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第四十話 押し問答

『ようやくいらっしゃいましたか……随分と焦らして下さいましたね……』


 イリヤは瞑った目をそっと開き、気配のする方に目を向ける。そこには草臥れたハットの男が見下ろすように立っていた。


『あぁ……なんと神々しい。私が神であることを忘れてしまうほど彼女の想いは高鳴っている。私を救ってくれるのだと期待している。大丈夫ですよ愚かな魔族、すぐに貴女と一つにしてあげます。もう離れることのない深い闇の底に……』


 情動を感じさせる淫靡なる恐怖。彼女の声はラルフには届いていないが、狂気を孕むほどに狂おしい存在感は見ていて吐き気すら催す。


(あんなのに取り込まれたのか……ミーシャは……)


 真っ先に湧いた感情は可哀想だった。イリヤという神の称号を持つ闇の怪物は、汚泥の如きねっとりと絡みつく視線でラルフを見上げている。

 気分を害されたラルフは一刻も早くミーシャを救い出したい衝動に駆られたが、何と言っても場所が悪い。海に潜られれば簡単に見失う上、暗闇に紛れられたら奇襲され放題となってしまう。特に深海ともなれば無敵だ。出来るだけ潜られないよう挑発し、且つ海から出す方法を模索する。


(つまりある程度侮ってもらわないとダメってことか……)


 ラルフにとっては然程難しい問題では無い。非力なヒューマンであることが既に侮りポイントが高い。それ以外にも魔法が使えず、武器も短剣で、無精髭の生えたおじさん。盗賊と類似の職業なのにアイテムの類を持っていないなど、冒険者の風上にも置けない。人間社会を少しでも知るものが見たら、取るに足らぬ雑魚と線引きされる。

 しかし相手は神。サトリから力を授かったことも特異能力を持ち合わせているのも、それがどんな能力なのかも把握されている。つまり普通に警戒される。これは気をつけるとかそんなレベルではどうしようもない領域。

 訂正しよう。ラルフにとって侮ってもらうことはかなり難しい問題であると。


「……あんたが闇の神イリヤか?!」


 とりあえず声掛けは大事。どんな性格をしているのか見極め、得意な領域に誘い出す。ラルフはこの戦法を多用し、難を逃れてきた。これを俗に”いつもの手”という。


『あはっ♪私の名前をご存知なのですね?光栄にございますラルフ様』


 普段のイリヤより1トーン高い声で感謝の言葉を述べた。


「ん?何を喜んでいるんだ?俺はただのヒューマンであんたは神。ここに歴然とした開きがある上でそんなこと言ってるなら、皮肉なんてレベルじゃねぇぞ?」


『あら?どれほど明確な差があろうと、憧れを殺すことは出来ませんよ。それに私の好意は心の底から止め処なく溢れておりますので、これを何とか形にし、貴方に認めていただきたいと願っているのです』


 読めない。他の神同様イキリ散らして傲慢に振舞ってくれた方が扱いやすいというのに、謙虚というか何というか。

 けれどもしかしたら相手が憧憬の念を抱いてくれるのは、ある意味チャンスかもしれない。普段は負の念で挑発しているが、何もしなくても付いてきそうな空気感すらある。

 ラルフは必死にカリスマがありそうな人物を思い浮かべる。そいつの真似をすれば少しは威厳がつくかもしれないとの見解だ。


「……ほぅ?中々殊勝な心掛けだな、こんな俺に好意を持つとは……。そんな君に私とはどんな人物なのかを語ってもらいたい。君の声で小一時間は聞いていたいなぁ。どうだイリヤ?俺と一杯飲みに行かないか?良いBAR(バー)を知ってるんだ」


 キラリと星が出そうなほどのウインク。これは痛い。痛痛しい。イリヤもポカーンとしている。最悪だ。一応マクマイン辺りを参考にしているのだが、このことは墓まで持って行こう。

 そんなことを考えていると、ようやくハッと我に返ったイリヤが苦笑い気味で答えた。


『あらあら。それは是非ともご一緒したいところですが、貴方と私たちは現在因縁深き敵同士。仲良しこよしでテーブルを囲うには出会いが若すぎる。そこで私から提案ですが、もう少しお互いを知りましょう。具体的には私に取り込まれて一つになるのです。そうすれば争いも生まれず平和に溶け合えます。奥底で繋がるのは楽しいですし、何より気持ちが良いですよ?』


「へぇ。それは(そそ)られ……るわけにはいかねぇな。気持ち良くなりたいのは山々だが、俺は自由を愛する冒険者……もといトレジャーハンター。そんな見え透いた罠にハマるほど経験は浅くないぜ?」


 ラルフの返答にイリヤは凍るほどの微笑で威嚇するように言葉を発した。


『残念至極。斯くなる上は力尽くでも取り込み、強制的に気持ち良くなってもらう他ありません。お覚悟をラルフ様』


「マジかよ……強姦なんて以ての外だぜ。とんだ変態女神様だな。嫌いじゃないが好きでもない。そんなお前に預けたミーシャを引き取りに来た。とっとと返してもらうぞ」


『お返しするわけには参りません。何故なら私のものは私のもの、他者のものも私のもの。全てを飲み込み一つに統合する。闇の為せる技、存分に味わって下さいませ』


 タコの化け物がウネリ始めた。攻撃の前兆だろう。そんなイリヤの思想にラルフは震えた。


「怖ぇ……」

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