第四十七話 多次元戦争─前─
「始めるぜ?」
船首に立っているラルフはネックレス型無線機にポツリと呟く。草臥れたハットを被り直し、正面を向いた。そこには黒い雲が広がり、ゴロゴロと稲妻が走っている。今から起こることを暗示しているかのように不吉な印象を受ける。
その不穏な空気を切り裂くように両手を突き出したその瞬間──。
ピシッ
ガラスにヒビがいったような音と共に空間に亀裂が入る。いつもラルフが開ける次元の穴の開き方とは明らかに違う。
世界と世界をつなぐ入口は固く閉ざされ、誰も移動することなど出来ない。今ある常識が全て覆ってしまうから。
別の世界を夢見ても行ってはいけない。下手をすれば世界が滅んでしまうから。
ビキビキ……パキャァンッ
それでも開いた。未知なる世界の壁を。
今いる世界とは別の次元が割れた空間を隔ててすぐそこに存在する。
『あーあ。やったよ……やっちゃったよ』
豊穣の神アシュタロトは呆れたように言っているがその顔は喜悦に満ちていた。
昔々、藤堂が考えなしに開けてしまった時とは違って今回は準備が出来ている。だから楽しめる程度には安心しているのだろうことが見て取れた。
魔王が吸血鬼が竜魔人が魔獣人がデュラハンが半人半魔がゴブリンが異世界人が……そしてヒューマンが。世界最新最強の戦艦で次元渡りに挑む。
穴の向こう側はヲルトよりは少し明るいが、曇っているのか灰色掛かっている。
「いやぁ、開いちまったなぁ……来るぜぇ、奴らが……」
藤堂は艦橋で当時のことを思い出しながらニヤリと笑う。何が来るのか、その言葉の意味はすぐに現れた。
ウゾウゾと蠢く黒い集合体が遠くの空から徐々に向かってくるのが見えた。その影が一粒ポロリと剥げて向かってくる。
近くに来ると分かるが、それは羽を高速で羽ばたかせる人の形をした怪物。顔は虫のようで、体は毛を抜いた猿のようだ。生き物として成立させたくない生理的悪寒の走るスタイル。非常にバランスが悪い。
「……偵察……か……」
白絶は船の横でポツリと呟く。共に浮遊していた部下のテテュースも「そのようで御座いますね」と相槌を打った。
気味の悪い虫魔人が穴を潜ると、首を二、三度左右に傾げながら状況を確認している。複眼でいまここに居る敵を視認しているのかもしれないが、真意は不明だ。
ドンッ
その時、空気を震わせる音が鳴り響く。それと同時に放たれた魔力砲は寸分の狂いなく虫魔人に飛び、上半身を消し炭にした。
「気持ち悪い」
ミーシャは怪訝な顔で右手をかざしていた。
「ふっ……相変わらずだな。さぁ、狼煙が上がったぞ?」
鉄は両手から溶けた金属を滲み出し、剣の形に形成させ、一瞬にして硬化させた。それを側で見ていた黄泉は鼻で笑う。
「ふんっ……それだけか?足手纏いにはなるなよ、鉄」
「……面白い」
黄泉と鉄の二柱はニヤリと笑い合う。これから起こる戦闘に心躍らせている。
「見た感じは雑魚だな。あれなら簡単に殺せる……ま、それだけじゃ終わらないか……」
ティアマトは手を合わせて肩を回す。久しぶりに動かす関節がゴリゴリと音を立てて解れる。額の宝石に指を這わせて微笑んだ。
「ドレイク様……私をお護り下さい」
目を見開いて瞳孔を縮小させると魔力を全身に行き渡らせる。殺戮を意識した肉体は熱を持ち、今か今かと争いの時を待つ。
「来るぜ」
ラルフは次元の穴を注視していた。ミーシャの一発が呼び水となり、待機していた虫魔人の群れが濁流の如く押し寄せた。
「全砲門開け!魔力砲一斉射っ!!」
アンノウンは前方に手をかざしてアスロンに命令する。それに対して冷静な声で返答する。
『了解。魔力砲、一斉射』
超次元戦艦ムサシに積まれた三連装砲から魔力砲が放たれる。まるで光学兵器のように太い魔力砲が前方に向いている六つの砲塔から発射された。穴から雪崩れ込んだ虫魔人は相当数がこの一撃で消滅した。しかし凄まじい物量に全部というわけには行かず、やはり取り零した。
「波◯砲って訳にはいかないか。結構ショックだな……にしても何で今日に限ってあの数が次元の壁の前にいるのよ」
アンノウンのボヤキに藤堂が答える。
「今日だけじゃねぇよ?あの日もそうだった。何でかは分からねぇがあそこに常駐してる連中が居るみてぇだ。あんなブサイクなのは昔は居なかったがねぇ……」
藤堂もあの頃と変わってなかった状況に懐かしさを覚える。
「ふんっ、何はともあれ戦闘が始まっタ。妾達も行くぞ」
ベルフィアの号令と共に転移魔法で一気に甲板に出現し、虫魔人との戦いに従事する。
ブレイドはガンブレイドを駆使して戦い、ティアマトは熱線で虫魔人を焼き切る。鉄の卓越した技能と変幻自在の武器はあっという間に虫魔人をバラし、黄泉は影の世界で多くの虫魔人を取り込んで圧縮させ、ゴミのように投げ落とす。圧迫された虫魔人はもちろん死んでいる。
ベルフィアは凄まじく薄く鋭利な魔力の板で斬撃を飛ばして細切れにし、エレノアは雷の魔法で感電死させ、白絶は魔法糸で囲ってはバラバラに引き裂いた。
各々の戦い方を披露し、この間も戦艦からは魔力砲が撃たれ、虫魔人如きでは接敵することはおろか、逃げて生き延びることも出来ない。
「あ、見ろよ。デカいのも入って来てるぜ?」
硬い外骨格に身を包んだ超巨大バッタの怪物が羽を用いて空を飛び、侵攻してくるのが見えた。
だが単に巨大というだけではただの的である。現にティアマトの熱戦、鉄のあり得ないほど巨大な剣、白絶の網のように魔法糸で囲い込んでからの斬撃など、硬いはずの外骨格は意味を為さずに強力な技で死んでいく。
「こいつら弱いな……数だけは凄いけど、何だろう?何でこんなにも命を粗末にするのかさっぱり分かんないや」
ミーシャは疑問符を浮かべる。その疑問にラルフは一つの仮説を生み出す。
「命を捨てられるほどの忠誠心。または魅了して攻撃を仕掛けさせる……奴らを操ってる頭領が居るな。とりあえずはこの圧倒的有利な状態を維持。ある程度削ればきっと姿を現すだろうぜ」
戦いがどんどん激化する中で、ラルフの予測通りついに虫魔人の頭領が姿を現す。




