⑲
レアンドルは手早く荷物を纏め、ドロテに鞍をとりつけた。
そうしてしばらく待っていると、ユーグの見慣れたオレンジ色が青空の中に見えてきた。
その後には……見たことのない水色の竜がいる。
二頭の竜は私たちの前に着地した。
ユーグはいつも通りのふわりとした着地だったが、水色の竜はべちゃっと地面に倒れこんだ。
『ジョゼ!この子に治癒魔法をかけてあげて!』
どうやら具合が悪いらしい。
私は慌てて駆け寄って、水色の鱗に触れて治癒魔法をかけた。
「いったい何があったの?」
『母さんが、動けなくなっちゃんたんだ。お願い助けて』
水色の竜はまだ幼い。
まだ二十歳にもなっていないくらいではないだろうか。
竜騎士団にいる竜の中で一番若いコラリーよりも二回りくらい小さい。
『話を聞く限り、どうやら魔毒蛙にやられたらしい』
「なるほど……」
魔毒蛙なら、私も知っている。
人間なら少し触れただけで死んでしまうくらい強力な毒を吹きかけてくる蛙の形をした魔物だ。
見ると、水色の尻尾の先の方が黒く変色している。
どうやら、この子も毒を浴びてしまって、それで弱っているようだ。
治癒魔法は怪我を癒し体力も回復してくれるが、体内の毒を消すことはできない。
「レアンドル。この子と、この子のお母さんが魔毒蛙にやられたんだって」
「魔毒蛙!?ってことは」
「ルフェの実ね」
ルフェの実というのは、魔毒蛙の毒を中和することができる唯一の素材なのだが、真冬にしか収穫することができない。
この幼い竜と母親も、ルフェの実を探し回っていたのだろう。
「レアンドル、この子たちにルフェの実を使う許可が下りるかしら」
『あるの!?あの木の実、持ってるの!?』
ぐったりしていた幼竜の紫の瞳が期待で輝いた。
「ここにはないけど、王都に行けばあるわ」
薬草管理室では、魔毒蛙がどの季節に現れてもいいように乾燥させたルフェの実が保管してある。
「下りるはずだ。アングラードにとって、竜はなくてはならない存在だからな。
野生の竜だからって見捨てたりしねぇよ」
言いながらレアンドルはユーグに素早く鞍を取り付けた。
「俺は王都に戻って、このことを団長に報告してルフェの実を持ってくる」
幸いにもユーグは風魔法が得意で、竜騎士団の竜の中では一番飛行速度が速い竜だ。
ユーグが全速力で飛べば往路の半分くらいの時間で王都に到着するだろう。
「私は、この子のお母さんのところに行って治癒魔法をかけることにするわ」
「わかった。気をつけろよ。ドロテ、ジョゼを頼んだぞ」
『任せて!ジョゼには私がついてるから、安心して行ってきて!』
レアンドルを乗せたユーグは、疾風のような速さで飛び去った。
ふたりの姿が見えなくなった頃、私は治癒魔法を止めた。
「よし、もう動けるようになったんじゃない?」
『ありがとう!随分楽になったよ』
一時しのぎではあるが、体力が回復した水色の竜はしっかりと立ち上がった。
「ルフェの実はレアンドルたちが持ってきてくれるわ。
あなたのお母さんのところに案内してくれる?」
『わかった!ついてきて!』
水色の竜は小さいながらも懸命に飛び、私たちを母親のところへ導いた。
『お母さん!木の実はみつからなかったけど、助けてくれる人間を連れてきたよ!』
力なく地面に横たわっているのは、真珠のような光沢の白い鱗をした、イヴェットと同じくらい大きな竜だった。
かなり広範囲に毒を浴びてしまったようで、右側の脇腹から背中にかけて、どす黒く変色している。
ほんの少し瞼を開いて私たちを見ただけで、他にはなんの反応もない。
もう声を出す体力もないのだろう。
「大丈夫。助けてあげるから、もう少し頑張ってね」
私は慎重に治癒魔法をかけ始めた。
この竜のように、毒で瀕死になっている状態を魔法で無理矢理に治癒しようとすると、かえってダメージを与えてしまう可能性があると聞いている。
治癒魔法の基本は、症状が酷い時こそ焦らず落ち着いて少しずつゆっくりと、ということを訓練を通して私もしっかりと叩き込まれている。
治癒魔法の訓練をしておいて本当によかった。
おじ様に感謝しなくては。
『お母さん、助かるよね?死なないよね?』
『大丈夫よ。治癒魔法をかけてるんだから、これ以上悪くはならないわ。
ルフェの実が届くまでの辛抱よ』
ドロテは落ち着かない水色の竜を宥めている。
ドロテのいう通り、これ以上悪化はしないが、なにせ大量の猛毒を浴びているので、毒からのダメージと治癒が拮抗している状態だ。
悪化はしないが、良くもならない。
ルフェの実が届く前に私の魔力が尽きたら、この竜は死んでしまうかもしれない。
レアンドルが早く戻ってきてくれることを祈りながら、私は意識を治癒魔法に集中し続けた。
『あ!戻ってきた!イヴェットたちもいるわ!』
日が傾き私の魔力が底をつき始めたころに、ドロテの明るい声が響いて、私は額の汗を拭いながら胸を撫でおろした。
王都のある方角の空を見ていると、なんと七頭もの竜が見えた。
「ジョゼ!無事か!」
「おじ様、間に合ってよかったです」
おじ様が真っ先に私に駆け寄ってきた。
「もしかして、ずっと治癒魔法かけてたのか?」
「はい、そうしないと危ない状態でしたから」
「なんて無茶なことを!」
「私は魔力量が多いので大丈夫ですよ」
「魔力切れを起こしたらどうするつもりだったんだ!」
「ドロテが守ってくれますから」
そんなことを言っている間に、竜騎士たちはルフェの実を乾燥させ粉末状に砕いたものをどす黒い毒の上にパラパラと振りかけた。
それから、白い竜の口をこじ開けて、同じ粉末を水に溶かしたものを飲ませた。
こうすることで体の内側と外側の両方から毒が中和されるのだ。
じわじわと中和がすすみ、私の治癒魔法により白い竜の体力が回復してきているのを感じる。
ここまでくれば、もう心配ないだろう。
気が抜けた途端に眩暈がして、私は地面にペタリと座り込んだ。
『ジョゼ、よく頑張ったな。この竜はもう大丈夫だ』
『姉さん、無理しないで。これ以上は姉さんが危険だわ』
ブリュノとイヴェットに言われて、数刻の間かけ続けていた治癒魔法を停止した。
『母さん!母さんが目を開けた!』
幼い竜の嬉しそうな声。
『白いあなた。まだ話すのも辛いでしょうから、聞くだけ聞いて。
私はイヴェット。人間と契約しているの。
治療のために、今からあなたを人間の都に運ぶわ。
人間は薬をたくさん持ってるし、竜に関する知識もあるのよ。
あなたとあなたの子の安全は私が保証するから、安心してね』
白い竜はゆっくりと瞬きをした。
どうやら了承してくれたようだ。
どうやってこの大きな竜を王都まで運ぶのだろう?と思っていたら、ブリュノの背中から網が降ろされた。
これはとても頑丈な素材でできた網で、この網で白い竜を包んで、網の端を六頭の竜がそれぞれ掴んで王都まで飛ぶ、という流れらしい。
こうやって重くて大きいものを運ぶことはたまにあるそうで、竜も竜騎士たちも手慣れたものだ。
それぞれがてきぱきと動き、あっという間に全員で飛び立った。
水色の竜は、自力で飛べるということなので問題ない。
私はというと、魔力を消費しすぎて立ち上がることもできなかったので、レアンドルに抱えられて二人乗りで飛んでいる。
おじ様とレアンドルが、どっちが私を乗せるかで少し揉めていたようだが、レアンドルがやや強引に私を抱え上げてユーグに飛び乗ったのだ。
温かな体温に包まれ、逞しい胸に埋めた頬で力強い鼓動を感じていると、ふわふわとした気分になって眠くなってきた。
「疲れただろう。眠ってていいぞ」
耳元で響く低い声が心地よい。
私は眠気に逆らわず瞳を閉じた。
眠りに落ちる寸前に、なにか柔らかいものが額に触れたような気がしたが、それがなにかはわからなかった。