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それから私とノエは何度か治癒魔法を竜と竜騎士たちにかけてまわった。
レアンドルが「大人しくしてろー!」と叫んでいたような気がしたが、聞こえなかったことにする。
上空を飛び回っているだけで、前線には降りてはいないのだからおじ様との約束を破ったことにはならないはずだ。多分。
『ジョゼ!後発隊が来るよ!』
大量の物資を運んでいる後発隊ももうすぐ到着するとノエが教えてくれた。
「王都から物資を竜たちが運んできます!広い場所を空けるよう伝えてください!」
近くにいた兵が慌てて走って行った。
しばらくすると、背後からわっと歓声が上がり、六頭の竜の姿が夜空に見えてきた。
毒に侵されたリディを運んだ時のように、頑丈な網に包んで物資を運んできてくれたのだ。
竜たちはゆっくりと降下し、領都の中に網ごと物資を降ろすと、そのまま魔物が押し寄せてくる前線へと一直線に飛んでいった。
これで前線も楽になるだろう。
同時に、体力と魔力を消耗した竜が、休憩に後退してくるかもしれない。
「ノエ!物資の整理に行くわよ!」
『はーい!』
案の定、デュラクの人々は運ばれてきた木箱を開けて困惑している。
竜の食べ物や薬などは、普通の人たちには見慣れないものばかりなのだ。
「その箱の中身は、竜たちの食料です。こちらに並べてください。
それから、竜たちのために飲み水を準備してください!」
人々が慌ただしく動き出し、私が次々と箱を開けて中身の仕分けをしているところに、マノンとネリーとドニが戻ってきた。
三頭ともまだ若い竜で、経験も浅く魔力も少な目なため、既にバテてしまったようだ。
『ジョゼ~。疲れたよぉ』
「お疲れ様!レニーの実があるわよ」
『やったー!』
竜たちはぱくぱくと食事を始め、その背から降りた竜騎士たちも水を飲んだりして一休みをしてる。
「ジョゼちゃん、さっきはありがとうな。おかげで助かったよ」
「ローランさんもマノンも無事でよかったです。
おじ様には、怒られるかもしれませんけど」
「団長より、レアンドルに怒られると思うよ」
「……そうでしょうね」
苦笑するローランさんに、私も苦笑を返した。
『ジョゼ!今度はパスカルが怪我したみたい!』
「了解!ローランさん、また行ってきます!」
私とノエはまた前線の上空に向かった。
そうこうしているうちに、次第に東の空が明るくなり、ついに温かな朝日が夜の暗闇を切り裂いた。
押し寄せる魔物の数も減ってきている。
スタンピードも、終わりが見えてきた。
竜たちはまだ大丈夫そうだが、一晩中戦い続けた竜騎士たちはそろそろ限界だろう。
早く終息しますように。誰かが倒れる前に。
私は祈るような気持ちで治癒魔法の水球を放ち続けた。
太陽が高く昇り、正午まであと数刻となったところで、やっと魔物が現れなくなった。
小さな兎くらいの魔物がたまにぴょこぴょこと山を下ってくるが、あれくらいなら城壁で待ち構えている弓兵がさっさと始末してくれる。
竜たちが領都の中にある広場に集結し、領主様がスタンピードの集結を宣言すると、わぁっと今までで一番大きな歓声が上がった。
さっきまで姿が見えなかった女性や子供もたくさんいる。
地下かどこかに隠れていたのだろう。
明るい笑顔で竜騎士団に手を振る人々に、竜騎士たちも疲労の色が濃いながらも晴れやかな笑顔で手を振り返した。
ただ一人を除いて。
「ジョゼ」
怒りのオーラを纏って私の前に立つのは、昨日夫になったばかりのレアンドルだ。
「なぜあんな無茶をした」
「む、無茶はしてないわ。前線には降りなかったもの」
「あんたには、大事な役目があったはずだ」
「わかってる。忘れてなんかないわよ。
いざという時のために、ちゃんと魔力は温存してたのよ。
その証拠に、今もまだ魔力が残ってるでしょ」
それは本当だ。
おじ様が言っていたような最悪の事態にも備えて、私の最低限の魔力とノエの体力を残すことを念頭に置いて行動していた。
「心配かけてごめんなさい、レアンドル。
私にもできることがあるのに、見て見ぬふりはできなかったのよ」
それも、命に係るようなことだったのだ。
竜も竜騎士も強いのはよくわかっているが、多勢に無勢ではどうなるかわからない。
誰にも死んでほしくなくて、私も必死だったのだ。
前世の時は、私とロイクだけでなく友達の騎士たちも全滅してしまったのだから。
レアンドルはぎゅっと私を抱きしめた。
「無事でよかった……あんたが、魔物の上を飛んでるのを見た時、肝が冷えた」
私も広い背中に腕をまわして、力いっぱい抱きしめた。
温かな体温に包まれると、緊張が緩んで少し涙が滲んだ。
「レアンドルも、無事でよかったわ。
私たち、スタンピードを生き延びたのね」
「ああ。もう大丈夫だ。もう誰も死ぬことはない」
力強い鼓動が聞こえる。
これがもし止まったら、きっと私の鼓動も止まってしまうだろう。
そうならなくてよかった。
これからもずっと、一緒に鼓動を刻み続けるのだ。
「お~い、そういうのは後で二人だけのときにやってくれよ~」
ローランさんの冷やかす声。
「うるせぇ!俺たちは昨日結婚したばっかなんだぞ!
少しくらい大目に見ろよ!」
言い返すレアンドルに、周囲は和やかな笑いに包まれた。
私もつられて笑って、レアンドルの顔を見上げようとした瞬間、乱暴に突き飛ばされて不格好に石畳の上に倒れてしまった。
なにが起こったのかわからず混乱しつつも、私は慌てて起き上がった。
さっきまで私がいたレアンドルの腕の中に、薄汚れた服を着た知らない女がいるのが見えた。
茶色く短い髪が乱れて顔にかかっているので、その表情は見えない。
誰?レアンドルになにをしているの?
そんな疑問が脳裏をよぎった時、苦し気に眉を寄せたレアンドルの体が後に倒れていく。
レアンドル?どうしたの?
そう問いかける前に、女が手にしているものが視界に入った。
それは、短剣だった。
真っ赤な血に濡れた短剣を、女はしっかりと両手で握りしめていたのだ。
女は私に向き直ると、激しい殺意に昏く光る瞳で私を睨みつけ、レアンドルの血にまみれた短剣を振りかざした。
どういうわけかこの女は、私を殺したいほど憎んでいるのだ。
レアンドルは私を庇って、私の代わりに刺されてしまったのだ。
------レアンドル!
誰かの鋭い悲鳴が響いた。
そして、女の刃が私に届く前に、
「キュオオオオ!」
『やめろー!ジョゼをいじめるな!』
水色の塊が女を勢いよく弾き飛ばした。
ノエだ。
ノエが女に体当たりして、私を守ってくれたのだ。
私は飛ばされた女がどこに落下したのかを見届けることもせず、全速力でレアンドルに駆け寄った。
「レアンドル!」
「……ジョ、ゼ」
まだ意識はある。
私は乱れそうになる意識を集中し、深呼吸をしながら治癒魔法をかけた。
大丈夫。まだ魔力はある。
できたばかりの新しい傷だ。
どれだけ深くても、ちゃんと治癒できるはずだ。
レアンドルが腹部を押さえている手の指の間から、鮮血が流れていく。
まずはこの血を止めなくては。
前世の私はロイクを守れなかった。
ロイクは私の目の前で魔物に殺されてしまった。
私はまた守れないのか。
また目の前で死なせてしまうのか。
「死なないで……レアンドル……私を、置いていかないで」
涙が零れ、愛するものを再び失う恐怖で体が震える。
嫌だ。また失うのは嫌。
あの魂が引き裂かれる痛みは、もう二度と味わいたくない。
「死なないで……死なないで……」
誰かがなにかを言いながら、私の肩を掴んで揺すったが、そんなことに構ってはいられなかった。
私は全力で治癒魔法を注ぎ込み続けた。
視界が暗くなっていく。
魔力切れはもうすぐそこだ。
ついに限界を迎え、力を失った私の体は誰かに抱きとめられたようだ。
もしレアンドルが助からないのなら、私もこのまま二度と目覚めることがありませんように。
そう願いながら、私の意識は闇に沈んだ。