貴族の立場と平民のふり。
晴れ渡る気持ちのいい大空を眺めながら、あたしはお店へと向かって歩いていた。
格好は普通の町娘。すぽんとかぶるだけの黄色のワンピースに白のエプロンをつけている。
向日葵を思わせる鮮やかな黄色は、さいきんの流行り。
ガウディの商店街、そのど真ん中に位置する服飾のお店エリカティーナで買ったの。
ちょこっとお高くてマロンのお給料じゃぁ無理だったけど、そこはそれ。
こうしてマロンで働くのを許してくれたギディオン様が、プレゼントしてくれたのだった。
お貴族様っぽいドレスは山ほどあるし、季節ごと、イベントごとにお父様が送ってくる。
「もう、そんなにいらないわ」
と、レイヤにこぼすけれど、その度に、
「お嬢様。これもみな、貴族令嬢としての義務ですわ」
と言われてしまう。
貴族ってほんとうめんどくさい。
貴族の立場なんか捨ててしまおう。
あの時、家出をした時は本気でそう思っていた。
女性が一人でなんのつてもなく生計を立てるのは大変だって、今ならちゃんと理解しているし、生きていくのがギリギリな生活を望んでしたいわけじゃない。
それでも世間知らずだったあたしは、この数ヶ月の生活の中で自分の強みも弱みもある程度理解したし、ギディオン様に恋をしている今のあたしじゃなかったのなら、冒険者になる道だって選んだかもしれないし。
自分の魔法が一般の人よりも強いことも、癒しの力で仲間を救うことができるだろうことも、今ならちゃんと理解している。
ギディオン様みたいに人を助けるお仕事っていうのも、悪くないよね。
そんなふうにも思う。
まあ、今は。
ギディオン様に相応しくありたい、そう思っているから。
彼に相応しい立場でいられるこの貴族という立場を手放したくはない。
そう思っちゃっている。
まあね、お貴族様でいるのも疲れるし、性に合わないから。
こうしてマロンで働かせてもらえているのは嬉しい。
わがまま、なんだろうか?
そうやって悩んだこともある。
だけど、それでもあたしの帰る場所があそこ、マロンにあると思えるから……。
今はまだ、平民のふりをさせてね。
そう願って。
◇◇◇
「おはようございます」
「ああ、セレナ、おはよう」
お店の裏戸をあけおはようの挨拶をすると、まっしろな作業着を着たアランさんが笑顔で挨拶をかえしてくれた。
隣にはジャンもいる。
彼も会釈を返してくれて、そのままベンチシートに向き直った。
生地をすすっとローラー(日本でいうところの麺棒ね)で伸ばし、均一にしたところでスパチュラを差し入れ空気を生地の下に満遍なく送り込む。
こうすることで生地の伸びが均一になり、カッターでカットしたドーナツ生地が縮んだりするのを防ぐ。
右手にドーナツ型のカッターを持って、さっと生地にあて型抜きし、それをひょいっと左手に受け親指でまんなかの穴部分を抜くと、そのまま揚げ編みに並べていく。
上手になったなぁ。
あたしがこんなことを言うのはおこがましいんだけど、彼がここで修行を始めたときのことを思うとその動きは雲泥の差だ。
なんというかな。動きが洗練されているって言ったらいいのかな。
もう、一人前の職人さんだ。
最初に見た時にはどこかの悪いビジネスマン風で、自分で身体を動かして働くふうには見えなかった。
帝都でお菓子作りの修行をしていたってはなしだったけど、言っちゃ悪いけどそういう泥臭い努力はしてこなかった風?
要領よく教えられるところをつまみとって学んできたんじゃないかって、そんなふうに思ってた。
じゃなかったら、日にちが経って美味しくなくなったドーナツをいつまでも販売するようなまね、しなかったと思うし。
ほんとうに心を入れ替えてくれたんだなぁって、なんだか嬉しくなった。
「なあ、帝都に2号店を出さないかって話があるんだ。セレナ嬢ちゃんはどう思う?」
エプロンをつけ直し頭に帽子をかぶって、さあお店のオープンに備えるぞって準備していたあたしに、唐突にそうアランさんが声をかけてきた。




