一人で生きていくのは難しい。
働き疲れて借りてるお部屋に帰って寝巻きに着替え。
ぎゅーっと伸びてからお布団にダイブする。
四畳半くらいな広さの狭い部屋。ベッドとカビ臭いお布団、部屋に備え付けの小さなクローゼットが最初からついていた。
マロンさんに教えて貰った近所のアパートメントで、お手洗いも共用で当然お風呂は無し。
キッチンも共用だけどお湯沸かし程度しか使えないってそんなところだけど格安で。
まあほんと働いて寝に帰るだけのお部屋って感じ?
この辺りのお店の売り子のお給金はだいたい1日働いて銀貨一枚くらい。日給約三千円くらいが相場らしい。
三十日働いてやっと金貨三枚、三百オンス。約九万円くらいね。
旅人の宿屋が通常一泊銀貨二枚、六千円くらいはかかる。ああ、カーテンで仕切っただけの実質雑魚寝の最安は探せばあるらしいけど流石にちょっとごめんなさいだしね?
売り子のお給料で宿屋なんか泊まれないって話かな。
まあこの辺は日本でも安いビジネスホテルでもそれくらいは掛かったから、しょうがないのかも。
でもってちょっと普通に生活できるだけのアパートメントは、最低でも一月金貨一枚は掛かる。宿よりはもちろん安いけど、家族向けだと金貨二枚はかかるところ。
ここはちょっとボロいけど最安で、月あたり銀貨五枚で借りられたのだ。一万五千円くらいね。
食事が一食だいたい二オンス、銅貨二枚は掛かるから(飲み物代を入れたらもっと?)、一月に食費だけで5〜6万円は掛かる計算。ほんとこれじゃぁ若い女性の一人暮らしなんて無理がある。
家族で暮らして自炊できる環境なのなら少しは余裕が出るかもしれないけど、ほんと平民の暮らしは楽じゃないのがわかるよね。なんてったってパン一個でも銅貨一枚掛かるのだから。一般の平民がそう気軽に食べられるものでも無かったのだ。
ドーナツだってそう。
一個三百円って、安いようでお高い。初日に飲んだミルクティーも三百円なんだけど、これは日本の喫茶店感覚なら安めの価格だけど、それでも庶民にはやっぱり贅沢なのだ。
だから、ミスターマロンの客層は少しばかり裕福な方、ってことになる。
貴族のお屋敷で雇われている侍女さんのたまの贅沢、とか。
商家のお嬢様とか。奥様、とか。
もしくは夜のお店で働くお金に余裕のあるお姉さん、とか。
女性ばっかりあげたのは、どうしてもこうした甘いものを好むのは男性よりも女性だったりするからだけど、男性のお客さんの場合はお家へのお土産とか彼女さんと一緒に食べるのだとかそういうのがやっぱり多いかな。
王都の貴族のお茶会ではまだみたことが無かったから、この先はそっちにも需要があるかもしれないけどね。
どちらにしてもあたしの考えがすこしばっかり甘かったのは否めない。
働く場所さえあれば女一人生きていける、だなんて。
よっぽどの幸運でもないと難しいことだったんだなぁ。って。
ちょっと反省して。
身支度をしてお店に向かう。
あたしは清浄魔法で身綺麗にできるけど、普通の人はそれも大変なんだろうなぁ。
基本アパートメントにお風呂は無い。
お湯で身体を拭くくらいしかしないみたいだけど、お風呂って文化が下町にないわけでも無いの。
銭湯、っていうか、公共浴場はちゃんとある。
それもこの地がまだ帝国の属州だった頃に当時の総督が費用を出して作らせたという石造りの公共浴場が、今もちゃんと残っているの。
入浴料は銅貨三枚。九百円くらい。
週に一度はそっちに入りに行くかなぁ、って、今画策中。
マロンさんに話したら週末に行くつもりっていうから同行させてもらう予定。
ちょっと楽しみなんだ。
あ、もちろん自分でお金払うつもりだよ?
まだ最初に持ってきていたお金ほとんど手はつけていないもの。
そこまで甘えるのもどうかって、そんなふうにも思うしね。
「おはようございます」
「ああセレナちゃんおはよう。今日は昨日教えて貰ったローストナッツトッピングをお店にだそうと思ってね」
「はう。アランさんったらいつ寝てるんですかー? 根詰めすぎると倒れちゃいますよ」
どうやら早朝から追加のドーナツを作っていたらしいアランさん。一仕事終えたような格好になっている。
アランさんは基本夜のお店のコックさんもしてるから、閉店までぶっ通しで働いている。
朝並べる分のドーナツやマフィンはそんな夜のうちについでに作っておくがルーチンだったのに。
「はは。早くお客さんに新しいドーナツを試してもらいたくてね。朝市でナッツをいっぱい仕入れてきたんだよ。まあオレは体だけは丈夫だからね、大丈夫さ」
そう言って笑うアランさん。本当ならお店オープンしてから本格的にドーナツを作り始める時間なのに、疲れちゃってたら困るのに。
ほんともう。頑張りすぎだよ。
こんなにも頑張ってるアランさんだもの、報われてほしいなって、そう願ってる。
うん。少しでも役に立つよう、あたしも頑張らなきゃ。
店頭にドーナツを並べてお店を開ける。朝のこの時間はお仕事前に軽くお茶を飲んでってくれる男の人もいたりする。ドーナツはお土産? お茶とついでにマフィンを朝食がわりにする人もいる感じ。お昼には軽食も出していたりするけど、まだこの時間では受け付けてない。流石にアランさんの手が回らないからね。
だからドーナツは最小限しか並んでいないわけ、だけど……。
「おい、店員。そこにあるドーナツを全てくれ」
え?
見知らぬ男の人。初めて見る?
そんな数人の男性をひきつれたお客さんが、ドーナツを指差しそう言った。
全て? 全部?
確かに今お店に並んでいるのは100個くらいしかないけど、それでも全部?
調理場ではアランさんがドーナツを作ってる最中だけど、まだ完成までは小一時間かかるだろう。
「あの、ここのドーナツを全て、ですか? マフィンを除いて?」
「ああ、そうだ。早くしろ!」
うーん。
すごく横柄な感じのお客さんだけど、売れるのはまあ良いことだし。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
あたしはそう言うとドーナツを数えながら袋に詰め始めた。




