エピローグ
「遠路遥々、良くお越し下さいました。どうぞお掛け下さい」
イミーナは”黒雲”の執事を迎え入れた。広めの応接室には見事な調度品が並び、主賓を入れるのには最適な場所になっている。執事は一礼の後、一人掛けのソファに座る。向かいに立っていたイミーナはそれに合わせて座り、頃合いを見計らって執事に声をかけた。
「召集以外で貴方に会うのは初めてですね。今日はどのようなご用件で?」
「第二魔王様にお目通りをお願いします。直接会ってお話しする事があるのですが……可笑しな事に気配を感じないのですよ。まさか外出中でしたか?」
イミーナは心の中で舌打ちをする。
(白々しい……既に情報があったからこその来国でしょうに……まぁ……黒雲の指示でしょうね)
表情には一切出さず、笑顔の仮面で隠す。知られるわけにはいかない。ミーシャへの裏切りは円卓への裏切り。自身は潔癖でなければならない。
「大変申し訳ございません。なんと申し上げれば良いか……」
イミーナはあからさまに逡巡して見せ、表情を読ませないように口許を手で覆う。執事は全く動じる事無く、イミーナを見つめる。
「……イミーナ様……黒雲様からのお言葉をお伝えいたします。全て真実を答えるようにと……」
イミーナはこの手の情緒を揺さぶる方法が使えない事を察すると、手を離し執事を見据える。
「……と、申しますと?」
「第二魔王様は現段階ではどこにいるかも分からない状況なのでしょう?あなた方が追いやったせいで……」
(やはり来たか……)イミーナは一瞬身構えたが、すぐに何事もなかったように振舞う。
「まさか、この私が裏切りを働いたと?」
「そうなのですか?」
執事はとぼけたように返答する。神経を逆なでするのが狙いだが、この程度で揺らぐほど単純ではない。
「貴方の発言を聞けば大体は察しがつきます。現在この城に魔王様がいないのは”追いやった”つまり裏切り行為により物理的に帰れないとそうおっしゃりたいのでしょう?」
執事は答えない。ただ、じっと見るだけだ。その行動を肯定と取ったイミーナは意味深に足を組み、余裕の顔つきで話を続ける。
「どれだけの情報を持ってこられたのかは知りませんが、どれも立証は出来ない……だからこそ尋ねられたのでしょうね」
執事は居住まいを正してコホンと咳ばらいを一つ。
「率直に申し上げまして、今回の件で黒雲様はかなりお怒りです。”鏖”は我々の最大戦力……あなた方の小さな野心で失うわけにはいきません」
「私以外にも裏切り者がいる……と。なるほど……何を吹き込まれたか存じませんが、事実無根であると言わざるを得ませんね……。それに十二柱いてたった一つの柱を優遇している今の状況こそ、改めるべきでは?」
「優遇ではなく真実です。第二魔王様の実力は世界を揺るがす異次元の強さ……それは我々に必要不可欠な武器です」
執事は熱弁するが、対するイミーナは冷ややかな態度で足を組み替えた。
「答えになっていません。魔王とは力でもぎ取った地位と名声でしょう?ならば、他が担えば済む事。まさか全て第二に任せられるおつもりですか?」
「すり替えないで下さい。それとこれとは別です。今は第二魔王様の所在と安否が最重要で……」
(面倒な……)とっとと追い出したい所だが、疑惑のまま放り出しては、今度は公式に魔王達の前で問い詰められる。円卓会議の場に出される時は、どうしても祝いの席でなくてはいけない。魔王任命の時だ。
「捜索中です」
「捜索中……第二魔王様がどこにいるかまでは特定できていないのですね?」
イミーナは椅子にもたれかかり、楽な姿勢を作る。
「ええ……現在、躍起になって捜索しております。我々を裏切った魔王様の所在をね……」
その言葉に執事は椅子から立ち上がる。明らかに動揺したような激しい立ち方だ。
「何を馬鹿な……私をからかっているのですか!?」
今にも飛び掛かってきそうな程、興奮している。
「落ち着いて下さい。ここには話し合いに来たのでしょう?まさか危害を加えるつもりでは無いですよね?」
イミーナはお腹の位置で腕を組む。先に手を出す事はないという意思表示である。執事はそれを見るや一瞬止まり、興奮を落ち着け一礼した後で座り直す。
「取り乱してしまい申し訳ございません。第二魔王様が裏切り者?一体どういう事です?」
「どうもこうも、それが事実です。ところで、なにを聞いてここにいらしたんです?」
イミーナはわざと訝しい顔をして、詰め寄るように執事に問いただす。執事がだんまりになった事を確認して、
「良ければ情報の共有をしませんか?すり合わせが行えれば、誤解も解けますよ」
執事に伝えた。それを聞いた執事はイミーナを窺う様に一言。
「……なるほど、一理ありますね……」
イミーナは自分の思い通りに事が運んだ事に内心喜びを隠しきれない。
(ミーシャ……何故あの時、貴方を仕留め損なったかようやく分かりました。これは運命だったのです。私の夢の実現に必要なこと……)
その時、見た事もない男の虚像を見た。
草臥れた茶色いハット、やたらポケットがついている機能的なジャケットを羽織り、肩掛けのカバンを斜めにかけた黒い髪で無精ひげの男。中肉中背、特徴の無い人間。
報告にあった人間の情報が頭でぐるぐるする。そう、名前は(ラルフ……)奴は結局仕留められなかった。人狼の情報では”鏖”の邪魔により、殺す事が出来なかった。何のための物量か……苛立ちが募る。
「……ーナ様……イミーナ様!」
ハッとなって執事に焦点が合う。不思議そうな顔でイミーナを覗き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
「……失礼しました。少し考え事を……」
眉間に違和感を感じて指で触れると、皮膚が破れそうな程、しわが寄っている。疲れた顔で眉間をもみほぐす。
「随分、お疲れのようですね」
「ええ、まぁ……お話しした通り、頭を抱える事ばかりでして……」
執事は様子を確認すると立ち上がる。
「今回の件に関しては、その全てを黒雲様にお伝えさせていただきます。近くご連絡させていただきますので、いつでも書状を受け取れる様にしておいて下さい。本日はこれでお暇します」
「お気遣いありがとうございます。黒雲様によろしくお伝えください」
イミーナも立ち上がり、軽く会釈をする。執事の見送りを部下に任せると、通信機を起動する。それに答えたのはジュリアだった。
「丁度良かった……貴方に会ってほしい方がいます。近く、グラジャラクまで来てください」
『ハイ、ソレハ結構デスガ……差シ支エナケレバ理由ヲ オ聞カセ下サイマセンカ?』
ジュリアの質問に少々呆れる。ジャックスなら何も言わず、即答で済んだだろうが、妹は……。ため息を吐きたい気持ちを抑え、一拍置くと、
「ラルフという男について、姿かたちを細部まで知りたいと思いましてね……これは命令です」
ジュリアは跪くとすぐさま肯定し、三日以内の到着を約束した。通信を切るとソファに座り直し、背中を預ける。
「ほんとに……厄介な事ですね……」
*
「……ぶぁっくしょん!!」
ラルフは山彦でも起きそうな程のくしゃみが出る。
「うっさいノぅ……隣にいル妾達ノ事を考えい」
「ラルフ、風邪でも引いた?」
山登りをして、寒くなってきた頃に来たくしゃみだった為、自分でも冷えた結果だと思った。
「いやいや、大丈夫。ただ鼻がかゆかっただけだ」
だが、心配をかけるわけにはいかず、そこは隠す。
「そう?無理はしないでね?」
「ミーシャ様、こやつを甘やかすノは如何かと……」
ラルフはミーシャとベルフィアに向き直る。
「俺の味方はミーシャだけだ……。ベルフィアは、もう少し優しくなってくれよな」
「妾はそちを認めとル。それじゃいかんノか?」
ベルフィアはミーシャをチラリと見て視線が合うと二人して笑顔で頷き合う。いつの間にやら二人の間に信頼関係が出来た様だ。ほほえましい事だ。
「まぁでも、標高が高いと寒くなるのは当然ね。私たちはテントでも悪くないけど、雨風が凌げる場所が必要か……ここから一番近い中継点はどこ?」
ラルフは地図を広げて、確認する。ミーシャとベルフィアにも見せるように指し示す。
「次はここだ。ちょっと遠いけどここから北西に四、五日行った先にある”ゴブリンの丘”。行っても、すぐにすぐってわけにはいかないな。しばらくはテント暮らしだ」
その言葉にベルフィアが反応する。
「ゴブリンじゃと?あんな未開な連中。中継地点に設定すルノは間違っていないか?」
ラルフが地図を閉じながら冷ややかな視線を送る。
「確かについ最近までは未開と思われていたが、実は結構、話の分かる奴らなんだぜ?特に丘の連中は人間の国と武器の取引をしてる。戦争には参加していない中立だからうってつけさ。まぁ、丘の連中に関してはだけどな……」
ベルフィアは心配が尽きない。何せ原始人と変わらないと認識しているからだ。
「武器ノ取引じゃと?ゴブリンノ武器などこん棒か石斧程度じゃろう。そんなノと取引?人間はヨっぽど困窮しとルんじゃノぅ」
「最近起きたばかりのお前に教えると、ゴブリンの技術は侮れないぜ?ゴブリン印の武器ってのが一時期流行ったんだ。素晴らしい刀工が打った剣が出回ってな。その時は騒然としたんだぜ?あのゴブリンが?ってな」
「嘘じゃ!」「本当だって!」という譲らない二人の言い争い。ラルフはベルフィアにゴブリンの事を教え、ベルフィアは懐疑からそれを信じない。実物を見ない事には水掛け論である。
「コラコラ、二人とも喧嘩しないの」
そこにいつもは子供じみた発言の多いミーシャがお姉さんぶって割って入る。
「とにかく”ゴブリンの丘”に行くのね。会ったことないし、なんだか楽しみ」
「ミーシャ様が汚されない事を祈ルばかりです……」
「そうだな、百聞は一見に如かずか……行くぞ!”ゴブリンの丘”に!!」
ラルフは手を振り上げ同調を誘うが、二人は別にそれほどでもないらしく鬨の声は上がらなかった。調子に乗ったラルフは場違いだったと手を下ろし、恥ずかしがる気持ちを息で整える。パンッと拍手を打つと、気を取り直して話す。
「はい……まだ早いけど、あそこで野宿にすっか。……ミーシャ、ベルフィア、手伝ってくれ」
先の不安は残るものの、まだまだ分からない事だらけの現状。先々の不安は後回しにちょっと先の空き地を見つけて移動するのだった。




