第ニ話 木こり
山の上にある小さな小屋。素人目にはよく建てられた小屋だが、職人には粗の目立つ個人で建てた自作小屋。雨風を凌げる事だけを考えれば完璧ともいえる。
空が白んできた朝に小屋の扉が開く。そこから出てきたのは、こんな鬱蒼とした山奥に住んでいなさそうな若い男性だった。木を切る為の機能美にあふれたシンプルな斧を肩に担いで、少し離れた木の切り場にやって来る。寝起きの体を起こす為に体をほぐす。少しストレッチをした後、斧を振りかぶる。コーンッコーンッという小気味いい音を鳴らして木を細かく切っていく。お風呂や料理用の燃料に蓄えを増やす朝の日課だ。最後に斧を振り上げた時、妙な音が聞こえた。
(……何かが走っている?)
振り上げた格好のまま目を閉じて耳を澄ます。ガサガサッという草木をかき分ける音が慌ただしく動き回っている。人位のサイズ。速度は遅い。何かに追われている?この辺の魔獣で人を襲うとなれば中型魔獣のシャープエッジ。群れで狩りをする、狼の様な習性で独特な戦術を用いて攻撃を仕掛ける。ベテランの冒険者でも戦い方を誤れば危ない程だ。
(遠いな……全力で走れば20秒……)
そう考えた時には体が動いていた。肩に斧を担いで姿勢を低く走り抜ける。山を知り尽くしたこの体に、草木が邪魔する事はない。走っている音がどんどん近付く。間に合うかどうかは五分五分といった感じだったがどうって事はなかった。まだ襲われていない人影を見つけた。
案の定シャープエッジが人影を追っている。見た目はイタチ科が最も近い。体がイタチで足が狼のように長い。口の中に納まりきらない発達したごつい牙が口外に出ている。追われているのはホブゴブリン。シャープエッジが追い付き、飛びついた直後、彼は瞬時に間に入って斧を叩き込んだ。
「ギャンッ!!」
胴体に突き立つ斧。攻撃特化でない簡易的な斧でも役に立つものだ。深々と刺さって致命打となる。一匹は不意打ちから深手を負って虫の息だ。斧を引き抜いて次の獲物を見据える。シャープエッジは睨み付け、グルルッと唸る。彼はホブゴブリンを隠すように庇う。数だけで言えば多勢に無勢[だが]、シャープエッジのパターンを知る彼にはこの状況は不利[だが]_逆接の連続_、勝てないわけではない。虫の息となったシャープエッジに斧を振り下ろし、止めを指す。残忍な光景を見た他の仲間たちは恐怖から萎縮する。血だらけの斧を突き付け、
「今日の昼飯になりたい奴はかかってこい」
言葉の意味は分からないだろうが彼の殺意が物語っていた。
一斉に掛かれば一体を殺す自信はある。しかし、その為に何体犠牲にするのか?獣は人以上に損得で動く。死にたくない獣は力の差を見極めると逃げ去った。死んだシャープエッジを担いでホブゴブリンに振り向く。
「大丈夫か?」
さっきとは拍子抜けするほど違う、彼の様相に少々ビビりながら、恐る恐る喋り始める。
「ヒューマン……カ?」
その様子は、未だ脅威が去っていないと物語っている。
「あれはシャープエッジっていって群れで狩りをするんだ。一人じゃ危ないよ?他の仲間は?君らには強い味方がいるはずだろ?」
一昔前のゴブリンなら洞窟に魔獣を十匹放つだけで全滅を免れないが、怪我を物ともしない屈強な今のゴブリンなら一騎がけでも二体は殺せる。シャープエッジの単純に二倍の強さなら、護衛が三人で魔獣は近寄ることすらしない。
「……ミンナ、コロサレタ……」
その目は呆然としてどうすれば良いか分からないといった途方にくれた目だった。冗談のような話だが、護衛のゴブリン達に襲いかかって勝てる魔獣がこの辺にいるらしい。何体かは事前に分からないが「ミンナ」という表現から五体以上は確実だろう。木こり用の斧を見て威力を測る。(足りない……)この程度の武器では勝てない。彼は小屋に戻る事を選択した。
「とりあえず一度態勢を立て直そう。良ければ俺と一緒に来ないか?」
男が手を差し出すが、ホブゴブリンは怯えて手を取ろうとはしない。一度手を引っ込め、今一度伝える。
「ここで一人になれば魔獣に殺られる。俺がもう一度助けようと思っても、遠すぎたりしたら間に合わない。ここで会ったのも何かの縁だ。良ければ助けさせてくれないだろうか?」