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一度宿舎に戻って、いつもの黒い騎士服に着替えてから厩舎に向かうと、既に竜たちには鞍が取り付けられ、出立の準備が着々と進められていた。
「ジョゼ、レアンドル、こんなことになってすまない」
「やめてください。おじ様のせいではありません。
魔物はいつだって空気を読んでくれないんですから」
「そうですよ。
結婚式は終わらせたし、ジョゼの花嫁姿も見れましたからね。
もうそれで俺は満足してます」
夫婦になる儀式は最低限済ませたのだから、とりあえずそれでいいと私もレアンドルも思っている。
「それで、スタンピードはどこで発生したのですか」
「ランドン山の中腹あたりらしい。
そこから魔物が山裾に降りてきているのだそうだ」
ランドン山というのは、王都から馬車で北に向かって一か月くらいはかかる辺境の地デュラクにある、隣国との国境にもなっている山だ。
山頂は一年中雪で覆われているくらい標高が高く、中腹から上は切り立った崖か岩がゴロゴロしているところしかない、と習った。
前世でそのような感じの山にしばらく棲んだが、寒くてすぐに移動したという記憶がある。
もしかしたら、あれがランドン山だったかもしれない。確信はないが。
「ランドン山……遠いですね。今からすぐ出立しても、到着は夜中でしょうね」
「そうだな。
辺境なだけあって、デュラクの兵は屈強だが、ここまで伝書烏が飛んで来るだけでも丸一日はかかっている。
もう猶予はない」
おじ様の青紫の瞳が真っすぐに私を見た。
「ジョゼにも遠征に加わってもらう。
前線には出なくていいから、後方で負傷者に治癒魔法をかけてくれ」
「はい!頑張ります!」
私は元気よく応えたが、レアンドルからは奥歯を噛みしめる音がした。
「王都をがら空きにするわけにはいかないから、契約していない竜五頭と、モーリスは王都に残す」
モーリスさんは三十代の竜騎士で、先々月くらいに運悪く病気で体調を崩してしまい、少し前に復帰したばかりなのだ。
まだ病気をする前の体力には戻っていないそうだが、実直な人柄で陛下や騎士団からの信頼も厚く、竜たちも慕っているから適任だろう。
「他は二班に分ける。
先発隊はとにかく到着を急いで、後発隊は物資を運びながら移動する。
俺たちは三人とも先発隊だ」
「待ってください!ジョゼもですか!?」
「既に負傷者が多数でている可能性がある。
ジョゼは到着したら、救護に直行してほしい」
「わかりました!」
「ジョゼとノエは、いざとなったら伝令として王都まで飛んでもらうことになる。
だから、絶対に前線には出るな。
最悪の場合は、俺たちを全員見捨ててでも帰還して戦況を伝えろ。いいな?」
つまり、三百年前のイヴェットの役目を、今回は私が担うわけだ。
その状況のことを考えると、咄嗟に返事ができなかった。
私がそうしなければいけなくなった時、レアンドルたちは……
前世の私が死ぬ直前の光景が脳裏に蘇って動けなくなった私の肩を、レアンドルはがしっと掴んで、正面から私の瞳を覗き込んだ。
「ジョゼ。もしそうなったら、一人だけでも逃げると約束しろ」
「でも、レアンドル」
「頼むから言うことを聞いてくれ。あんたを心配しながらだと、俺は集中できない」
目の前の魔物の群れに集中できないまま立ち向かうなんて、危険すぎる。
そんなことさせられるわけがない。
「……わ、わかったわ。約束します」
「よし。いい子だ」
おじ様は一瞬だけいつものように瞳を細めて頭を撫でてくれた。
それからおじ様もレアンドルも忙しそうに出立の準備を進め、私は邪魔にならないように竜たちのところで待機することにした。
じっとしていると、どうしても前世のことを思い出して、悪い未来を予想してしまう。
前世では、私とロイクだけでなく、一緒に戦った友達の騎士たちも全滅してしまったのだ。
またそうなったらと思うと、恐ろしくて体が震える。
『姉さん、大丈夫よ。
今はこんなにたくさん竜がいるんだもの。
私もブリュノも、あの頃の姉さんに負けないくらい強いのよ』
『そうだぞ、ジョゼ。なにも心配することはない。
私たちもだが、竜騎士たちの技量もなかなかのものだ。
のんびり高みの見物でもしているといい』
私の気持ちを察したらしいイヴェットとブリュノが励ましてくれた。
そうだ。三百年前のメサジュには、竜は私だけで、竜騎士はロイクしかいなかった。
今は、おじ様やレアンドルを含め、二十人もの竜騎士がいる。
『ジョゼ。私も頑張りますから』
そう言ったのは、新入りのリディだ。
新入りではあるが、リディはおそらくイヴェットやブリュノより長く生きている。
穏やかで賢く、経験豊富で、とても頼りになる竜だ。
レアンドルと契約してまだ日が浅いが、既に息の合った動きで連携が取れるようになっているそうだ。
イヴェットとブリュノと、リディ。三頭の巨竜。
他にも、それぞれの特性を持ち、訓練を重ねた竜たちがいる。
スタンピードくらいで、どうにかなるはずがない。
「そうよね。
皆とても強いんだもの。負けるはずがないわよね。
怪我しても、私が治癒すればいいんだし。
さっさと片づけて、皆でお祝いしましょうね!」
『おーーー!』
ゴオオオオオ!
私の声に応えて、興奮したマノンが空に向かって炎のブレスを吐いた。
魔物を狩るのが大好きで闘争心が旺盛なマノンは、魔物狩り放題のスタンピードが楽しみでしかたがないのだ。
私たちからしたら、「あーまたやってる」くらいにしか思わないが、竜に慣れていない人々はその火力に悲鳴を上げた。
中には腰を抜かしたようで、地面に座り込んでしまった文官もいる。
『こら!マノン!魔力を無駄遣いするんじゃない!』
『全く、落ち着きのない……もうすぐ出立だから、大人しくしていなさい』
イヴェットとブリュノに怒られ、しゅんとしたマノンを撫でてあげた。
「マノンはとっても強いものね。活躍を期待してるわ。頑張ってね」
『うん!頑張るから、見ててね!』
マノンは嬉しそうに翼をパタパタと動かした。
『ジョゼ!僕も頑張るよ!』
「ノエ、私たちは前線には出ないわ」
『えー!僕も魔物狩りしたいよぉ!』
キュルキュルと抗議するノエ。
可愛いくてつい頬が緩んでしまうが、ここできちんと言い聞かせないといけない。
「私の役目は、怪我をした人たちに治癒魔法をかけることなの。
私がいれば、たくさんの人を救うことができる。
ノエの役目は、そんな私を守ること。
私もノエも、責任重大なのよ」
『責任重大なの?僕も?』
「そうよ。
場合によっては、魔物狩りより大変かもしれないわ。
だから、ノエに手伝ってほしいの。
私だけじゃ、きっと無理だから」
『わかった!僕、ジョゼのお手伝いするよ!』
「ありがとう、ノエ。頼りにしてるわ』
ノエはとってもいい子だ。
リディ以外の成竜たちにも可愛がられ、稽古をつけてもらったりして、目覚ましい成長ぶりを見せている。
前線には出なくても、このスタンピードはきっといい経験になるだろう。
『ジョゼ、息子をお願いしますね』
「わかってるわ。ノエは、私が必ず守るから。
リディも、レアンドルのことお願いね』
『はい。レアンドルのことは、私に任せてください』
リディもノエも、とても頼もしい。
スタンピードの発生が、この二頭が竜騎士団に馴染んだ後であったのは、幸運だったと言えるだろう。
「先発隊!出立するぞ!」
おじ様の号令が響いた。
先発隊の竜騎士はそれぞれ自分の竜に乗り、声を掛けながら手綱をしっかりと掴んだ。
きっと大丈夫。
誰も死んだりしない。
誰も死なせはしない。
おじ様を乗せたイヴェットが飛び立ち、それに他の竜たちも続く。
『行くよー!』
私を乗せたノエも、元気よく翼を広げて羽ばたいた。