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隠れ里  作者: 葦原観月
1/1

守女

平佐田はどんどん、島の不思議に巻き込まれていきます。

(できすぎてるよ。いくらなんでも、そんな……)

 だが現状は、〝二人を結びつける方向〟に向かっているかに見える。


 滋子がどこにいたかは知らないが、お館様の登場に突然、平佐田の足元に隠れた。息を潜め、身を小さくした滋子に、智次が助け舟を出した。

 滋子は何故か「嫁に行く」ことを嫌っている、若い娘にはありがちなことだ。決められた婚姻はしたくない……

 おそらく〝よく知った間柄〟ではない島の権力者には、一種の反抗があるのだろう。権力とは、下々の者には一通りの反感を与えるものだ。

 が、死にかけのよたよたの爺さんであればともかく、お館様は若く美しい。多少の不具合はあるとしても、お付の者が不備は整えてくれるであろうし、品もあって、頭も良さそうに見える。落ち着いた物腰は、非の打ちどころはないし、〝普通の女子〟であれば――間違いなく玉の輿だ――

 衝撃的な初恋は、衝撃的に脆く崩れ去る。

(おいは、何しとるんじゃろ……)早くも〝負け〟に打ち拉がれた平佐田が、がくり、と肩を落とし、何だか、とっても疲れ果てて――

「恋敵じゃ」意味深に智次が耳元で囁く。

(わかってるよ。もう、ほっといてくれ)さすがの平佐田も多少苛々としながら顔を上げて、

「じゃが、滋子は、お館様の嫁にはならん」きっぱりと言った。あまりにも自信満々なので、平佐田は気が抜ける。

「守女は島の女子じゃ。つまりは、居王様のもの。いつまでも御子様の守りではおかん。居王様は兄ちゃんを押しちょる。心配すうな。きっと上手くいく」

 この自信は、どこから来るのか。まるで自信のない平佐田には、わからない。

「お待たせしたんでっせぇ。履きもん。ほんで……昨日は堪忍え。うちのせいで怪我をどしたのどすね。木立蘆薈、持ってきたんや、お詫びに、うちが塗る」

「あ」も「す」もなく平佐田の裾を捲り、どろり、とした蘆薈の汁を塗りたくる。確かに切り傷には蘆薈が付きものではあるが――

(ちょっと塗りすぎじゃないの? しかも、ごしごしと)

 昨夜は塩水で洗うだけで済ませた。あちこちが痛み、蘆薈を探す元気がなかったからだ。

 蘆薈はどこにでもあるが、智次の家の庭にはなかった気がする。擦り傷ばかりであるから、たぶん大丈夫だと、そのまま寝た。今朝になって乾いていた傷が……

 ごしごしと塗りたくられる蘆薈の汁に、再び血が滲んでいく――

 なんだか余計な世話だとは思うが、滋子の好意であれば断れない自分がまたまた情けない。

いや、もう、ほんとうに結構ですから。気にしないでください。もう、おいに構わないでください。どうか末永く、お館様とお幸せに……

ここまで 投稿



いささか、やけ気味に思いながら滋子を見ていると、じわり、と胸の奥が痛くなる。


(あぁ、駄目じゃ。おいは……)


あまりにも悲しくなって、「もうよかです」平佐田は滋子の手を止めた。

さっさと家に帰ろうと身を屈めた平佐田と、同時に「痛おすか?」と、滋子が顔を上げた。

 くっつきそうなほどに顔が近寄って、平佐田は顔に体中の熱が集まったような気がした。


「わぁ。姉ちゃん、顔赤い」

 智次が平佐田の後ろで囃子立てる。言われれば滋子の顔が見るみる熟れた柿のように赤く染まり、ぱっ、と顔を逸らせた。

平佐田が〝いやぁな予感〟を感じ、ばしっ、脛に痛みが走る。

「かなんわ。なんで今日は、こないなに暑おすんやろう」

 言いながら滋子は、ばしんばしんと平佐田の脛を叩き、せっかく塞がった傷が、たらたらと血を流し始めた。

        


 悶々とした一夜を過ごし、寝たのか寝てないのか、よくわからない状態で、平佐田は朝餉の席にいた。


 智頼はまだ具合が良くないのか、姿は見えない。が、お爺さんは、へっぴり腰ながらも、元気に飯を食っていた。

 やはり、一家を代表する男が元気でいるのはいい。お婆さんに煮つけの芋が固いとか何とか、ぐたぐたと文句を言いながらも、食欲は旺盛だ。子供たちの顔も明るく、

「父ちゃんも、じきにようなる。ちぃと疲れが出とるようじゃ」と、溌剌とした声を上げた。


 内儀の顔も明るい。心の中ではほっと胸を撫で下ろす平佐田ではあるが、己のことに関しては実際、身も心もずたずただ。できれば飯も食わずに不貞寝でもしたい気分である。

(居候は辛らかね)

自嘲気味に思う。


「せんせ。疲れたか? すまんかったな。儂ら、すっかり世話を掛けた」

 食の進まない平佐田に、お爺さんが言えば、

「いえいえ。ちぃとも。昨日、ちぃと唐菓子を食いすぎまして。腹がごろごろしちょります、疲れてなんぞ、おりません」と、苦しい言い訳をする。

やはり居候は辛い。


 自分勝手だとは、重々わかっている。一人でいた頃と比べ、ここでの生活は極楽のように幸せだ。温かい人たちに囲まれて、温かい飯がある。それでも……


(おい自身が冷え切ってしまったら、妙に温かさが苦しいのだよね。なんでこう、人生は上手くいかんのだろう)


 悪いとは思いながらも、大方ご飯の残った碗を膳に置き、手を合わせて「御馳走様」をいい、「お先に」とお爺さんに断って、席を立つ。

「うん……」

お爺さんの心配そうな視線がさらに、平佐田の心を辛くさせる。でも、今は無理だ。立ち直ったらまた、色々と話をしよう。「夕刻の隠れん坊」の話も。宗爺と仲直りができるといい。きっとお爺さんだって、仲直りがしたいはずだ。

(おいが間に入れば、きっと二人は、仲直りができる)

 こういうことは〝余所者〟がいいのだ。平佐田には、それが良くわかっている。落ち着いたら、きっと。

 平佐田は胸の内でお爺さんと約束し、廊下に出た。


「兄ちゃん!」

元気よく智次が走ってくる。

「すまん。今日は気分がすぐれん。腰も痛いし。少し休みたいから内儀に……」

 ぼそぼそと呟く平佐田の言葉を、智次は聞いちゃない。さっさと手を取って「客人じゃ」と平佐田を連行した。平佐田はうんざりする。

(少し、そっとしておいてくれないか)喉まで出かかる言葉は、出てこない。相手は子供だ。大人の胸の内まで、わかるはずもない。

「誰?」

仕方なく訊ね、後日、改めさせてもらう口実を考える平佐田に、

「心配は要らん」智次は振り向いて、にかっ、と笑う。

「布団は、ちゃんと片付けた。部屋も……体裁だけは整えた。女子の目に触れてまずそうなもんは全部、押入れの中じゃ。姉ちゃんが待っとる。ほら、そんな顔せんと」

 女子……?

「えっ、滋子さんが何で??」声が裏返る平佐田に、

「兄ちゃんは正直じゃ」智次は、くくく、と笑って廊下を急いだ。

 部屋に鎮座していた滋子は、平佐田の姿を見るなり、

「せんせ! うちを弟子にしておくれやす」

開口一番、頭を下げた。

「な、な、何で?」

平佐田には、わけがわからない。

「うちは、医者になります。ほんなら、嫁に行かんでええ。宗爺が助手にしてくれる言うた。その前に薬草に詳しなれと」


 真剣な顔の滋子に、平佐田は考える。つまり、宗爺は味方であり、滋子もお館様に嫁ぐ気はないらしい……


 人の一生は、きちんと最後には採算が合うようになっとる――


 それを搖坊に教えた人が誰だったか、平佐田自身は覚えていない。

 確か、どこかのごうつく爺が、原因不明で死んだ話の後に聞いた気がする。どんな名医に診てもらっても、どんなに高価な薬を飲んでも、原因不明の熱と全身の痛みに、苦しみながら死んだと聞いた。

 病になる前は、人から搾り取った金で、殿様のような暮らしをしていたらしい。あんな酷い奴がどうして。世の中には、そんな話は山とある。だが、神様は、ちゃんと最後には採算をつけているのだ。

(おいにも、その採算の調整が、ちぃと回ってきた、いうこつかな)

 神様に感謝する。白い靄が晴れた先に、柿の木が見えた光景が思い浮かんだ。


「せんせ。うちの頼み、聞いてくれまっしゃろか。宗爺が「せんせに頼んでみなさい」と言わはるんどす。うちも、他に方法が見当たりまへん。頼んまっせ、うちを助けると思うて……」

 顔を上げた滋子が、手を合わせて首を傾げる。平佐田はこの、神様の採算に胸打たれ、うっとりと滋子に見とれている。

「いいじゃろ? 兄ちゃん。道場は、まだ始まらん。兄ちゃんも毎日、薬草の研究をしながら山歩きするんじゃもん。一人で歩くも、二人で歩くも一緒じゃ。姉ちゃんは足腰、強いぞ。下手したら兄、ちゃんより、腰は丈夫。くくくく……」

 白湯を運んできた智次は、そのまま居座って話に加わっている。

 時頼が呼びに来ない状況に、平佐田は不思議を感じた。二人の間には既に話が通っているのか。結局……

 平佐田は滋子を伴って、薬草探しに出かける次第となった。


内儀が出がけに平佐田に包みを渡し、

「よかね? せんせ、焦っちゃあいかん。大事な時に腹が鳴るんもいかんよ。二人で食いんしゃい、きばれや、せんせ」


 やけに顔が熱く、内儀のくれた〝握り飯〟は重い。ありがたく背に負うと、じん、と目頭が熱くなった。


(おいにも機会はある、よし、これからじゃ。少しずつ滋子さんと親しうなって……)


 気負いこんでの山歩きは、結構、疲れた。


「ほな、せんせ、また明日」

贔屓目か、心持ち朗らかな滋子を家の前まで送った頃には、もはや痛みを通り過ぎた腰は、岩のように重くなっていた。

 それでも、ついつい綻んでしまう顔を直しながら、家の敷居を跨いだ時――


「おう、せんせ、お帰り。今しがた、役人が来ての。急遽、明日から道場が始まることになったそうじゃ。せんせの講義は未の刻頃になるから、頼んだ、との言伝じゃ。で、せんせ方には色々と話もあるから、巳の刻時分には集まって欲しいと」

元気になったらしい、智頼さんの屈託のない笑顔に、

(神様の採算は、まだまだじゃな)

 重石のような腰が、心も体も押し潰した。

        


 徹夜明けの平佐田に、道場は容赦ない。巳の刻に集まった「先生たち」は各々の講義以外の時間には、まだ完成していない道場のあちこちで、様々な仕事を強いられた。


 仕切っているのは役人で、平佐田が確か一度か二度、見かけた顔だ。普段は何をしているのかは知らないが、いつもの役人の上役であるらしい。どうやら島を見張る番人のようなもので、島の収入の上前を撥ねて生活をしているようだと、先生たちの噂話から知った。

「美味い汁」で生きる輩は、どこにでもいる。まだ若い「見習い先生」の中には、いかにも反抗的な態度の者もいたが、平佐田は当らず触らずに徹した。

 目立たぬことが〝密命〟には大事だ。言われるままに淡々と作業をしたおかげで、岩のような腰が進化し、岩山となった。講義の時には既に、立っているだけでみしみしと音がするようで、気が気ではなかった。


 とはいえ、時頼と智次が講義に参加したおかげで、思ったよりも楽に講義は進んだ。最初であるから自身の話もしなくてはならんと、時間を割いて考えた自己紹介も、意外にも皆が知っていて驚いた。島人の情報伝達は、侮れない。

 明日からは、実際の薬草を使って講義をすると約束し、講義が終了した頃には、日は暮れ始めていた。子供たちはそれぞれに集まり、他愛なく話したり、遊んだりしている。それを遠巻きに役人が見つめ、平佐田は帰り支度を始めた。そろそろ暗くなる。


「おい、もう帰れよ」

いつもの役人が腰を上げて言い、

「せんせ、帰られますか? そこまで、ご一緒しましょう」と立ち上がった。

夏が近い。逢魔ヶ刻を過ぎても、何となく辺りは明るい。じっとりと出る汗に、平佐田は首筋に手拭いを這わせた。

 ちらり、と辺りを見渡したのは、もしかしたら時頼と智次が待っているかもしれないと思ったからだ。

 だが、二人の姿はなかった。夕刻は忙しい。講義の後、早々に帰ったのだろう。二人は親孝行な子供だ。


「急な話で、せんせも大変でしたろ?」

のんびりと、役人の吉野は言う。今朝方に挨拶を交わした折り、ようやく名前を思い出した次第だ。

 船酔いが酷かった平佐田は、役人の名を聞いておきながら、すっかり忘れていた。滋子の名はしっかりと覚えていたのだが。

「はぁ……何せ、まだまだ掛かる聞いとりましたから。木材の伐り出しが上手くいかんとか。少なくとも、あとひと月は無理じゃろうと……」

 なんでも〝道場反対派〟が山人の中にいるようだ。

 お館様の説得で、何とか木の伐り出しには応じてはいるものの、色々と難癖をつけているために作業が遅れているのだと、智頼から聞いている。


「別の山人衆に今、話を持っていっちょる。あまり工事が遅れると、本土から苦情が来そうだからな」

 漁師とは違って、山人は各々に集団をつくっているらしい。島の山は深い。伐り出し場所はいくつかに分かれ、それぞれに縄張りがあるようだ。

「はぁ。その予定じゃったんです。ところが、島のほうから要望が出ましてな。早く道場をやってくれ、と。ほれ、あれですわ、あれ」

「あれ?」平佐田は顔を顰めて吉野を見る。

「せんせ、行ったんじゃろ? 宗さんに聞きました。滞在先の子供の友人だとか。ああ、智次坊でしたね。あの子は、元気で良い子じゃ」

 吉野は平佐田の船酔いの一件で、智次の名を覚えていたらしい。島には子供の数が多い。あぁ、重定坊のあれか。平佐田は合点し、

「すんません。勝手に行動して。ですが、滞在先の主に頼まれましてね。荷運びを手伝うたんです。驚きました、吉野様は、御存じですよね」

「はぁ、まぁ……」

吉野は曖昧な返事をする。

「儂は不信心でね。あまりああいったこつは、信じとらんのです。じゃが、島では、あれが当たり前。なんかこう……やりきれんもんがありますな。死んだもんに葬儀ぐらいは出すんが普通じゃろう、と思いますな。浮かばれるもんが浮かばれんとなると……ちぃと気味悪い。化けて出られても、困ります」

 不信心な割には、俗信だけはあるらしい。それで、一緒に帰ろうというわけか。平佐田は、なんだかおかしくなった。


「吉野様は、重定坊は亡くなったと?」

「はぁ。そう考えるが、普通でしょう。「夕刻の隠れん坊」が何ほどのもんかは知りませんが、子供っちゅうもんは、じっとしとらんもんです。遊んどるうちに山で迷子となり、獣にでも食われたんと違いますか? それなら〝綺麗さっぱり〟いなくなる……」

あまり考えたくない推測ではあるが、ありえない事柄でもない。だが、やはり、子供が獣に食われたとは思いたくない。助けを呼んで泣き叫ぶ子供が、誰の助けもなく、息絶えていく姿は、想像したくない。なんだか神も仏もないような気がしてくるからだ。

「ま、ほんとのとこは、わかりません。けど、長年の倣いで、島人は「神隠し」と信じちょる。で、〝道場〟をせっついてきた、いうわけです。まったくね、振り回されっ放しですわ」

「道場を? どうして」

平佐田が尋ねると、吉野は意外だという顔で平佐田を見た。

「知らんのですか?」

吉野は、小さな目をぱちぱちとさせた。そもそも……

「此度の兵児育成道場に関して協力的……というか、要望を出したんは、島のほうです。本土も兵児育成道場には、力を入れとりますが、なんせ、こんな島では色々と不便だ。船の行き来にも金が掛かるし、島はそれなりでありながらも、奄美のように「金になる特産」がない。道場を開けば、藩の懐に響く言うわけですわ。折も折、〝節約〟が厳しい藩が、手を出すはずもないでしょう? 金を出しとるんは、お館様。要請を出したんも、お館様。なんでじゃと思います?」

 わからない。島の有力者ではあっても別段、金儲けを企んでいる様子もない。威張り散らしている風もなく、島人は慕っているように見える。

「隠れん坊ですわ」吉野は得意げに言う。


 決して裕福ではない島では、子供たちも忙しい。それでも、子供は何となく集まっては、よからぬことを考える。そこで、領主様の命令という形を取り、子供たちを集め、夕刻まで先生に監視させる腹らしい。日が暮れるまで、道場の周りで遊んでいる子供たちをただ黙って見ていた吉野は、そのように指示を受けているのだろう。


「つまりは「夕刻の隠れん坊」なんぞ、しちょる暇なぞない、言うこってす」

(ふぅん)

なかなかいい考えだと、平佐田も思う。

「でも、なぜ、お館様が? だって、黒御子様は……」

「さぁ、それは……儂にも、ようわかりません。けど、今のお館様は、ちぃと歴代のお館様とは違うようで……。御子様を島神の居王様に、お手渡ししたいようです。島では、なんとのう、二柱の神様の対立状態となってますじゃろ? 〝白旗〟を挙げたいのと違いますか。居王様の象徴は「白」ですから。

遠い戦は、既に決着はついてます。今更〝赤い旗〟を挙げたところで、どうにもなりますまい。このまま「黒御子様」の神隠しが続いては、いずれ御子様は「悪神」となってしまいます。神様っちゅうもんは、そういうもんと違いますか? 人の心が造り出すもの」

 理は適っている。不信心だという吉野は、結構、信心深い。ただ象徴を持たないだけだ。


「それにね、せんせは、覚えておられますかいな。滋子っちゅう女子ですが……」

 平佐田の胸が、どくん、と躍り上がる。

「あれは〝守女〟ですわ。で、お館様の伴侶として……」

 話が持ち上がっている事実は、知っている。平佐田としては、おおいに気に懸かる話題ではあるが、

「守女って、何です?」

平佐田は、すかさず訊ねた。


 余所者同志であれば、遠慮は要らない。吉野も、隠し立てする必要もないだろう。邪魔が入る前に、疑問点は解消しておくべきだと、今までの経験から学んでいる。

 至ってすらすらと話していた吉野が、一瞬、口を閉じた。

(やはり、聞いてはいけないことか?)と平佐田は吉野の出方を見守った。ところが、吉野は呆れた顔でまじまじと平佐田を見て、

「なんじゃ、せんせ、何も知らんのですな」と、大きく鼻から息を吐き出した。

「守女っちゅうのは、ですな」

 得意げに胸を反らせ、人差し指を立てて顎を上に向ける仕草は、道場にいる先生の一人とよく似ている。何度か「歓迎会」で顔を合わせた人物ではあるが、何とも鼻持ちならぬ雰囲気が嫌で、さすがの平佐田でも避けて通っている男だ。

 吉野がその男の真似をする理由は、きっと吉野もまた、平佐田と同じ気持ちなのだろうと思う。ほんの少し平佐田が苦笑すると、真似をしながら吉野も、また、にやり、と笑った。


「文字通り、守る女。御子様の守りのことです」


顎を反らせながら吉野は言い、平佐田は苦笑しながらも、じっと耳を傾ける。

島に着いた御子様は、まだ八つ。お付の女子は皆、慣れぬ船旅の途中で死んだ。男ばかりでは、八つの童の面倒は看られない。

 なにせ、やんごとなきお方だ。そこで男たちは、見目のいい島女を見繕い、〝京の言葉〟を教え込み、御子様に仕えさせた。粗野に聞こえる島言葉は、御子様には似つかわない。


「それの〝生まれ代わり〟を今は、守女(もりめ)と言うのだそうです。遠い昔には、多くいたらしい守女も、時代が移るに従って、数が減ったそうです。

島人はやはり、島神様が大切だったんでしょう。島人にとって、武者どもはいわゆる侵略者だ。武者どもに連れ行かれた女子……それを「裏切り者」と見る風潮が芽生え、黒木御所から戻された守女たちを、島人は白い目で見るようになる。当人たちもそれを嫌って言葉を改め、島女に戻っていったようです。それでもね、これは推測ですが……」


孕まされた女子も多かったのではと、吉野は声を潜めて付け加えた。

黒木御所側としては、侵略者の汚名を着せられたくはない。島人の反感を買えば、色々と不都合だ。だからこそ、女たちを連れてはいくものの、あくまでそれは御子様のお世話のためであることを強調し、一定の期間を御所で過ごした女子は、きちんと親元に帰していた。

 戻された女子は早々に嫁に出され、子を産む。その子供が誰の子であるかなど、わかりはしない。母親は言葉を直したとはいえ、教え込まれた言葉はついつい口に出る。子供がそれを真似たとて、不思議はないだろう。


「いつの代からかは、知りません。けど、〝生まれ代わり〟は、お館様の元に嫁ぐもの、と決まっておるそうで。おそらくは〝血を守る〟ための苦肉の策なんでしょうなぁ。由緒正しいお家柄は、大変です」

 それでは……下手をすれば異母兄弟との子、或いは従弟との子を儲けた可能性もあるわけか。そんな血の繰り返しでは、さすがに、〝濃すぎる血〟である事実は否めない。では……滋子も守女の血を継いだ……

「昔の話だからと、お館様は反対なさったようで。既に黒木御所に守女として召される女子はいなくなって、かなりの時が流れちょります。滋子の祖母、徳子の母親は、普通の島女だったそうで。それが突然、徳子という守女の誕生で、島ではえらく色々な噂が飛び交ったと聞きます。あの家は何かと噂が多くて。滋子の父親も、忌み子じゃと聞きますし、その二人の子がまたまた守女とあらばね、こりゃあ、もう、逃げられんと、徳子も思うたのかもしれません。亭主がはように死んだのも、下の娘が生まれつき体が弱いのも、因縁じゃなかろうかと。滋子をお館様に嫁がせると言い出したんは、徳子なんです」

 随分と複雑そうだ。


「あの……忌み子って?」平佐田の問いに、あぁ、

「ようある話です。一つ腹に二人の子。一人は大体、間引かれる。ですが、親が不憫に思い、知り合いを伝って、里子に出したそうです。それが、大人になって、ふらりと島に戻ってきて、徳子と夫婦になった。いわゆる、忌み者同士、くっつけた、いうこってすかな。儂は、ああいった話には不賛成です。ただ兄弟が一緒に出て来ただけの話でしょう? 別に構わんじゃなかですか。せっかくの授かりものをね、人は酷いことをする」

 なるほど。その〝忌み子〟か。それならば、平佐田も知っている。郷でも聞いたことがある話だ。同じ姿形を持って生まれた者は、いずれかが禍をもたらすものだと言う。然るべき判断をもって、どちらかが間引かれる。自分は一人で生まれてきてよかった、と、しみじみ思ったものだ。


「とにかく、お館様ご自身は、そういった古い風習を捨て、御子様も島神様の元にお送りし、お館様ご自身が、島人として生きる意を、持たれているようでして。お館様ご自身が、古い風習の集大成のようなものであられますからね。後々の心配をなさっておられるのでしょう。滋子は、まぁ……時が経っておりますから、血が濃いとか薄いとかの心配はないでしょうが、古い風習に付き合わせるには気の毒と思われたのでしょう。お館様は、よくできたお方です」

 確かに。「恋敵」でなければ、なかなかの人物であると、平佐田も思う。人形のような美しさに負けず、落ち着いた雰囲気を持っているし、頭も良さそうだ。島人の信頼も厚く、横柄な様子は微塵もない。自身の不具を嘆いている様子もなければ、卑屈な様子もない。

 そのままを真摯に受け入れているかに見える姿は、あっぱれとしか、言いようがない。だからこそ、「恋敵」であれば敵いそうもないと、心がひしゃげてしまう平佐田だ。


「それでもね、ご当人がいいと言われても、そうはいかぬと言う者が、必ずおります。島には〝黒御子様崇拝者〟が、おるんですよ。時が経ち、ご親族も先細ってきた今、お館家を支えているのは、そんな信者たちでして。家の細々した雑用とか、屋敷の中の切り盛りとかは、とても畠山様お一人では、賄いきれません。そんな者たちが、「代々からの仕来りは、守らねばならぬ」と、お館様を、せっついておられるんです。滋子はあの通り、島一番の別嬪ですし、嫁にして、損はない。子供が生まれれば、さぞかし麗しい御子様がお生まれになると。

 もしやその御子様こそ、〝黒御子様ご自身〟であれるかもと、大層に盛り上がっている様子で。信者どもにとっては、好都合です。見目麗しき御子様がお生まれになれば、新たなる神話ができ上がる。一気に黒御子様は島神様に昇格と言った次第です」

 神様も大変だ。

「まぁ……お館様としては、信者たちの盛り上がりにも、不安を感じておられるんでしょう。ご自身のお子が「神の子」として祭り上げられるも不憫でしょうし。島神様への礼儀もきちんとしておられるお方です。だからこそ、島人もお館様には一目を置いておられる」

          



 遭遇した神隠しの騒ぎで、様々な事実が判明した。本日はしっかりと〝報告書〟に取り掛かろうと、平佐田は薄暗くなり始めた道を急いでいる。

 今しがた別れ際、

「せんせ、神のおわす島ですから、いろんなものがおります。特に逢魔ヶ刻を過ぎた後は、その類のもんがウロウロしちょりますから、気ぃつけて。儂の家は、すぐそこですから。じゃあ」

余計なことを言った吉野のおかげで、すっかりと忘れ去られていた〝へなちょこ〟が目を覚ました。


(何も出んよ。気のせい、気のせい)

 平佐田が前屈みになりながら、足を速めているのは、先ほどから、かさかさと、風に煽られる木々がさざめいているからだ。

 ただの風だ、と思いながらも、振り向きたくても振り向けない平佐田は、ひたすらに家を目指す。

 坂を下ってようやくと、家の柿の木がそよそよと風に靡く姿が目に入り、平佐田が、ほっと息を吐いた刹那――


「ようやっとお帰りか? えらい遅うおますな」


 暗闇から囁いた声が、手を掴む。

「ひいぃぃぃぃっ!」

 叫んだ平佐田に、智次が、にかっ、と笑った。

「兄ちゃん、滋子さんが待っとる。儂の言うたとおり。滋子さんと兄ちゃんは上手くいく」

 半分飛んでいった魂が、滋子と聞いて慌てて戻ってくる。

「智次坊、何で、滋子さんが?」

「兄ちゃんに教えて欲しいこつがあるんじゃと。薬草じゃ。いくつか持ってきちょるが……そんなのは、口実じゃ。兄ちゃんに会いたかったんじゃろ。やったな、兄ちゃん」

 照れくさくも嬉しく、背を押す智次の手も、温かい。ほんのりと夕餉のいい匂いがして、時頼の声が弟を呼んでいる。

 お婆さんがお爺さんに何かを言い返し、がははは……智頼さんと内儀の、そっくりな大笑いが、家中に響いている。

平佐田は、つくづくと幸せを感じ、神様に感謝する。


(こんな幸せが続くといいな)


 滋子を家に送り届けた帰り道に、二人の子供のしょんべんに付き合いながら思い、家に戻って〝報告書〟に精を出す。

 ようやく「先生」としての生活にも慣れ、〝報告書〟にも、継続を促す返事が届き、全てが順風満帆かに見え始めた平佐田に、愕然とする事実が襲ってきた。


 智次が突然、姿を消したのだ――


読んで頂き、ありがとうございます。是非また、次回もお立ち寄りください。m(_ _)m

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