表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

夕暮れの時に猛烈に猫を飼いたいと思いました。終。

 ほのぼのと明けの空の下では、眠ろうとしても無理。電気を付けっぱなしにしていた現実に、打ちのめされていたからか、睡魔は一向に来る気配は無し。


 つい。気になるのは1号室のその後ですが、何やら騒いではいましたが最終的に大家さんが息子さん夫婦を引きずり出して、終わりになったご様子。



「はぁぁ……!いいお天気ねえ。寝不足の目に染み入りますわ!」


 せっかくの休日、朝寝を決め込もうかと思いましたが、愚かにも電気を付けっぱなしにした事件により、そのような気持ちなど吹き飛んでしまいました。


 せっかくなので日課の外回りの掃除のお手伝いのあとは、裏手でお洗濯をしましょう。何時もの通りの朝、裏手の八重桜に窓から身を乗り出し挨拶をします。


 ふ、ふふふっ。勿論、洗濯板でゴシゴシの手洗いですが。夫さんのお寝巻きも洗いましょう♡お戻りになられたら、きっと喜んで袖を通して下さいますから……。


 直ぐに脱ぐのはお約束なのですけれどね♡


 空気の入れ替えのために窓を開けたままにして、布団を畳み、独りなのでまだまだ過ごせるキャベツ生活の始まり。夫さんが戻られる迄、何枚めくって過ごすのかしらん。と思いつつ朝食を仕込みます。休日なので後でゆるゆる食べることにして、外に出ました。


 雨上がりの空気は清々しく、ここで修羅場をが繰り広げられたとは、思えません。ただ地面がぐちゃぐちゃと足跡だらけなのがその証拠ですが。


「あら。柳田さんおはよう御座います」

「おはよう御座います。眠いですねぇ」


 珍しく目をこすりつつ、柳田さんのご出勤をお見送り。ふと外の三和土に目をやると、土が上がっていました。僅かな時間にザッと降った様です。騒ぎが起きた時には、すっかり止んでいましたから。


 ご近所さんのよしみで掃き清めます。3号室のあけみさんの前も掃き清め。牧野様の前は既にメイドさんが、何時もの様に綺麗にされていました。 


「あ!いけない」


 慌てて、ほうきを壁に立てかけると、玄関框(げんかんかまち)を上り部屋に戻ります。盥に入れている洗濯物を、先に水に浸けておこうと用意をしていたからです。よいしょっと抱えて開けっ放しの戸から外に出ると、後ろ手で閉め裏手にある井戸端へと向かいます。


 柔らかい地面を下駄の二の字を書きつつ歩いていて。


 みゃう


 振り返りました。そこには私の二の字と猫の姿。


「ふぉお!昨夜の私の夢は現実を正確に把握をしていたのでしょうか!」


 私の声に驚いたのか、


 にゃぁ


 そう鳴くと跳ねるように何処かへ行ってしまいました。



 ジャコジャコジャコジャコ……ジョボジョボジョボ。ハンドルを上下させて盥に水を張りながら、声を出した事に大後悔。思い返すとこの辺り、野良猫が多く住み着いていますから。


 あの猫とは違うかも……どの疑惑がふつふつ湧いてきたのです。


「はぁぁ……声を出すんじゃなかった」


 盥を井戸端に置いて、ため息を付きつつ部屋へと戻ると。


「おはよう御座います」

「うひゃっ!お、おはよう御座います」


 不意に6号室が開き、私は飛び上がる程に驚いてしました。


「大奥様が今日、裏にて野点をしたいと、お誘いをしてきなさいと。普段着でよろしとお伝えしてきなさいとの事です。ご都合はよろしいでしょうか?」


「ごめんなさい。まあ!野点を。(きゃぁぁ♡ぜひぜひ!)ありがとうございます。是非ともお伺いいたしますとお伝え下さいませ」


 思いがけないお誘いに、私の小さな後悔など、何処かに飛んでいってしまいました。大急ぎで洗濯を済まそうと決意をしたのは、言うまでもありません!




 葉桜の下。赤い毛氈。茶道具。2号室の窓の前には、はためく洗濯物。亭主はもちろん、牧野様です。普段着でとのお言葉に従い髪を整え、足袋を履き替えました。娘時代に刺繍をした袱紗と懐紙入れにと黒文字と。小物を忘れずに手にすると、指定された時刻に裏手へと向かいました。


 客は私と大家さんの娘さん。


「無礼講よ、ゆるりと。菓子はお好きなのをどうぞ」


 面白い道具組みだと思いました。硝子の水差しに大きな菓子皿は銀の洋盆。その上に色とりどりの和菓子に、プティフィールも並んでいました。好きなのをと勧められ、ここは迷わず卵にバタークリームに果物を使っている洋菓子に目をつけたのですが、娘さんが落雁をお選びになられて。


 迷ってしまいました。ここは王道の和菓子にすべきか……、でもプティフィールを食べたい……そんな私の迷いを察したのか、亭主である牧野様が。


「どれでもお選びなさいな。洋菓子は薄茶に合うのよ。ああ、この子はみやこと同じで、卵やら海老を取ると食あたりをするから、気にしなくてもいいわ」


 そう教えてくださいましたので、遠慮なく目をつけていたひとつを懐紙に乗せました。ひと口食べると。


 口の中は極楽浄土の薫風とはこのこのかしら!な味わい。亭主が扱う茶筅が産む、松風の風の音も心地よく、私は久しぶりに素敵な時間を過ごしていました。


「お家の方はよろしくて?」


 菓子が残ると勿体ないからと、好きなだけ食べましょうかと、牧野様のお言葉に甘えて、一服お点前を済ませた後はそれぞれに菓子をつまみ、メイドさんが点てるお茶を楽しむ私達。せっせと食べている私の横で、牧野様と娘さんが話をしていました。


「はい。ご心配ありがとうございます。兄夫婦はようやく肌身一つで出ていく事になりました」

「それは何より。全く、みやこが跡取り息子だからと、甘やかしたのが原因だから、仕方のないことだけど……。あの嫁だけは、いただけません。金輪際、縁を切る事をお勧めするわ」


 あら。何も持たずに家を出されるのですか。まぁ、当然の報いですわね。それからは他愛のない話をされていたのですが、会話が途切れた時を見計らい、私も気になっていた事を問いかけました。


「ここの土地は大家さんの奥様の、ご名義なのでしたの?越してから知ったのですが、随分お家賃が安くて助かっています」


「ええ。この建物は元々は家族持ちの使用人の住まいだったそうよ。よく食あたりにあうみやこは、子どもの頃から身体が弱くてね。ご両親はこの先ジリ貧になるのが判っていたのか、家を畳むことを選んだの。家も別に小さなのを建て、無駄に広い洋館と庭は取り壊して金子に変えてね。でもみやこが、どうしてもこの八重桜だけは欲しい。と言ってここだけこういう形で残したの」


 牧野様が、ここいらは元々裏庭で路地は使用人の通路、あちらに洋館があってと、指し示しながら懐かしそうに教えてくださいました。


「そうなのですか。でもどうして相場よりお家賃がお安いのですの?」


「それは父が植木屋を営んでいて。ここの収益はどうでもいいらしくて。そもそもアパートに作り変えたのは、母の為らしくて、アパートならば住民がいる限り、敷地は他人様の足で荒れる事も無いからと」


 あら。何か素敵な恋物語の予感がします。お嬢様と植木屋さんが出てきましたもの。


「うふふ。植木屋さんでしたのよ。そしてみやこの屋敷に出入りをしていてね。それが縁で、みやこは平民に嫁ぐ事になったのよ」

「あらぁ!小説のような恋話ですわね。その……反対とかされなかったのですか?」

「元々、家を畳む予定を計画していたからか、真面目でみやこに惚れ込み優しい大家のことは、気に入ったらしいわ、トントン拍子に話が進んだわよ」


 甘い菓子に甘い話はよく似合います。これは新情報なので、夫さんに゙話さなきゃと思いました。私達は若い娘のように、その後は楽しいお喋りに費やしました。お互いの距離が近くなった頃、娘さんが私に寂しそうに言います。


「こうして仲良しになれたのに、しばらくの間、ここには来ないかと思います」


「あら、どうしてですの?八重桜はお母さまの木なのでしょう」


「はい。でもここはもう、槙野様のお持ち物ですし、大家の仕事は譲りましたし……。やっぱり身内が、他人様のお宅に鍵をこじ開け入り込んだのはいけない事ですし」


 さわさわと葉擦れの音が頭上で……。私の話を聞き終えると黙り込んだ娘さん。


「これ迄、兄夫婦が失礼な態度を取っていて、申し訳ございませんでした。私もホッとしているのです。義姉と縁切りがようやくできたのです。ここに来ると義姉の顔を思い出してしまいます」


 私に向かい、赤い毛氈に頭を下げた娘さんは、顔を上げると、何処か吹っ切れた様な顔つきでした。


「そうね。ほとぼりがさめたらまたおいでなさいな。みやこが死んだのは嫁が大家の留守を狙い、廊下に生卵を落として置いたのが、始まりでしたもの。仕方のないこと」


 牧野様のそれに当然ながら私は聞きます。


「はい?その……どういった事でしょうか」


「どうもこうも、みやこは卵や海老蟹で食あたりをする子だったの。それをふとした事で知ったあの嫁が、姑イビリをしたの。夜にね、みやこが便所に向かう時を見計らい、暗がりの廊下に卵を落としてそのままにしたり、お出しに海老蟹を使った汁物をわざと勧めたり。その都度みやこは卵を踏めばかぶれたり、嫁に出された食事を摂れば体調を崩してね。イビリが解っていたから誰にも言えず辛坊したのねぇ。気鬱の病になって……」


 身内の恥というべき話をしたくなかったのか、娘さんの替わりに、牧野様がつけつけと言いました。


「……、元々弱い子だったから……それに息子の嫁だからと、我慢をしてしまったのね。大家が気がついた時には酷く悪くなってて。はぁぁ……、あれだけ息子はビシバシに谷から突き落として育てろと言ったのに。残念ね。さあ、そろそろお開きにしましょう」


 牧野様は終わりを告げると、部屋へと戻って行かれました。そして私達は残って片づけのお手伝いをしました。メイドさんが構わないというのを、半場強引に手伝ったのですけれど。


「お道具類が沢山なので、本当のところ助かりました」


 ほっとしたようなメイドさんと共にだんまりな娘さんと、あれやこれをせっせと片づけて……。赤い毛氈を畳み終えた頃には、夕暮れがあとしばらくしたらの時刻に。


 ありがとう御座いました。と頭を下げメイドさんが戻って行ったあと、なんとなく八重桜の下にふたりで並びました。


 さわさわと葉擦れの音が頭上で……。


「この桜は本当に素敵です。夫さんも好きで、私も大好きです。裏手だからアパートの人達以外の人目を、気にしなくて良くて……。無粋な花見客に荒らされなくて。だからアパートにしたのかしら」


「ええ。そう聞いてます。だから大切に守って来ました。これからは槙野様がきっと。本当に良かった出ていってくれて」


「そうですね」


 晴れ晴れとした様子に、何処か薄ら寒い薄情さを感じます。


「本当に。情けない人達。母の命を縮めて。父も父なの。葬儀の後直ぐに放り出せば良かったのに。いくら息子達を頼みますと言い置きをされても、そんなの無視をすればよかったのにと今も思います」


 さわさわと葉擦れの音が頭上で……。私は黙って聞きます。


「ふふ。でも良い気味。やっと追い出す事が出来たもの。やっと。父もようやく動いてくれて。きっとこうなると思っていました」


 あら。もしかして今回のこそ泥騒動は、そういう風に動くように仕向けていたのかしら。大家さんもそれらしい事を仰ってましたわね。


『まっ。色々とな。あれ夫婦のことはもうしばらくの間、我慢をしてくれ。それとあれ夫婦には、ここを売った事は言っていないから、そのつもりでいてほしい』



「場末の飲み屋で働いてたくせに。母の着物を勝手にあさり次々、台無しにして。身体の弱いフリをして、兄と一緒に遊び歩いて。兄はまだ気が向いた時だけ働くからマシ、日雇いだけど。嫁なのに、ろくに水仕事が出来ない母に押し付けて文句ばっかり。母が騒ぐなって悲しそうに言うから、父も何も言えなくて、私も何も言えなくて」


 延々と吐露が続きます。相当たまっていたのですねえ。吐き出せば良いですよ。私は聞くこともなく聞いていて、ちょいちょい気になる事を拾い猫耳が出現してきていますが。


「だから実家の家事もここの雑用も手伝ってきた。夫も父の仕事手伝って……。夫婦で実家に尽くしてきたわ、それなのに兄達は羽虫のように甘い蜜だけ吸い取るなんて、こんな生活がこの先も続くだなんて嫌だったの」


 さわさわと葉擦れの音が頭上で……。


 それに混ざるかのような八重桜に懺悔をする様な娘さんの囁き声。


「あの時、ウフフ。()()()()()()()()()()()()()()()満足です」」



 ああん。私はやっぱり、聞かなければ良かったと、後悔。後悔、後悔……。猫耳をしゅんと抑え込むべきでした。


 大家さんが、一心に子どものいたずらにしたいと言っていた事がわかりました。大騒ぎになり警戒されたくなかったのでしょうね。推測ですが。


 そして猫はいたのです。1号室にはおそらく娘さんも居たのでしょう。そして入り込んでくる兄夫婦を待ち受けていたのやもしれません。


 どうしたものかと思いつつ立ちすくんでいると、そろそろ帰りますねと、娘さんはそう言うと八重桜の元から離れて行きました。背高のっぽの旦那さんの待つ家に帰って行きました。


 私は独り、部屋へと戻りつつため息をつきます。ついでに洗濯物を部屋の中に放り込み、建物をまわり、1号室の前に……。私の住まい2号室のお隣、隣人はいません。


「こんばんは。新しい管理人が来るまではまだ通う事になったよ」


 みゃう。


 猫を抱えた大家さんが灯りをつけに来ています。


「あら、猫」

「鼠がいるから、時々、夜だけ1号室でコイツと番太郎をしようと思ってな。寒い季節は無理だけどこれから先は構わないからね」


 そう話すと、1号室の鍵をガチャガチャ開けて、猫を中に入れました。2号室に向かう大家さんの姿を横目で見ながら、


 玄関框(げんかんかまち)に上がりました。

 戸口に手をかけました。


 カラリと開きました。土間が土で汚れていました。竹刀が1本、ぽつりと忘れ物……。私の妄想からすると、この竹刀でぽかりとやったのかしらん。


 大家さんもグルで見て見ぬふりをしているのかしら。


 もし、隣人が住んでいたら。娘さんも大家さんもこの計画を思いつかなかったかと思います。


 さて。どうしましょうか。夫さん包み隠さずに留守の間に起こった事の顛末を伝えるべきか、口をつぐむべきか……。


 夫さんならば正義に従い、すべてを白日の下に晒さなければなりません。でも……。


 私は夫さんの単なる妻なだけですから。残された人間が幸せになる方向にだんまりを決め込むのも。


 良いかもしれませんわね。


 にゃおん。足音を立てずに猫が近づいて来ました。今度こそは驚かさない様に手をそっと差し出してみました。


 飼い猫なのでしょうか。スンスンと指先の匂いを嗅いで、頭を下げスリスリ。私はもうメロメロ。


「ああん!かわいい!あなたがしばらくの間、時々に隣人になるのですね。鼠には出ていくなと言っておきましょう。後でお近づきの印に煮干しを持ってきます。あぁ……私は今、猛烈に猫が飼いたくなってきました」


 にゃぁ~、隣人の耳がピッと立ちました。大家さんが戻ってこられた様子です。


 終。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 我々の両親が生まれたあたりの時代設定っぽくて、とても趣があります。 この頃はまだ少し、こういった貧富の差がありましたが、みんな力強く幸せに生きていましたね。 玉子一つに一生懸命になれる。…
[良い点] レトロな雰囲気で、読んでて面白かったです。 てっきり夫さんに手紙を出して、名推理が電報か何かで返ってくるかと予想してました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ