ここは閉鎖的な土地だから、外の血を混ぜることもできて、一石二鳥さ。
あんたが死刑にならなかったのは、殺すより生かして有効活用しようって上のやつらが考えたからだろうね」
私は血の気が引いた。
今の状態が最悪だと思っていたが、もしかしたら首を切り落とされていたかもしれないのだ。
私はなにも悪くないのに、あんまりだ。
顔色を変えた私に、ロマーヌは少しだけ笑って見せた。
「いいところのお嬢さんに言ってもわからないかもしれないけどね。
ここはそこまで悪いところじゃあないよ。
男たちは見てくれは良くないけど、理不尽なことで女を殴ったりするやつはいない。
私は王都にいた頃は、ろくでなし親父と旦那に毎日のように殴られてた。
それなのに、ここに来てからは一度も殴られたことはない。
食事も皆と同じものが食べられるし、体を壊すほどこき使われるようなこともない。
子を産んだら、他の子たちと同じように大事に育ててくれる。
母親である私のことも、それなりに大事にしてくれるんだ。
私はここに来て初めて、人間らしい暮らしができるようになったんだよ」
私は目を瞬いた。
ロマーヌは血色がよく健康そうで、我が身の不運を嘆いている様子はない。
痩せてもいないし、身形も他のデュラク人とそう変わらない。
ここが悪いところではないというのは、ロマーヌの本心なようだ。
「あなたは……なぜ、ここに送られたの」
ロマーヌはひょいと肩を竦めた。
「酔った夫に縊り殺されそうになってね。必死で反撃したら、逆に殺しちまったんだよ。
一応裁判らしいのはあったけど、夫は貴族の端くれで、私は平民だったもんだから、誰も私の言い分なんか聞いちゃくれなかった。
最初の頃は泣いたけど、すぐにここに送られてよかったと思うようになったよ。
実家に戻されたところで、クソ親父に娼館にでも売られてただろうからね」
目の前の女の予想以上に凄惨な過去に、私は言葉を無くした。
ロマーヌは休憩は終わりだと言って、私を残して出て行った。
静かになった室内で、私は唇を噛みしめた。
私はロマーヌとは違う。
私は、ベアトリス・オクレール。
オクレール公爵家の娘。
第三王子殿下に求婚までされた、高位貴族の令嬢なのだ。
それなのに、なぜこんなところに閉じ込められて、醜い男の子を産まなくてはならないのだ。
姉が全部悪いのに。
みすぼらしい姉の方が、よほどここの男たちには相応しいはずなのに。
私ではなく姉こそが、ここに閉じ込められるべきではないか。
その夜も、髭だらけの醜い男がやってきた。
泣き喚いて罵って、必死で抵抗したが、やはり無駄だった。
朝になって食事を持ってきてくれたロマーヌに、私は泣き喚いて当たり散らした。
「娼館に比べたらここは天国さ。
一晩に相手にするのは一人だけ。
病気の心配もないし、大人しくしてりゃ乱暴にされることもない。
いい加減諦めて、現実を見な。
あんたはもう、ここで生きていくしかないんだから」
酷い目にあった私に、ロマーヌは冷静なままだった。
「嫌!嫌よ!
私は、ベアトリス・オクレール!公爵家の娘よ!
王子様と結婚するはずだったの!
あんたみたいな、平民の女とは違うのよ!
こんなところ、私がいるべき場所じゃない!
私はなにも悪いことなんてしてない!
私は、私は」
「そうかい。受け入れないならそれでもいいよ。
好きにしな」
ロマーヌは私を宥めるでも慰めるでもなく、いつかの姉のようにさっさと背を向けて去って行った。
それから、誰も私と話をしようとしてくれる人はいなくなった。
食事を運び最低限の世話をする女にも、夜にやってくる醜い男にも、私はひたすら喚き続けた。
言葉の限り罵って、無駄だとわかっていても抵抗を続けた。
皆が私にうんざりした顔をするだけで、誰も優しくしてはくれなかった。
そして、ついに私の声を封じる魔法具がつけられた。
「俺たちだってなぁ、おめぇみたいなうるさい女は嫌なんだよ。
おめぇのキンキン声はよく響く。
子供たちも魔女がいるって怖がってるんだ」
何度か夜に私の部屋を訪れてきたことがある男は、冷たい声で告げた。
「おめぇがいつも悪く言ってる領主様は、俺たちにとっては親みたいな方だ。
俺たちは領主様を尊敬してるし、デュラクに誇りを持ってる。
それを貶されたら、気分が悪いのも当然だろ?
他の女たちみたいに大人しくしてりゃもっといい扱いをしてやったのに、自業自得だ」
私は声も失くしてしまった。
もう誰にも私の気持ちは届かない。
夜に組み敷かれる以外は、暴力をふるわれることもないし、食事を抜かれるようなこともない。
ただ、一人で牢獄のような部屋に閉じ込められているだけ。
頭がおかしくなりそうな孤独の中で、ただ姉を憎むことだけが私の正気を繋いでいた。
そんなある日、外がなにやら騒がしいことに気がついた。
何事かと格子のはまった窓から外を見て見ると、鎧を着たりして武装した男たちがたくさんいる。
戦争でもあるのだろうかと思っていたら、ずっと閉じ込められていた部屋から引きずり出され、地下の薄暗い部屋に連れて行かれた。
そこには私だけではなく、恐怖と不安の表情をうかべた女と子供がたくさんいた。
なにがあったのかと訊いてみたくても、声が出せないので叶わない。
ただ、じっと耳をすましていると、スタンピードとか魔物とか、そんな言葉が聞こえてきた。
どうやら近くでスタンピードが発生し、デュラクは魔物の大群に襲われているらしい。
このあたりは、魔物がよくでてくるとロマーヌが言っていた。
私は魔物というものを見たことがないが、恐ろしいものだということは知っている。
醜いが頑丈そうなデュラクの男たちがこれだけ騒いでいるのだ。
大変なことが起こっているのだということが私にもわかった。
呆然としていると、ロマーヌが地下室に降りてきたのが見えた。
私と同じくらいの年代の鎧に身を固めた少年と、十歳くらいの少女を連れている。
少年少女はデュラク人にしては背が高く、金髪に近い茶色の髪をしていることから、ロマーヌの子なのだろう。
少年はロマーヌと少女を抱きしめてから、地下室を出て行った。
きっと外で大人たちと共に魔物と戦うのだ。
ロマーヌはなにも言わずに少年を見送ると、残った少女を腕の中にしっかりと抱え込んで壁際で座り込んだ。
ロマーヌも私と同じように王都から送られてきた女だと言っていた。
私と同じように捨てられて、ここに来た時はなにも持っていなかったはずだ。
それなのに、今のロマーヌには愛するひとがいて、愛されている。
私は、あんなふうに親から抱きしめられたことすらないのに。
私は、誰からも愛してもらえなかったのに。
私とロマーヌで、いったい何が違うというのだろう。
ロマーヌたちだけでなく、他の女たちも誰かと手を握り合ったりして不安を分かち合い慰め合っている。
一人きりで蹲っているのは、私だけだ。
ずるい。
なんで私ばっかり、こんな目にあわなければいけないのだ。
姉さえいなければ、私は今頃、公爵家でなんの不自由もなく暮らしていたはずなのに……
私は胸の中で、いつものように姉への憎悪を募らせて恐怖を紛らわせるしかなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
固く閉ざされていた扉が開かれ、
「スタンピードが終わった!もう安全だ!皆出てこい!」
という声が響いて、暗く沈んでいた地下室の空気は一気に歓喜に包まれた。
女たちは愛する家族や恋人の名を呼びながら、地上階への階段を駆け上がって行った。
愛するものが誰もいない私は、地上へ急ぐ理由もない。
地下室に誰もいなくなってから、ゆっくりと立ち上がった。
のろのろと階段に向かう途中で、足元に短剣が落ちているのを見つけた。
魔物に喰い殺されるくらいなら自決する、と言っていただれかが持ちこんだものだろう。
私は短剣を拾い上げてみた。
こんな刃物、手にすることすら初めてだ。
なんの装飾もないが、重みがあってしっかりした造りのように見える。
もしこれで、ロマーヌが抱きしめていた少女の心臓を突き刺したらどうなるだろうか。
そうすれば、ロマーヌはまた私と同じような空虚な存在に戻るかもしれない。
絶望に染まったロマーヌの顔を見るのも、面白いのではないだろうか。
本当なら公爵家の下働きにすらなれないような下賤の女のくせに、私より幸せであるなんて許せない。
私と同じように不幸になってしまえばいいのだ。
私は久しぶりにウキウキとした気持ちになり、足取りも軽く階段を昇った。
外に出てみると明るい陽光が降り注いでいて、今は昼間なのだとわかった。
大きな人の声がする方に行ってみると、広場に十頭以上の竜がいて驚いた。
アングラード王国が誇る竜騎士団が、デュラクを助けに来てくれたのだ。
色とりどりの美しい竜たちに、人々は感謝の祈りを捧げている。
私もふらふらと引き寄せられるように竜たちへと近づいた。
こんなにも間近で竜を見るのは私も初めてだった。
宝石のような鱗に覆われた巨体からは、力強い生命力が溢れているように感じられた。
まるで、今の私と正反対のような生き物だと思いながらぼんやりと見上げた。
その時ふいに、見覚えのある色が視界に飛び込んできた。
それは、鮮やかな水色。
黒い騎士服を着た男が、幸せそうな顔をして水色の髪の女を抱きしめている。
あの男は、いつか見た姉と手をつないでいた男だ。
ということは、あの水色の髪は……
私の心の中に積もりに積もった憎悪が、一瞬にして激しい殺意に変わった。
ロマーヌの娘のことなど、もうどうでもいい。
姉を殺そう。
私をこんな目にあわせた姉を、今なら殺すことができるのだ。
姉が愛され幸せになるなんて、そんなこと認められるわけがない。
私は短剣を両手でしっかりと握りしめ、走った。
だが、私の刃は黒い騎士服の男と水色の竜により阻まれ姉に届くことはなく、私は全身傷だらけになって拘束された。
姉を含む竜騎士団が王都へ帰還してすぐ、私は荷物のように馬の鞍に括りつけられ、デュラクの外にある森の奥へと運ばれた。
「本当は罪人をこの岩に縛りつけることになってるんだが、おめぇにはそこまでする必要もなさそうだな」
男は私を細長い岩の横にどさっと投げおろした。
衝撃が傷に響いて、私は顔を顰めた。
「これだけは返してもらうぞ」
私の首につけられていた、声を封じる魔法具が外された。
これで、久しぶりに声が出せるようになった。
「私を、どうするつもりなの」
尋ねてみたが、男からの返事はない。
男はただ冷めた目で私を見て、踵を返した。
「待って、待ってよ、私をこんなところに置いていくの!?」
必死で呼び止めたのに、男は振り返ることもなく馬に乗って去って行った。
足の骨が折れている私は、それをただ見送ることしかできなかった。
深い森の中、私は一人きりで放置された。
ロマーヌが言っていた。ここには魔物が出るのだと……
斬首でも縛り首でもない、これがデュラクの処刑なのだと私にもやっと理解ができた。
どこで間違ったのだろう。
私の何が悪かったのだろう。
姉もロマーヌも幸せなのに、なんで私だけこんなところで死ななくてはいけないのだろう。
「なんで……なんでよぉ……」
どれだけ泣いても、どれだけ涙を流しても、誰も助けに来てはくれなかった。