⑭
私が竜のジョゼであったころの記憶を持っているということと、当時と同じ魔力を持っているということは、最初に伝えてあった。
私は竜騎士団の下働きなわけで、騎士ではない。
厩舎の掃除に使う以外で魔法を披露する機会なんてなくて、そんなことをする必要性も感じたことはなかった。
だから、私がベアトリスの魔法攻撃を防いで拘束までしたことが、そんなに驚かれるなんて思ってもいなかったのだ。
「なぁ、ジョゼ。魔法の訓練をしてみないか?」
ベアトリスに絡まれた翌日、難しい顔のおじ様に言われた。
「魔法の訓練ですか?私、竜だった時と同じように魔法が使えるんですよ。
今更訓練する必要ないと思いますけど」
「それでもだ。念のために訓練してみてほしい。
と、その前に、一度適性を調べてみないか?」
というわけで、私は魔道具で魔法の適性を調べてもらうことになった。
フランセットも小さいころに適性を調べたことがあったのだが、魔力量が少なすぎるためはっきりしたことがわからない、という結果だったはずだ。
少しドキドキしながら、水晶玉のような魔道具に手をかざした。
この魔道具は、適性とおおよその魔力量を調べることができるものだ。
炎魔法に適性があれば赤、氷魔法なら青というように光を放ち、その光は魔力量が多ければ多いほど強くなる。
手をかざしたまましばらく待つと、まず水色の眩いくらいの光が溢れだした。
水色はそのまま水魔法を示す光だ。
前世の私も水魔法が一番得意だったので、これは予想通り。
「凄まじい魔力量だな……俺より多いんじゃないか?」
おじ様が感嘆の声を上げた。
水色の光が消えると、次に控え目ながら白い光が零れた。
「おお!治癒魔法にも適性があるじゃないか!」
「へぇ、知りませんでした」
私とおじ様は揃って目を丸くした。
「ジョゼ、前世でも治癒魔法使えたのか?」
「いいえ、使えませんでした」
「それなら、やっぱり特訓しないと!
せっかく適性があるんだから、伸ばさないと勿体ないじゃないか。
訓練中に怪我した騎士とかに治癒魔法をかけてくれたら一石二鳥だ」
「えー?そんなことしてたら、イヴェットたちと遊ぶ時間が減っちゃうじゃないですかぁ」
「その分、給料はずむからさ!頼むよ!」
「今のお給料でも私には十分すぎるくらいです」
『私からも頼むよ、ジョゼ。
今の竜騎士団には治癒魔法を使える人間も竜もいない。
ジョゼが使えたら、とても心強いのだ』
思わぬ援軍がおじ様の方に現れてしまった。
「う……ブリュノが、そう言うなら」
『それから、しっかり給料も上げてもらうんだぞ。
人間にとって、金とはとても大切なものだからな。
いざという時のために、ちゃんと貯めておきなさい』
ブリュノは、なんだか私のお父さんみたいだ。
「わかったわ。増えた分は貯金することにするわ』
「ブリュノは、金のことまでわかってるんだな……」
こうして、私は三日に一度くらい医務室に行って、怪我人や体調不良者に治癒魔法をかけることで訓練をすることになった。
治癒魔法が使える人は稀で、さらに私は魔力量が豊富だから治癒魔法を使える回数も多いので、結果としてとても有難がられることになった。
それから、私が竜だった時の記憶があるということが広く知られたため、英雄ロイクやメサジュに関する歴史を専門とする学者や、竜の生態の研究をしている研究員などにも協力を求められるようになった。
尋ねられるままに、ロイクが好きだった食べ物や、当時のメサジュの風習などを記憶にある限り教えてあげると、とても感動された。
竜に関しては、竜がどうやって契約する人間もしくは番を選ぶのかといったことから、以前のジョゼが好きだった木の実や、竜に効く薬草が生えている場所などを教えてあげた。
薬草に関しては、数百年前の記憶なので今もそこにあるという保証はないが、それでも貴重な薬草が手に入るなら行ってみる価値はある、ということだった。
竜の時は、薬草はただ食べるか、患部に貼り付けるくらいのことしかできなかったが、人間は器用なので、複数の薬草を混ぜ合わせたり、乾燥させたり、加熱して成分を変性させたりして、いくつもの効能のある薬を作り出しているのには感心させられた。
竜専用の薬の研究も、使用感を私を通して竜に尋ねることができるようになったため、今後はもっと発展する見込みなのだそうだ。
各方面から感謝され、私のお給料もドンと上乗せされて貯金も増え、皆ハッピーでいいことである。
この日は、午前中は厩舎で働き、午後からは薬草管理室で保管されている薬草を見ながらどう使うのかなどを教えてもらっていた。
「ジョゼ。そろそろ終業時間だぞ」
私が竜騎士団の外にいる時、できるだけ都合をつけてレアンドルが迎えに来てくれる。
「はぁい。じゃあ、また来週来ますね、エミールさん」
「お待ちしております、ジョゼさん」
エミールさんは五十代くらいの穏やかな薬師で、薬草管理室の副室長でもある。
竜好きなので、薬草管理室の中では最も竜の薬草に詳しいのだそうだ。
私にも興味津々で、とても親切にしてくれる。
医務室に通うようになってから、薬師や看護師とも知り合いになり、治癒魔法の訓練の傍らいろいろなことを教わるようになったのだ。
「お待たせ、レアンドル」
「おう。帰るぞ。今日も厩舎に寄っていくんだろ?」
「うん!今日はマノンに乗ってあげる約束なの。すっぽかしたら拗ねちゃうわ」
マノンは、イヴェットとブリュノの娘であるコラリーに次いで若く、美しい漆黒の鱗をした竜だ。
レアンドルと仲が良いローランさんと契約していて、魔物との戦闘では無謀なくらい恐れ知らずなのだそうだが、普段は少し甘えん坊なところがある可愛い女の子なのだ。
私が厩舎にいる時間が少なくなったのが竜たちには少し不満なようなので、終業後に余裕がある時はできるだけ竜たちと触れ合うようにしている。
私と同じくらい竜に好かれるレアンドルも、それに付き合ってくれることが多い。
「今日はね、薬草をたくさん覚えたのよ」
「そうか。楽しかったか?」
「ええ!来週は、簡単な傷薬をつくらせてくれるんだって!」
「大丈夫なのかよ?黒焦げクッキーをつくったのは一昨日のことじゃねぇか」
「あ……あれは!ちょっと、油断したっていうか……」
「その前は、砂糖と塩を間違えたとか言ってただろ。
料理の才能がねぇやつが、薬の調合なんて無謀すぎねぇか?」
「だって!料理なんて、したことなかったんだもん!
じゃあ、レアンドルはどうなの?料理できるの?」
「少なくとも、あんたよりはな。野営することもあるから、騎士は全員料理できるぞ」
「え~……レアンドルが料理って、なんか想像できないわ」
「そうか?それなら、今度なにかつくってやるよ。そうしたら、納得できるだろ」
「本当?レアンドルの料理、食べてみたいわ!」
私は料理が下手なのではなく、まだ経験値が低いだけなのだ。と思っている。
なにはともあれ、レアンドルの料理を食べるのは楽しみだ。
私たちはいつものように仲良くおしゃべりをしながら厩舎に向かった。
そして、厩舎の前で、すっかり存在を忘れていた顔見知りが待ち伏せしていた。
「フランセット!」
「あれ、マノンが見えないわ。どこかしら」
「フランセット!会いに来たよ!私に会えなくて寂しかっただろう?」
「厩舎の中かしら。お昼寝してるかもしれないわ」
「フランセット!無視するんじゃない!」
「お昼寝してたら、起こすのは可哀想よね」
「フランセット!フランセット・オクレール!返事くらいしろ!」
銀色の髪と青い瞳の青年が、私の捨てた名前を叫んでいる。
誰かはもちろん知っているが、相手をする気にはなれない。
「ジョゼ……明らかにあんたを呼んでるぞ」
「そうでしょうね。でも、私はもうフランセットじゃないもの。返事をする理由がないわ」
「フランセット!どういうつもりだ!?私を無視するというのか!」
「なんか似たようなことが前にもあったような……」
「そうだったわね。どちらにしろ、私にはもう関係がないことだわ」
私は喚き続ける男を視界に入れることすらせず、完全に無視して竜たちのところに向かおうとした。
「あれ、あんたの元婚約者だよな?」
「マルスラン・アングラード第三王子殿下よ。おじ様の甥ね」
『へぇ、あれがパトリックの甥なの。全然似てないわね』
寄ってきたイヴェットが会話に加わった。
「私もそう思うわ。血はつながっているはずなんだけどね」
おじ様は外側も内側もイケオジなのに、第三王子殿下は外側を取り繕っているだけで、内側はなんとも残念な仕上がりになってしまっているのだ。
国王陛下も王太子殿下も第二王子殿下も、それぞれ王族として立派に務めを果たしているのに、この差はどこから来たのだろうか。
「マノンはどこ?」
「フランセット!あの時のこと、まだ怒っているのかい?
あれは全部、間違いだったんだ!」
『ジョゼが来たら起こしてってお昼寝してるわ』
「あぁやっぱりね」
「私が愛しているのはきみだけだ!私は、あの女狐に誑かされていたんだ!
フランセット、きみなら信じてくれるよね!?」
「じゃ、起こしてあげなきゃね。厩舎の中にいる?」
「フランセット!どうか、私にもう一度チャンスをくれないか!
お願いだよ、フランセット!」
「起こす必要はねぇんじゃねぇか?だって、ほら」
「グゥオオオオオオオオ!!!」
『うるっさいわね!さっきからなんなのよ!』
いい気分でお昼寝していたところを、耳障りな喚き声で起こされてご機嫌斜めなマノンが、恐ろしい咆哮を上げながら厩舎から出てきた。
この恐ろしい咆哮というのは、一般の人に向けた意味で、私や竜に慣れている竜騎士団の人々には「あ、機嫌悪いんだな」と思うくらいだ。
「グオアアアアアア!!」
『この子はジョゼよ!フランセットなんてつまらない名前で呼ぶんじゃないわよ!
このスットコトッドイ!』
ずらりと鋭い牙が並んだ顎の奥で、赤い炎が揺らめいているのが見える。
「ひっ……ひぃぃぃっ」
マノンの迫力に、第三王子殿下はその場で尻もちをついた。
「グオアァウッ!グアアアッ!」
『さっさと消えなさいよ!あんた臭いのよ!』
「た、助けてくれ、フランセット」
「グアアアアッ!」
『だから、その名前を呼ぶんじゃない!』
「その辺で勘弁してやってくれ、マノン。
あそこにいる護衛騎士にすぐ引き取らせるから」
第三王子殿下の護衛騎士は、少し離れたところで立ち尽くしたままこちらを見ていた。
マノンの迫力に恐れをなして動けなかったのか、竜が人を傷つけることがないと知っていて動かなかったのか。
前者だったら護衛騎士失格だが、大丈夫なのだろうか。
レアンドルが声をかけると、護衛騎士はやっと動き出して、腰を抜かしたままの第三王子殿下を両脇から支えて去って行った。
「なにしに来たのかしら」
「愛してるとか言ってたってことは、あんたとよりを戻したかったんじゃねぇか?」
「えぇぇ、絶対無理だわ」
それ以前に、戻すよりなど存在しないのだが。
甘い言葉を口にするだけで私が口説き落とせるとでも思っていたのだろうか。
残念すぎて溜息も出ない。
『ジョゼ!早く遊ぼうよ!』
「そうね、マノン。背中に乗せてくれる?」
マノンは体を低くし、私はその背中によじ登った。
『レアンドルも乗って!』
「レアンドルにも乗ってほしいって言ってるわ」
「俺もか?だがなぁ」
『いいから早く!』
「早くしろって」
「……ああもう、わかったよ」
渋々といった様子でレアンドルは私の後に飛び乗ったのに、大きな体で包み込むように片手を私の腹の前に回して固定した。
「ゆっくり歩いてくれよ。鞍も手綱もないからな」
『わかってるわ!』
歩く竜に乗っていることくらいなら私にも簡単なのに、レアンドルは最近なんだか過保護すぎるのではないだろうか。
そう思うのと同時に、レアンドルの体温を背中全体で感じて、低く張りのある声が耳元で響いて、私はなぜか胸がドキドキしてしまった。
マノンは私とレアンドルを乗せて運動場や木が植えてある区画などを楽しそうに散歩して、少し太陽が傾いてきたころに満足して厩舎に入っていった。
その後、レアンドルは私を寮まで送ってくれた。
「あの王子サマは、あんたを諦めていないようだ。気をつけろよ」
「わかってるわ。送ってくれてありがとう。また明日ね、レアンドル」
「ああ、また明日」
レアンドルは大きな手で私の頬をするりと撫でて去って行った。
過保護なだけでなく、スキンシップも多くなっているような気がする。
ということは、レアンドルが私とセックスしたくなる日も近いのかもしれない。
それを喜ぶ気持ちと同時に、正体不明のもやもやとした気持ちが胸の中に広がって、私は首を傾げた。




