㉕ パトリック視点
フランセットは三日間眠り続けた。
その間、義姉上が貸してくれた侍女が面倒を見てくれて、俺もたまに様子を見に行った。
青白い顔の痩せた少女。
医師によると、栄養失調になっているのだそうだ。
ただ、どういうわけか魔力量が激増していて、医師にもその理由はわからないということだった。
それから、オクレール公爵家の調査報告も上がってきた。
まず、公爵夫妻は完全なる政略結婚で、お互いに愛情はない。
フランセットは生まれてすぐにマルスランと婚約し、幼いころは普通に公爵令嬢として育てられていた。
それが変わったのは、六歳で魔力測定を受けてからだった。
フランセットの魔力が高位貴族にしては少ないと判明したのだ。
公爵夫妻はあっさりとフランセットを見限った。
それ以前から、珍しい水色の髪で両親のどちらにも似ていない長女に冷淡だったのだそうだ。
王家にも魔力が少ないことを理由に婚約解消を申し出たが、臣籍降下予定の第三王子の婚約者なのだから、魔力量は関係ないと却下された。
当時すでに第一王子が立太子しており、第二王子はその補佐としての立場を確立していたので、野心を持った第三王子派が形成され面倒なことになるのを防ぐ目的もあった。
王子との婚約は続行されたというのに、公爵家でフランセットは冷遇されるようになった。
最低限の教養をつけるために家庭教師はいたが、フランセットの身の回りの世話をするメイドはいなかった。
ベアトリスはそんな姉を見下し、気に入らないことがあるとフランセットの食事を抜くように使用人に指示したりしていた。
こんな扱いでは、フランセットが痩せてみすぼらしくなるのも当然だ。
それなのに、マルスランはそれを罵るばかりで助けようともしなかったばかりか、妹のベアトリスと親密になっていた。
使用人の証言によると、この二人はもうとっくに同衾しているらしい。
婚約者に贈り物をするための予算も、全てベアトリスに使われていた。
そして、そんなことになっていることを、公爵夫妻は気づきもしなかった。
気が向いた時だけベアトリスを可愛がり、フランセットのことは視界に入れることすらしなかった。
そんなだから、夜会の時にフランセットがいつの時代の代物かもわからないような古いドレスを着ていることすら気がつかなかったのだ。
使用人に任せておけば、娘は勝手に育つと思っていたそうだ。
それだけ家庭に無関心だったわけだ。
この辺りは、マルスランをアホのまま放置してしまった王族も他人のことを言う資格はないのだが、それにしても酷すぎる。
フランセットがこんな境遇になっていることに気づいてやれなかったことが申し訳なくて、思わず溜息がもれた。
先代のオクレール公爵は真面目で手堅い領地経営をしていたが、今の公爵は散財するばかりで、領地のことは家令に丸投げしているという報告もあった。
今のままだと、借金で首が回らなくなるのも時間の問題なのだそうだ。
どいつもこいつも、なにやってんだよ……と、また王族全員で頭を抱えたのは言うまでもない。
フランセットが目覚めたのは、そんな時だった。
折れそうなほど痩せ細ってはいるが、しっかりとした足取りでフランセットは俺が待つサロンにやってきた。
藍色の瞳には強い意志の光が宿り、とても落ち着いた様子だ。
媚びもせず怯えもせず、真正面から俺を見るその態度には好感が持てる。
いい娘ではないか。
これのどこがみすぼらしいというのか。
やはりマルスランはアホだな。
そんな印象だったのだが、その後にフランセットの口から語られたことに、俺は驚愕した。
なんと、フランセットの前世は竜で、しかもあの英雄ロイクと契約していたジョゼだったというのだ。
そんなことあり得るのか?と思ったが、三百年前のメサジュの様子や、スタンピードで命を落とした時の凄惨な情景などが、なんとも生々しいというか、年若い令嬢の想像力だけで作り上げた話には思えなかった。
それに、フランセットの魔力が突然増えたのは事実だ。
記憶と同時に魔力も戻ってきたというなら、説明がつくような気がする。
もちろん、そんな話など聞いたこともないのだが、他に考えようもない。
フランセットに乞われて竜たちのいる厩舎に連れて行くと、そこでもまた驚くべきことが起こった。
イヴェットが待ち構えていて、フランセットはイヴェットに抱きついて泣き出したのだ。
イヴェットからも、歓喜の感情が伝わってくる。
イヴェットはアングラード竜騎士団の最古の竜で、竜のジョゼに育てられていたはずだ。
ということは、三百年ぶりに再会を果たした、ということなのだろうか。
それから、フランセットとイヴェットは当然のように仲良くおしゃべりを始めた。
そう、おしゃべりをしているのだ。
人間と竜が。
契約しているわけでもないのに。
マジかよ……
マジなのかよ……
他の竜や竜騎士たちも、フランセットたちを目を丸くして見ている。
いい笑顔になったフランセットは、有難いことに竜騎士団で働きたいと言い出した。
それは、俺からしたら願ってもないことだった。
竜とここまで細かい意志疎通ができるなら、手伝いをしてもらいたいことがたくさんあるのだ。
俺は、俺のことをおじ様と呼ぶことを条件にそれを受け入れた。
フランセットもフランセットで、ジョゼと名前を変えると言い出し、俺より先にイヴェットがそれを喜んで受け入れた。
こうして、フランセットはジョゼとして竜騎士団の一員となった。
ジョゼは竜たちに懐かれ、竜騎士団の職員たちにも可愛がられて、楽しそうに働くようになった。
今の厩務員は既婚者ばかりで若い女に手を出すようなやつらではないので、安心してジョゼを任せることができたのは幸いだった。
俺も俺で、令嬢らしくないジョゼを可愛く思うようになった。
もちろん異性としてではなく、妹とかそんな感じだ。
そう思っているのは他の竜騎士団員も同じで、ジョゼを皆で温かく見守っていた。
各方面でのジョゼの評価は上々で、これなら嫁ぎ先にも困らなさそうだ、と思っていた。
それなのに。
遠征から帰還したレアンドルを見たジョゼは、レアンドルが英雄ロイクの生まれ変わりだと言い出した。
レアンドルが竜に好かれるのは英雄ロイクの生まれ変わりだからで、そのために竜と契約ができない状態になっているらしい。
そして、それを解決するには、レアンドルとジョゼが……シないといけない、と言うのだ。
レアンドルの祖父は先代の竜騎士団長で、俺もとてもお世話になった。
豪快で懐が深く、長い間俺の目標でもあった。
そんな縁もあり、レアンドルのことは士官学校に入る前から知っていた。
レアンドルがどれだけ竜騎士に憧れていたのかも、よく知っていた。
だから、竜と契約できなくても竜騎士に取り立てたのだが、それが逆にレアンドルを苦しめることにもなってしまっていることも、よくわかっていた。
レアンドルが本当の意味で竜騎士になれるなら、俺だって嬉しい。
嬉しいのだが……
そうなるための条件に、俺は頭を抱えた。
オクレール公爵家の使用人たちによると、フランセットはいつも俯いていて虐げられっぱなしで、なにかあっても言い返すこともできなかったそうだ。
きっと、気弱なごく普通の女の子だったのだろう。
前世の記憶が戻ってジョゼになってから、良くも悪くも性格が大きく変わったようだ。
俺を脅して婚約解消を勝ち取ったり、レアンドルに露骨に迫ったり、驚かされるばかりだ。
それなりに遊んでいるはずのレアンドルも慄いていた。
どうなることやらと思っていたら、ブリュノにアドバイスをもらったとのことで二人は城下町デートに行くと言い出した。
本当は俺がそのうち連れて行ってやろうと思っていたのだが、それならそれでいいだろう。
若い二人で楽しんで来るといい、と我ながら年寄りみたいなことを思いながら送り出した。
「おじ様!これ、レアンドルに貰ったんですよ!」
その翌日、ジョゼは赤い石のついたネックレスを嬉しそうに見せてくれた。
それ……完全にレアンドルの色じゃないか。
「あー……よかったな。デートは楽しかったか?」
「はい!また行こうねって約束しました!」
……なにはともあれ、仲良くなったようでなによりだ。
それから休日の度に二人は手をつないで出かけるようになったのに、それから先にはなかなか進展しなかった。
ジョゼはレアンドルを信頼しているようだが、それが恋情なのかどうかはよくわからない。
その一方で、レアンドルの方はジョゼにほんのりと執着するようになった。
時間が許す限りジョゼの側に張りつき、他の男を遠ざけようとするレアンドルに、竜騎士団全体が生暖かい目を向けていた。
「まさかレアンドルが、あんなになるとは……
事実は小説より奇なり、でしたっけ」
レアンドルと一番仲が良いローランも半笑いになっていた。
俺としては、レアンドルにならジョゼを任せてもいいと思っているし、注目を集めるようになったジョゼの身を守るためにも、レアンドルとどうにかなってくれた方が安心なのだが。
友達以上恋人未満の関係を維持し続ける二人の背中を押すため、ジョゼに飛行訓練をさせることになった。
もちろん教えるのはレアンドルだ。
前世の記憶のおかげで竜に乗るのも空を飛ぶのも全く抵抗がないようで、ジョゼはすぐに慣れた。
そして、なんだかんだで竜騎士団に新たな竜が二頭も加わった。
イヴェットとほぼ同格の白い巨竜と、その息子である水色の幼竜だ。
しかも、巨竜がレアンドルと契約できるという。
それでやっとレアンドルがその気になったらしく、二人は婚約すると嬉しそうに報告しに来た。
恋人を通り越して婚約か!と思わなくもなかった、そっちの方が有難い。
二人に休暇を与え、さっさとやることやってしまえと婚前旅行に送り出した。
五日後に、二人はすっかり新婚夫婦のような雰囲気になって帰ってきた。
どうやら上手くいったようだ、と胸を撫でおろした直後、ジョゼの項に赤い痕を見つけて思わず天を仰いだ。
どう考えても、見せつけるためにつけた痕だった。
レアンドルめ……どちらかといえば淡泊なやつだと思ってたのに。
レアンドルの赤い瞳にジョゼが映ると、そこには執着と愛情の光が宿る。
キラッとか、ピカッ、ではなく、ドロッという効果音がついていそうな光に見えるのは俺の気のせいだろうか。
お披露目会でジョゼが着るドレスにも、「女の服のことは俺にはわからねぇから、お任せします」とか言っておいて、しっかり色だけは指定してきた。
ちゃんと似合ってたからまぁいいんだが、完全にレアンドルの色だった。
レアンドルが女にここまで執着するとは……
これも前世からの縁があるせいなのだろうか。
今のところ、ジョゼは幸せそうに見える。
ジョゼの方も、レアンドルを愛しているのがよくわかる。
ジョゼは賢い娘だが、男女間の機微には疎いようで、レアンドルの愛がどれだけ重たいかがよくわかっていないのが幸いだ。
幸い……?幸い、ってことでいいのか?
「ちょ、レアンドル!まだ片付けとかあるのに!」
お披露目会が無事に終わり、厩舎に足を向けてみると、黒いドレスを着たジョゼを担いだレアンドルが厩舎から足早に出てくるところだった。
「そんな恰好でなにを片づけるってんだ。他のやつらに任せとけ。
まったく、そんな胸元が開いたデザインにしやがって」
俺から見ても、ジョゼのドレスの胸元は普通だったと思う。
あれだけ自分の色を纏わせておいて、まだ満足できないらしい。
「なに言ってるの?これくらい普通よ!」
「男どもがやらしい目で見てたじゃねぇか」
「皆が見てたのは私じゃなくてノエよ!」
これは重症だな……
残念なことに、この病気にはつける薬もない。
「リディ!ノエ!おじ様も!お疲れさまでした!」
ジョゼは無邪気に手を振りながら、レアンドルに攫われるように連れ去られた。
今日からあの二人は新居で一緒に暮らすことになっている二人を、複雑な気分で見送った。
とにかく、上司として後見人として、これからも二人を見守っていこう。




