四股踏み騒ぎ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はーい、皆さん、この二週間お仕事お疲れ様でした!
そいじゃあ、最後。一本締めしてから、しまいにいたしましょうか。
では、お手を拝借。いいですか?
いよ~……。
とまあ、そのときに音頭をとったはいいけどな。結果としてこの一本締め、大失敗だったわ。
みんなが日本各地から集まってんの、すっかり失念しててさ。「パン」の一回と、「パパパン、パパパン、パパパンパン」の一回で来る人に分かれて、何ともきまずい雰囲気よ。
後で知ったんだが、パンの一回こっきりを一本締めというのは、関東のほうだけらしいな。関西だと一回こっきりは「一丁締め」っていうらしい。いやはや、恥をかいてから初めて知ったよ。
そういや、つぶらやよ。俺たちは何かと「お手」は拝借するが、「お足」を拝借することって滅多にねえよな?
「お足元の悪いなか」とか、「ご足労いただき」とか、足にまつわる言い回しはいっぱいある。が、拍手感覚で「拍足」とでもいうべきことはやらねえ。
跳び上がって足同士を打ち合わせるのは、ちょっと格好がつかねえが、地面を叩くことならうまくいきそうな気がしねえ?
だが拍手ほどメジャーになっていない。これ、どうしてなのか知っているか?
実は少し前に、妙な昔話を聞いたことがあってよ。その話、お前も耳に入れておかねえか?
拍足のイメージに、一番近いものといったら、相撲取りが踏む「四股」だろうな。
両足を開いて構えた姿勢から、足を左右交互に高く持ち上げては、つま先から地面を踏む。しっかり行うなら、足以外にも手、尻、腰などのあり方にも十分な気を払わなくてはいけない、相撲の大切な動作のひとつだ。
これは相撲取りが立派な仕事とみなされた室町時代末期になると、庶民にもよく知られるようになった。
相撲は体力づくりの一環となり、特にひときわ優れた成績をおさめれば、殿様に召し抱えられる機会も生まれる。世の男どもは身分を問わず、暇さえ見つければ遊びと鍛錬を兼ねて、相撲をとっていたとか。
とある農村でも、仕事がひと段落着いた後、余力がある者は取り組みを行っていたらしい。
命がけの戦が隣り合わせのご時世だ。何より自分が負けないことが重要視される。そして負けないためには、でかい図体があった方が有利。
必然、勝ち残るのは巨漢が大半だ。柔よく剛を制するのにも限度があり、最終的には剛よく柔を断つ展開に。
それでもめげずに挑み続ける、小兵の少年がいた。農民の末っ子として生まれた彼は、そのままでは生涯を米や野菜作りに捧げることになる。そこからどうにか抜け出し、あわよくば士としての暮らしを送りたい。
そう願うも、村一番になるためにはまだ越えなくてはいけない壁が、何人もいる。
彼は夜になっても、暖かい日は外で、寒い日は家の土間で、四股を踏む練習を欠かさなかったそうなんだ。
そんなあるとき。彼は今日も周りが寝静まったときを見計らって、家を抜け出した。
いつも土俵として扱われる、広場の土のわずかな盛り上がり。そこで足が痛くなるまで四股を踏み、そうしたらそばに立っている大きな木を相手に、張り手や組み付きの練習をする。そうして少し足に力が戻ってきたら、また四股を踏んで……ということを繰り返していたらしい。
素人ゆえに、それ以上有効な練習の仕方が分からなかった。ただ、でかい奴らを上回るためには、量をこなすしかない。そう信じる彼が、何度目になるかも分からない四股を踏んだときだった。
足元で「びきびき」と、土が立てるべきじゃない甲高い音を響かせる。
見ると、踏みしめた自分の右足を中心に、木の根を思わせるひび割れが、深く長く走っていた。ちょうど土の山の端から端まで、うねるように横断した大きい傷跡を見て、少年は自分の四股の強さを喜ぶより先に、おののいてしまったとか。
また明日も、ここでは男たちが相撲を取ることだろう。その時に、昨日まではなかったこのようなひび割れを見たら、犯人を追及されるかもしれない。だったらここは、何事もなかったように細工をしておくのが、最優先ではないかと。
少年は周囲から少しずつ土を集め、丁寧にひび割れの中へ注いでいく。わずか三寸(10センチ)ほどの長さを埋めきるのに、かなりの土と時間を使った。
村の外れまで足を伸ばしては、土を運ぶ彼の仕事は夜明け前まで続いたとか。道具を使えば楽だったろうけど、そこにこびりついた土などから、足までついてはかなわないと、用心をしたうえでの判断だったらしい。
翌日の仕事終わり。再び、かの広場に男たちが集まった。
ふんどし一丁でならぶ偉丈夫たち。日ごろの土いじりで鍛えた体は衰え知らずで、皆が今日の取り組みの意気込みを見せる中、件の彼だけはびくびくしていた。
怪しまれないために参加はするものの、問題は例の「埋め跡」のこと。
直したてほやほやの付け焼刃。そのぼろがいつ出るかと、ハラハラしていたらしいんだ。
そして、当たって欲しくないことほど、世の中当たっちまうもんだ。
くじで決めた最初の取り組み。
しょっぱなから、いずれも巨漢同士のぶつかり合いになったが、少年の注意は手前側の男に注がれている。彼が立っていた位置は、今日の未明に自分が立っていた位置だからだ。男が振り上げるぶっとい足を、かたずを飲んで見守る少年。
その足が地に着いたとたん、足がわずかに地面の中へ埋まる。同時に、苦労して埋め立てたばかりのひび割れが、あっという間に再び姿を現わしたんだ。
自分のときよりも、ひびはずっと長くて広い。土俵代わりの盛り上がりを越え、下に控える自分たちの足元まで届く。その様子を見て、多くの者がうなり、また称賛の声をあげた。
事態を知らない者にとっては、彼自身の強烈な四股踏みゆえの威力にしか、思えなかったからだ。
相手も、それを見てわずかに動揺したが、すぐ負けじと右足を振り上げる。
柔らかい体躯も手伝って、頭よりずっと高く持ち上げられたつま先は、うなりをあげて地面へ叩きつけられた。
先ほどに負けず劣らず、広く長いひび割れが周りを襲った。
あるいは重なり、あるいは範囲を広げたそのひび割れた血の姿は、乱れた葉脈を思わせる複雑さ。もはや盛り上がりのうち、無事な部分を探すのが難しいほどの状態に陥った。
だが、そこから先の取り組みは行えなかった。そのひび割れから、たちまち黄色がかかったもやが飛び出してきたからだ。
一度、皆の頭の上まで飛び上がったそれは、誰彼かまわずに降り注いでくる。そのひとつひとつは、黄色いタンポポの花弁のようにも思われたが、ひとたび撒かれたらせき込みが止まらなくなってしまう。
彼らはたまらず、各々の家まで逃げ帰った。
そのせき込みの激しさたるや、飯どころか水さえも、飲み込んだはしから吐き出してしまうほどだったとか。横になれば楽になるかと思えばそんなことはなく、各家で一晩中、せき込む声が止むことはなかった。
しかも、一夜を明けて状況はさらに悪化する。あのひび割れる四股を踏み、もやの中心にいた二人が危篤の状態に追い込まれてしまったんだ。
原因は窒息。二人の喉奥には、オオイチョウダケを思わせる白いカサがいくつも重なり、空気の通り道をほぼ塞いでしまっていたんだ。
耳や鼻の通りが悪くなったと訴える者もおり、他の人がのぞいたところ、やはりキノコが穴の内部を覆っていたらしい。昨日の土俵まわりなどは、すでにひび割れの上を含めて、キノコに隠されてしまい、その白いカサが連なる様は裾野のように思えたほどだとか。
無事だった者は手分けして、別の村や町に赴き、修験者たちに助けを求めた。
そのうちの一人が、大量の塩を持参して、各キノコ類に振りかけたところ、奴らはたちまち身体をしぼませ始めたという。
ナメクジのように、どんどんとしなびていく姿に安堵を覚える人々。彼らの体からもキノコは取り払われていくが、最初の二人はとうとう意識を取り戻すことはできなかったらしい。
このことがあってから、四股を踏む際にはそれに前後して、塩を撒くことが奨められるようになったらしい。
きょうび、地面を足で思い切り叩くようなことが広まっていないのも、このせいなんじゃないかと俺は思っているんだ。