第八話 群青
西の大陸。
海と山に面したこの国は、完全に孤立していた。陸路での移動は不可能と言われ、人は海路を使う。その理由はごくごく単純で、二山挟んで北側にオークの支配地域が広がっているからだ。緑の巨人とも称される彼らは、生まれながらに人と隔絶した力を持ち合わせている。
全長3m以上。
小さい個体でも2mを超える巨躯は、近くにいるだけでも恐怖を感じてしまう。頭脳はそこそこといった所で、人に出し抜かれる事も良くあるが、単純な戦闘なら強すぎて手が付けられない。戦闘能力を上回れる種族は指で数える程だ。この地区において、人が正面切ってオークと戦った戦争は全敗している。人はオークと戦うくらいなら海に逃げるのだ。海と山に阻まれ、攻めるのにひと手間いるこの地域にオークもわざわざ草木をかき分けてまで人里に来たりしない。もし、奴らが来るとすればオークの国で極刑を言い渡された罪人がなくなく逃げて来る事くらいだろう。
大規模な戦闘は無いが、来るかもしれない事を考慮すれば油断はできない。だからこそ昨今、量産化に成功した魔法結界発生装置。通称”ドーム”が魔の者の侵入を阻む。移動要塞化の案も出たが、据え置き型の為、そこまで都合の良い物にはならなかった。港は交易用に入り口が開いているので、もし攻めるなら海側からとなるが、海には海人族がいるので回り込む事も不可能。人は安全地帯を確保する事に成功した。が、陸路を絶たれているという諸問題を解決出来ず、自給自足では生きるに足りない。
この地では何から何まで輸入に頼っている。今日も港から船が出る。それを山の上から眺めていた頭がハゲ上がったシワだらけの老人。腹に届くほど蓄えた白髭が長い年月を感じさせる。だが歳に似合わず筋肉が凄まじい。手足はそう長くないが、骨太なので頑丈な大木を彷彿とさせる。
第八魔王”群青”。
その辺の岩を椅子代わりにして座り込み、愛用のこん棒を杖代わりに手をこん棒の先に置いて、その上に顎を乗せる。周りには侍女が二体、護衛が四体、視界の邪魔にならない位置取りで立っている。群青はこの風景に落ち着きを覚える。ゆったりと時が流れているような風景は「和む」の一言。特に船の造形が好きで、出航を見れた今日は当たり日だった。若い頃は戦争にしか興味がなく、来る日も来る日も戦い続け、飽きる事無く殺し続けた。ある日、魔王の座を戴く名誉を賜る。円卓に上り詰めた彼は、調子に乗って”古代種”に喧嘩を売った。想像のはるか上を行く強さは彼の心を折り、次第に戦いを忌避し始める。
”古代種”との永きに亘る戦いは惨敗。それ以降、何度か倒す方法を模索するも、見込みは一切なかった。それというのも戦いの後、もし丸一日時間を置いてしまうとすっかり回復するのだ。勝てるとしたら一度の戦闘で間を空けず一息に倒す以外勝ち目はない。
(それを可能にしたというのか……それとも……”古代種”は種族毎に能力の振れ幅が大きいのか……”鏖”が強すぎるのか……あるいは……)
その両方か。自分の代で”古代種”に勝つ魔族が出た事に複雑な心境を覚える。しかも、自分が魔王になり、調子付いて戦った歳よりずっと若い女魔王が倒したというのだ。戦闘能力は男のものだと自負してきた彼は、その自信すら潰されたので気持ちが荒んでいた。
(彼奴が裏切り?真面目で頑固なあの小娘が……殺戮兵器と謳われた、自由意思のないあの”鏖”が……何故に人間一人に心変わりをするというのか……裏があるようにしか思えぬ……)
聞けば聞くほどに不思議な話である。もし、全てが本当なら操られている可能性がある。”古代竜”を倒し、疲弊しきった所をつかれた。ならば、部下は何処にいたのか。ヒューマンはどのタイミングで、操ったのか……。倒したのが嘘で、任務失敗を恐れた”鏖”が隠蔽の為、部下を攻撃した。これなら辻褄があう。しかしそれでは報告と違う。イミーナの報告では打倒には成功している。その後、突然”鏖”から攻撃にあったと報告書には記載されていた。
単なる見栄か、隠さねばならない何かがあったか……。
可笑しな事だが”黒雲”が今回の件を容認し、”鏖”に対し裏切りのレッテルを貼っている。あれだけ重宝していた戦力を切ってしまう程の裏に潜む何か。円卓内で何かが起こっている。
「ったく……一筋縄ではいかんのぅ……」
老人はぼやく。最近内政も安定し、こうして趣味に走れるようにもなったと言うのに、心の平穏は訪れない。未だ次代の王候補がいない事もそれに起因していた。もう引退すべきである。自分は永く務めすぎた。新しい風が入らず、発展を遅滞させているのも今の政権のせいである事は理解しているが、任せるに足る者が現れない。その思いはため息となって、群青の背中を小さくさせた。
その時、後ろから走る音が聞こえた。どうやらここを目指して走っているようだ。走ってきた者は周りの護衛の前に立つと何やら焦って情報を伝えている。
「”群青”様。今、よろしいでしょうか?」
「うむ。何があった?」
群青は左隣に立つ護衛の一人に威厳たっぷりに聞いた。
「”黒雲”様の執事が入国したようです」
「あの優男か……。なんのようだ?」
群青は伝令の為、走ってきたオークに視線を移し、直接聞くことにする。
「はっ……それが火急の用事との事で内容までは……」
(このタイミングで来おった……か。イミーナの使いではないのが気掛かり……しかし黒雲は本当に何を考えておる?)
群青は鼻をフンッと鳴らして視線を正面に戻す。
「儂は忙しい、待たせておけ。無理なら帰らせろ」
「りょ……了解しました!」
伝令は即座に踵を返し走り去る。護衛は走り去った方を眺めた後、群青に向き直り、
「よろしかったのですか?黒雲様の執事、その上、火急の用事と言う事は円卓会議についてでは?」
「だろうな。だが、今回は出んぞ。今の状況は好かん。今の黒雲も解せん。儂は動くつもりはない」
群青は頬杖をついてしばらく動かなかったが、ふと思い立ったように立ち上がる。
「……戻るぞ」
「「「「「「はっ!」」」」」」
六体のオークは揃って声を出す。突然の行動に対しても即座に行動する部下たちを尻目に、早足で国に戻る。城に入ると応接室に直行する。礼節も何も無く、ズカズカ入っていく。そこには執事が座って待っていた。
「お早いお帰りで……お待ちしておりました」
群青を見るなりスッと立ち上がって礼をする。
「うむ。ご苦労」
奥に置いてあるでかい椅子にドカッと座り、執事にも座るよう顎をしゃくる。
「火急の用事と聞いておるが、儂はそれに興味がない。一つだけ儂の質問に答えろ」
「藪から棒ですねぇ……まぁいいでしょう。その質問の後、私の伝言をお伝えしましょう」
もうそれでいいと手を振って了承する群青。執事が居住まいを正し、「どうぞ」と質問を促す。
「ラルフというヒューマンの詳細が知りたい。多くの情報が欲しいが、主の知る限りで良い。主の見解も兼ねて聞かせて欲しい」