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誰が卵を置いたのか。その2

「ん、んー!今朝もいいお天気ねぇ」


 何時もの如く朝の6時に起床。そそくさと身支度を整えた後、窓を開けようと夫さんの文机が寄せてある、寝室の窓辺に向かうと、木枠に手をかけます。煤けたガラスが気になった私。文具と共に本を扱っている書店を営んでいる実家育ちのせいか、外回りにも気が向いてしまうのは致し方ないこと。


 築年数が経ってはいるけれど、立派な材木が惜しげもなく使われているアパートは、きちんとお手入れをすれば年数もまた趣き。


 新聞配達でもない中途半端な時間に、外を歩く足音が聴こえた気がしましたが、昨夜は物音が盛りだくさんの上に鼠も大運動会だったから、記憶がごっちゃになっているのかもしれません。


 独りなので前日の残りで朝食を済ませることがなんとなく嬉しい。冷やご飯だけど、これまた残りのお味噌汁の中でクツクツ煮込む雑炊が、実は好きな献立のひとつ。卵を落とせばご馳走になるけど。


 卵はもちろん無い!


 昨日の犯人さん。どうかうちの前に卵を置いてくださいませ。ちゃんと食べます!粗末にしませんから……、なんて神頼み。


 小鍋の中にお櫃に残ったひとかたまりのご飯をいれてから、玄関に落ちている新聞を拾います。


 はあ……本当ならケチりたい。実家に行って読み終わったのを貰えばいいもの。でも、夫さんが朝食を取りながら隅から隅まで読むのを眺めるのが。


 好き♡だから仕方ない。


 朝の掃除は大家さんが来た折に、敷地を掃き清めるのを知ってから手伝っている私。その日は煤けたガラスとガラスの格子戸でも拭こうかと、何枚か縫い上げ持ってきた雑巾を固く絞り手にして外に出ると。


「おはよう御座います」


 5号室の柳田さんの声。柳田さんは少しくたびれたご様子ですが、仕立ての良い背広をきちんと着込んでいました。


「おはよう御座います」

「昨日は何だったんですかね」


 本当にそれですよ、ソレ!

 誰が卵を置いたのかが気になり、眠れなかった私です。


「でも大したことがなくて何よりです」 


 柳田さんが3号室に目をやりつつ話されます。その視線は少しばかり優しくて、夫さんを思ってしまいます。


「まぁ、卵を踏んだだけ、ですからね」

「全く。いたずらにしては、たちが悪い」


「まあ。夜中ですしね。一体、誰の仕業でしょうか」 

「本当に、ああ。バスの時間がありますからこれで……」

「あ、お引き止めしてしまい申し訳ありません」


 腕時計を見るなり走って行く柳田さん。私はふつふつと疑問が湧きつつ、昨晩のようになんとなくお見送り。他人さんをこうも毎日、送り出すのもアパート暮らしの良いところでしょうか。


 それにしてもいけない。朝っぱらから、変にワクワクし始めている。いけないいけないと、卵事件の謎を紐解きたい気持ちを押し込めて、先に窓ガラスでも拭こうと裏手に周ろうとしていたら。


 背後から、おはようさんの声に、飛び上がる程に驚いた私。


「うひゃぁ!」

「あ、あ。驚かしてごめん」

「ひえ、あぁ……。大家さん。おはよう御座います」


 そこには大家さんの姿がありました。なので勿論、聞きますよ、当然ですがお仕事中の大家さんの邪魔をするのはどうかと思い、しばらく待つことにしました。


 先ずは意味がないよと朝になり仕事を終えて、ぼやく様な五燭の電球の明かりを順々に落として回りますが毎回、1号室の点検から始めます。


「この工事が1番安くついたからねぇ。ありゃ?こりゃ交換だな」


「それはご苦労様です。1号室なら空室だし大丈夫と思うますけれど……」 


「こういうのは突然、パタッとつかなくなるからねぇ。ん?こういうのは、きちんとしておいたほうが良いんだよ。空き部屋なんて長い間、無い方がいいんだ。早く入居者が来るようにな。何時でも見学を出来るようにしておくんだ。はて……予備があったか?買いに行かなきゃ無いか……」


 戸締まりの為に上着のポケットから鍵の束を取り出し、ガチャガチャ、ブツブツやっている大家さんに、丁度良いから卵のことを聞こう。私は数歩戻ると、仕事を終えた大家さんを先ずは、3号室の前に誘う事に。



「大家さん。コレ。知っていまして?昨夜、生卵が置かれていて、あけみさんが踏んだんですよ」


「はあ?いたずらなのか?勿体無い事をするもんだねぇ。ワシらの時代は卵なんて、そりゃぁ貴重品だったよ」


 戦中戦後を生き抜きた大家さんが、汚れた地面をしかめっ面で眺め、大きく肩を落としため息を付きます。


「子どものいたずらかねぇ。片づけないと蝿が寄る。はぁぁ……、6号室の牧野様の書道教室に通う、生徒さんの誰かかね」


「はい?子どものいたずらだと、お時間がおかしいですわ。3号室のあけみさんが踏んだのは、夜中の2時すぎですよ。柳田さんが帰られた時には何もなかった様ですし……誰がいつ、置いたのかしら」


 私は昨夜の事を話したのですが、


「まぁ……、いつ置かれたなんてわからんし、柳田さんもよく確認したわけじゃないだろうし……それに生徒さんもここら辺りの子だ。風呂屋に行くのに夜、前を通る子どももいるじゃないか」


 てんで取り合って下さいません。


「はあ。そうですが、でも牧野様は礼儀作法にも厳しいとお聞きしましたよ。通って来られる生徒さんも、皆さんきちんとしてますし。そんないたずらなんてするかしらん、それにそもそも家から卵を持ち出したりしたら、親御さんに怒られません?」


 大家さんの言葉に納得が出来なくて、つい。重箱の隅をつつくようなことを言ってしまいました。


「そうだなぁ。まぁ、子どものいたずらで済ませておけば、角が立たんと思っただけさ。そこ洗うから水を汲みに戻ってくるよ」 


 立ち去ろうとする大家さんに私は夜中に、1号室に誰かいた気配がしたと言うことを、慌てて伝えます。するとこちらは難なく解決してしまいました。


「ああ、ワシだよ。夜中にな、荷物を置きに来たんだ」 

「夜中に?どうしてですの?」 

「……、前に話した通り、さとこの家に行くことになってな。それで荷物を少しづつまとめているんだが、色々ややこしくてなぁ。嫁も出来の悪い息子も、皆に迷惑かけてすまんな」


「それは構いませんが、さとこさんのお宅にそのまま運ぶ事はできませんの?」 


「まっ。色々とな。あれ夫婦のことはもうしばらくの間、我慢をしてくれ。それとあれ夫婦には、ここを売った事は言っていないから、そのつもりでいてほしい」


 事情があるらしく、多くは話さない大家さんです。夫さんから最近、こっそりとここの名義を牧野様に変える手続きをしたとか聞きましたが。


少しばかりぼやくと歩いて数分の自宅へと戻って行きました。その後ろ姿になんだか哀れを感じてしまい、布団の中で物音を聴いた事は伝えずじまい。


「お気をつけてくださいませね!」


 またまた、そう声をかけました。うぃー。そういう風に手を上げ振ってくれた大家さんは息子さんと同居をしていますが、折り合いが悪いとか。そして私が夫さんの元に来る前に体の弱かった奥さんを気鬱の病から亡くし、寡夫になっていると当時、他府県の旧家で凄惨かつ妖艶な見立て殺人事件をほど解いていたという、夫さんに教えてもらっています。

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