第三十四話 帰ってきた日常
「ガノン樣ぁ〜!」
照りつける太陽の下。青いビーチに白い砂浜。男性にしては高く、良く通る声で金の長髪を振り乱しながら、優雅に走ってくる華奢な男性。
仮面を被っていて顔を見ることは出来ないが、体はそれなりに引き締まっていて身長もそれなりに高い。
ルカ=ルヴァルシンキ。
人形師の称号を持つ彼は手練れの魔法使いでもあり、各国で公演を行う売れっ子アーティストでもある。
「……手前ぇその仮面暑くねぇのか?」
直射日光をパラソルで防ぎながらガノンは訝しげに尋ねた。
「大丈夫ですよぉ。蒸れないように魔法を使用していますし、このまま海に入っても顔を濡らすことなく半刻くらい水の中で呼吸が出来る仕様になっています。時を忘れて遊ぶにはもってこいの魔道具です」
指を絡ませるように手を後ろに組み、もじもじしながらガノンの前で仮面の効力を説明する。
「……なっ!?凄ぇ。そんなもんがあったのか……そいつがあれば魚人族共にだって遅れは取らねぇ」
住んでいる世界が違うということで海で強さを誇示することは諦めていたが、これさえあれば海も怖く無くなるだろう。素直に感心したガノンだったが、それ以上にルカのナヨナヨしさが気になった。
身体能力がなさそうな見た目と雰囲気。そう感じるのも無理はない。全く日に焼けていない真っ白な肌に、筋肉の付きにくい痩せ型。こちらに走ってくる時など手を横に開いて内股で走る典型的な女の子走りを披露したのだ。目の前でもじもじしている姿は恋する乙女のようだった。
(……なんか……輪をかけて気色悪ぃな……)
男と話をしているはずなのに女と対峙しているようなちぐはぐさを感じる。初めて顔を見た温泉の件でも思ったことだが、脳がバグる。あの時以上に磨きが掛かった女の子らしさがガノンには耐えられなかった。
「あ、ルカじゃ〜ん。なぁに?もう戻ってきても大丈夫なの?」
そんな二人きりの状況にアリーチェが声をかけた。その瞬間に乙女モードが途切れ、通常のルカが顔を出した。
「おお、これはアリーチェさん。相変わらずの食欲なようで安心しますね」
アリーチェの両手には皿いっぱいに盛られた海鮮串の姿があった。「ああ、これ?良いでしょ?」と笑って自慢する。
「ふふっ……先の質問にお答えしますが、もう大丈夫です。公演は全て中止にしてきましたので旅に専念できます。ご安心を」
ルカはアーティストとしての自分を捨て、愛に生きることを選んだ。
「えぇ?マジで中止にしたのかよ?なんか勿体ねぇな……」
途中から聞いていた正孝が話に入ってきた。毎年決まった時期に公演を行なっている彼は、その芸術点の高さゆえに飽きられることがない。つまりはわざわざ危険に飛び込まなくても食いっぱぐれることなどあり得ない。誰もが羨むその実力の舞台を蹴るなど常人に理解出来るはずもない。
「選択は誰にでも平等に訪れるものです。その時に絶対に後悔しない選択を選ぶのはとても至難です。いつもなら私も迷ったのでしょうが、今回は爪の先ほども迷いませんでした。ガノン様方と共に旅に出られることが何よりも幸せであると感じたからです」
「変わってんな」
サラッと流した正孝は砂浜をキョロキョロと見渡す。
「んなことより女だぜ。せっかく翼人族の島に来たってのに、女がだぁれも居ねぇ。海で過ごし過ぎて海に飽きてるとかそういうことか?」
ここはホルス島。バード達の故郷で年中変わらぬ気候はリゾートとしての側面を持ち、選ばれし者だけがこの砂浜を踏むことが出来る。無論、バードは好きな時好きなように来れる。
そこで、ならば何故ビーチが占拠出来ているのかと問われれば、それに答えたのはいきなり降り立ったアロンツォであった。
「私の意向により、現在貸切である。空王から日頃の労を労えとお達しも来ているでな。しっかり休めるように人払いをしている」
「あぁ?なら逆効果だぜ。こちとら女と寝ることだけが楽しみで……」
正孝はまだ十代と若いながら人生の先輩のような口調で語りかける。太々しいその態度はガノンにとっては珍しくもない。
「……悪いなアロンツォ。こういう奴だから適当に扱ってくれ」
ため息を漏らしながらガノンは海に向かって歩き出す。それに遅れないようにルカが半歩下がって追いかける。この騒がしい感じがガノンたちの日常である。ようやく戻ってきたと思える”普通”にガノン本人も満足げだ。
そんな時、海に向かって歩いていたガノンたちは唐突にとんでもない現象で道を阻まれた。突然空間に大きな穴が開いたのだ。ビビらないわけがない。
だがこれは誰がやったかハッキリしている。というよりこんなことが出来る生き物などたった一人だ。
「……ラルフ」
ガノンの呟きに反応するように草臥れたハットの男が姿を現した。
「ホルス島で息抜きとは豪勢だな。俺もあやかりてぇ……って、おいおい。早速出会えるとは俺も運が良いね」
ラルフの目はガノンの半歩後ろに立つ仮面の男に向いていた。




