第三十三話 巫女
森王は自室に篭り、質の良いハーブティーを飲んで心を落ち着けていた。先の連絡で彼の魔王が全ての原因である事を知らされた時、巫女の顔がチラついた。
『今の世界を守る為、ご決断をお願いいたします』
あの言葉が頭から離れない。彼の魔王は確かに脅威ではあったが、いずれ越えられる壁の一つ程度に考えていた。永い時の中で、どんなに強いと言われてきた魔王も新たな英雄たちに滅ぼされている。この枠組みから外れた魔王など存在しない。悪はいずれ滅びるのだ。
それに、公爵の話では”鏖”は人で言う、人望がなく、裏切られ、傷つき、死にかけていた。何とか回復する事が出来た様だが、部下の裏切りに憤慨した魔王はその報復の為、敵味方見境無く殺し回っている。天樹の巫女によって裏付けが取れたので、これは真実だろう。それにアルパザに向かった民が公爵と魔断の報告に対し、嘘偽り無いと証言している。脅しの雰囲気も感じられなかった。
その情報をいち早く察知した公爵の情報網を訊きたい所だが敢えて無視をする。今は内々で対立する事は避けたいからだ。だが、どうすべきかが見えてこない。白の騎士団を総動員して”鏖”にぶつける。戦力においては問題ないかもしれないが、他の場所の戦力が減る。現実的じゃない。グラジャラク大陸にいた頃を考えれば兵士や要塞が無い分、楽かもしれないが、魔王一行がどこにいるか特定が難しいので戦場を決める事が出来ない。
ならば公爵に全てを任せるか?
全権を委任すれば、頭の痛い問題は解消できる。公爵は頭も回るので、居場所の特定や追跡に関しても期待して良いと言っていい。だがイルレアン国は武力最強国家。公爵に私情で動かれるのは不味い。勝手に動かれて、今回の様な連絡も取れない事態となれば、それこそ戦力に難が生じる。
こうなれば国家間で注意を払うしかないだろう。魔王に懸賞金をかけても、ならず者程度が勝てる程魔王は弱くはない。国が傾くレベルの強さと考えれば、犬を放っても全滅か、あるいは賞金稼ぎの廃業か。いずれにしても黒曜騎士団団長に人相書きを手伝わせ、国に入れない様にするくらいしか方法がない。それでも入国審査に際して、審査官が確認中に殺される様な事も考慮すれば、結局犠牲無く済む事など土台無理な話。
むしろ、犠牲者がでないと各国の連携は期待出来ない。部隊編成や結界の強化に至る軍事面の改善など夢のまた夢である。白の騎士団レベルで強く、魔王に対抗出来るそんな個がいればここまで悩みはしないのだが、無い袖は振れないので諦めざるを得ない。結論は現状維持に毛が生えた程度の警備体制の強化だった。
そんな事を考えていると、部屋の外に誰かの気配を感じた。自然との調和を重んじるエルフの部屋に扉はなく、カーテンで部屋を仕切っている。実に無防備な環境だが、これには理由がある。外界との交流すらまともにしないこの国は他国の人種が住み着く余地を与えていない。エルフ以外を入れない事で無用なしがらみを作らない様にしているのだ。エルフ族は血と誇りを何より大事にする。その為か犯罪発生率は極端に少なく、あっても痴話喧嘩や活発な子供達の騒音問題くらいで、全くの平和と言って差し支えない。エルフェニアはエルフ族のみ許された天国である。
「……誰だ?」
布越しに人影を作るその姿は女性のモノだ。
「わたくしでございます……森王様」
「その声、巫女か……何用かな?」
森王はティーカップを皿に置き、居住まいを正す。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ。入るがいい」
布をめくって入り、その場に跪いた。巫女は天樹の湧き水で身を清める為、肌の露出が多い煽情的な服装をしている。局部は見えないように工夫しているが、少し動けば見えてしまいそうな程、危うげだ。殿方の手前、下着をつけてほしい所だが、これが伝統ある巫女の服装とあらば強く言えない。指摘するのも失礼に値する。
「それで?」
「あの件……ご決断いただけましたか?」
あの件とは即ち”鏖”の事だ。巫女は陛下に対して催促をしに来た。ある種の特権階級である彼女だとしても、そのような無礼は許されてはいない。
「……悪いがその件に関しては後で話をしよう。それと、そなたは私にいつでも会いに来られるが、権限の範囲内で動くのだ。今回は不問とするが次回は許さない。一応、再教育を受けて……」
「森王様……」
巫女はすくっと立ち上がる。特に何かをしたわけではなく、ただ立っただけだ。だが、突如凄まじい重圧が襲い掛かる。見た目は巫女そのものだが、気配がまるで別物。
「そ……そなた……は、誰だ?」
声が震える。今まで感じた事の無い恐怖。年中、気候が安定したこの地が凍りつくような……危険すら孕んだ狂気の絶望。
「わたくしは何も変わりません。……怯えないでください。森王様が感じる絶対的なこの力は、神様のモノでございます」
「……神……?」
巫女は頷き、そのまま続ける。
「神様は自らを”創造主”と称されました。安心してください。決して悪ではございません」
(この気配が悪ではないと?)
信じられないといった顔で巫女を見る。
「言いたい事は分かります。わたくしも初めは戸惑いました。しかし、身を委ねた時、理解出来たのです。彼の者こそが神様だと言う事に……」
巫女は遠くを見つめ、さらに不安感を与える。森王は呆然と眺めていたが、次第に慣れてくる。頭を冷やすと不透明な部分が見えてきた。
「……それで……その神とやらは、私に何をさせようとしているのかな?」
「……あなた様はどうすべきか悩まれていますね?魔王という面倒な邪魔者……強すぎるが故に、どうすれば討伐ができるのか……と」
「なるほど……つまり神は魔王討伐の為、お力をお貸し下さるというわけか……神にとっても”鏖”は都合が悪い存在なのだな?」
森王は間髪入れずに要約した。これは巫女の答えを予想していたからではあるが”神”という存在が気に入らないからこそ出た、明確な苛立ちと拒絶である。森王のそんな感情的な部分を鼻で笑い、余裕の表情で巫女は一歩前に詰める。
「ええ、その通りです」
「ならばその神とやらが降臨し、潰せばいい。簡単な話だ。何故そなたを通して私に伝える?絶対者であるなら私の権威や権限など必要ない。こう言ってはなんだが、勝手にしてくれればいい」
「神とやらではなく、神そのものです。”創造主”は肉体をお持ちでなく、干渉には媒体が必要になるそうです。その触媒についても現代で用意できる物がなく、事実上、干渉する事はできません」
森王は椅子に、もたれかかりため息を吐く。
「難儀なものだな……我等も無いない尽くしだが、神にも出来ぬ事があると……ならば魔王討伐など不可能ではないか?」
「可能です」
きっぱりと言い放つ巫女。その表情は恍惚と言って差し支えない程だ。神という存在に心酔しているのが良く分かる。森王は恐怖を感じながらも、問いただそうともたれた椅子から身を起こすが、彼より先に巫女の口が開く。
「時に、森王様は古の儀式をご存じですか?」
「古の儀式?」
巫女は森王に滔々と語る。
「天樹を媒介にし、外なるものを召喚する”天樹召喚”。人類の守り手として召喚し、英雄となった”守護者”と呼ばれる存在。彼らはこの世界に特異な能力をもって顕現する。能力に触れ幅こそあるものの、いずれも理の外。彼らなら魔王を倒しきれます」
「それはそなたが知り得る情報ではないはずだ。それに誤解があるようだが、”守護者”は決して英雄などではない。あれらはどちらかと言えば”侵略者”だ」
巫女は笑いながら森王との距離をまた詰める。
「一側面から見た誤情報です。歴史を見れば彼らがいたからこそ助かった人種も多いでしょう。”創造主”は安寧の為、彼らを使う事をご所望です」
「……世界を滅ぼすつもりか?」
それを聞いた巫女は更に歩み寄る。巫女と森王の距離はもう1mもなかった。
「救うのです。間違えてはいけません」
「間違いだと?冗談ではない。”天樹召喚”など絶対に認めない!」
森王は一瞬激情に身を委ねるが、巫女は涼しい顔で見つめている。
「仕方ありませんね。固定観念という奴です」
森王から視線を外し、虚空に話しかける。不気味な姿だが、先程からちょくちょく視線が外れている事を思えば、それこそちょくちょく神と交信しているのだろう。これも慣れてしまえば気味の悪さも薄れる。
「私は断固として反対する。この国を見よ。他の人種を入れないからこそ平和が保たれている。この世界に異世界人を入れる事は均衡の崩壊だ。その神にも分かるはずだ。もし”天樹召喚”をしようとするなら、そなたは我が国の敵だ。死をも覚悟せよ。よいな?」
視線の会わない巫女に指を差し、とにかく伝える。巫女は微動だにしない。普段湧き上がることの無い不快感が森王の気持ちを満たす。
「もう用は済んだはずだ。出ていけ!」
また大声で恫喝する。大声に反応したのか、巫女はおもむろに視線を会わせると、微笑みながら森王の目線まで屈む。
「何も終わっていません。神様は森王様の反対する”天樹召喚”を心から望んでいます。どうか、どうかもう一度お考え直し下さい」
「くどい!」
森王は椅子から立ち上がり、巫女を一喝する。
「ここまでいってもダメですか……分かりました。”天樹召喚”はこちらで勝手に行います。森王様はこの事は忘れ、どうか今まで通りお過ごし下さい。わたくし共を目の敵にしていただいても良いので、邪魔だけはしないで下さいね?」
森王は信じられない事を聞いたと驚いた。
「共?……だと?」
つまりこうしてやって来たのは、単なる代表として来たという事だ。他にも存在するなら、ここで押さえ込んでも突発的に”侵略者”が来るという事だ。
「なんという事だ……そなたらは何を考えている?」
「世界の救済です。全ては神様の御心のままに……」
「いかん……いかんぞ……見過ごせん!誰か!!おらぬか!!」
森王は部下を呼びつけるが誰も来ない。
「ま……まさか……」
「ご安心下さい。誰もいなくなってはいません。皆様は、わたくしの……神様の味方という事です」
微笑みながら森王を見つめる。その目は暗く淀み、深淵を覗いているようだった。