第四話 夢破れし男
世界は混沌に満ちている。
人も魔族も神すらも入り乱れ、戦いは激化の一途を辿った。
だが、それは突然終幕を迎える。
終わらぬ夢など存在しない。
*
「……私は降りる」
ジラル=ヘンリー=マクマイン公爵。人族最大の都市”イルレアン国”の英雄。
様々な功績を残し人類に貢献してきた彼は今、西の大陸にあるヒューマンの居住区”ジュード”に居た。
ラルフとの戦いで敗北した彼は、担ぎ込まれた医療施設の天井を眺めながらポツリと呟く。気絶から覚めたマクマインの様子を見に来た医師は目をパチクリさせながら首を傾げた。
「……あの、公爵様?それは一体どういう……?」
マクマインは部屋に居た医師、看護師と順に見ていき、入口付近に居た女性看護師に声を掛ける。
「君。すまないが黒曜騎士団団長ゼアルと副団長のバスクを呼んでくれないか?今すぐ急ぎで頼む」
言われた看護師は「えっ?」と一瞬きょとんとして周りを見渡す。その様子に医師の顔付きが険しくなったのを見て慌てて出て行った。
「申し訳ございません。こういうことには不慣れなものでして……非礼をお許し下さい」
出て行った看護師の代わりに医師は頭を下げる。
「良い。貴殿らも御苦労だった。用があればまた呼ばせてもらう。下がって良い」
医師たちは更に頭を下げて扉から出て行く。マクマインは窓の外を見ながら「ふぅっ……」とため息をついた。
『ふふっ……珍しいね。人目を憚ることなく僕に話し掛けるなんてさ』
そこに現れたのは年端もいかない女児。マクマインの寝転がっているベッドに腰掛けて足をぷらぷらさせているのは豊穣の神アシュタロト。
マクマインの才覚と野心に心惹かれたアシュタロトは、この世に身代わりを生成してマクマインの側に居着く。
アシュタロトの目をチラリと見ることもなく天井を見つめたまま顔を顰める。
「……これは私自身の問題だ。私は過去の精算こそが次に進む第一歩であると考えていた。あの怪物を倒す。そこから世界は変わるのだとな……」
アシュタロトは黙って聞いている。マクマインは目を瞑り、肩の力を抜く。
「私は間違っていた……あの怪物は放っておけば良かったんだ。奴への復讐心から客観視が出来ていなかった。私の小さな尊厳、植え付けられた恐怖。そんなものは切り捨てるべきだった……」
『……うん。そのようだね』
「私は降りる。ここまでだ」
『ちょっとちょっとぉ……それはないんじゃない?せっかくここまでお膳立てしたのにまだ足りないっての?』
ベッドからぴょんっと飛んで訴え掛けるように両手を広げた。
マクマインには様々な力を与えて来た。彼の部下のゼアルも神からの恩恵を受けている。この世界の住人には禁忌とされていた特異能力も授けた。だが未だ目的は達成されていない。
『ラルフに負けたのだって一回だけでしょ?再戦すれば確実に君が勝つよ。諦めないでガンガン行こうよ!』
アシュタロトはニッコニコでマクマインを鼓舞する。声が弾んでいたのが気になってようやくチラリとアシュタロトを確認した。
「妙に嬉しそうだな……私が挫ける姿がそんなに面白いか?」
『面白くはないね。僕が選んだ男が地面を這いずり回っていたような奴に負けて欲しくないもん。でも、マクマインが考えている次の方策は楽しみで仕方がないよ。早く聴かせて欲しいなぁ』
「ふっ……やはり貴様は私の考えを見抜いていたか。妙にわざとらしい反応を見せると思っていた……」
『僕は洞察力が優れてるって友達にも言われるくらいだからきっとそうなのさ。早く来ないかなぁゼアルとバスク』
ウキウキと楽しそうにするアシュタロトの願いはあっという間に叶う。コンコンッと扉をノックする音が聞こえてきた。すかさずマクマインは入室を許可し、そのすぐ後に待ちわびた二人が入ってくる。
「失礼します。黒曜騎士団ゼアル並びにバスク、参上いたしました」
「うむ。二人とも今回の戦いでよくぞ生き残った。すまないが未だ体調が優れんのでな、ベッドの上であることを許せ」
「はっ。どうか我らのことは気になさらずお寛ぎ下さい。……ところで急ぎの用件とは?」
ゼアルの質問に綺麗に切り揃えたあごひげを撫でながら語り始める。
「私は隠居しようと思うのだ」
「えぇっ!?」
それを聞いたバクスは素っ頓狂な声を上げた。マクマインの訝しむ視線とゼアルの冷ややかな目に曝され、バクスは縮こまりながら小さく謝罪した。マクマインは一息ついて続ける。
「……王の集いから外されたのも良い機会よ。長男のファウストに家督を継がせ、イルレアンを任せるつもりだ」
「お、お待ちください閣下!ファウスト様はまだ十二でございます!家督をお譲りになられるには早すぎるかと……!」
「バクス。子供たちとていつまでも子供のままでいられないのは分かっているだろう。それにファウストならば我が権威を任せるにたる器を持っている。これは言わんでも分かると思うが、足りない部分はこの私が手取り足取りファウストを教育するつもりだ。案ずるな」
「あ、その……見識が足りず申し訳ございません」
ゼアルを差し置いて声を荒げたことも反省しつつ後ろに下がる。ゼアルは呆れたように微笑む。
「ふっ……そのようだな。これでは黒曜騎士団を任せられないぞ?バクス」
「……は?」
ゼアルの突然の言葉に思わず顔を上げた。
「言葉通りの意味だ。私も団長の座から降りる」
「な……なな、何を言い出すんですか団長!?今はそんな冗談を言う場ではありませんよ!」
「冗談のつもりはない。私はマクマイン様直属の戦士として共に行くつもりだ」
「閣下が隠居されるのに団長まで……ファウスト様は団長に憧れを抱いておいでです。今後のことを思えば、団長は残るべきであると愚考いたします」
「わがままを言っているのではない。これはマクマイン様の御意志だ」
「え?あっ……え?」
バクスは自身の記憶を掘り起こしてみる。いや、マクマインの口からゼアルの黒曜騎士団団長解任の話は出ていない。隠居して息子に家督を譲ることしか言っていない。
「はっはっはっ……流石だなゼアルよ。私の真意を見抜いたか?ゼアルの言う通りだ。今よりゼアルの団長としての任を解く。後任にはバクス、貴様が黒曜騎士団の団長として皆を導くのだ」
「俺が……団長に?」
ブレイブの時代から副団長であり続け、ゼアルとなってからも不満を漏らさず支え続けてきた堅実なる男が、今この瞬間を持ってバクスは黒曜騎士団の団長となった。
「今後表向きの仕事は貴様が取り仕切るのだ。良いなバクス」
「はっ!このバクス、全身全霊にてっ!!……表向き?」
「そうだ。私はゼアルと共に野盗団ブルータイガーを使用して裏社会を牛耳る。んーこの際だ、名前も変えてしまおう。ブラックドラゴンというのはどうだ?秘密諜報機関”ブラックドラゴン”。中々の響きではないか?」
「秘密を謳う割にドラゴンは少々目立ち過ぎではございませんか?多少慎ましくブラックパイソン辺りでよろしいのでは?」
バクスの疑問を尻目に会話を進める二人。
「いや、あの……当然のように言われても困ると言いましょうか……」
ぶつくさと文句を垂れるも、やはり二人の世界に入ってバクスは置いてけぼりとなっていた。
会話に入ることはなかったが、アシュタロトは側でニコニコと笑って様子を見守っていた。




