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第三十一話 相反する心

「……え?」


 ラルフはミーシャたちの目の前で消えた。光の速度とか転移とか、そんなチャチなものではない。まるでそのシーンだけ切り取られたかのように消失した。

 アンノウンや歩、ベルフィアの動体視力を超える程度ではない。世界最強であるミーシャを欺く移動なのだ。となれば誰も視認することは不可能。もし敵側にこのような速度で来られたら、如何なミーシャでも対処出来ない。

 だが今はそんなことなどどうでも良かった。


「ラルフッ!!」


 椅子を倒しながら立ち上がるミーシャ。その行動に騒がしかった周りの視線が集中し、一気に静かになった。困惑と混乱と驚愕。大事なものが目の前で消え去り、頭が真っ白になるような感覚は今までの生涯で二度経験している。

 幼い頃にお気に入りの食器を取り落としそうになり、慌てて取った瞬間に力を入れ過ぎて砕け散ったのが一度。イミーナの父、クロイツェル伯爵がある日死んだ目をしたイミーナを連れて来た時で二度。そして今回で三度目となる。

 ミーシャが口を開けて停止しているのに気付いたアンノウンはすぐに動き出す。 


「……歩!」


 歩の特異能力”索敵”に頼る他に道はない。そのことに言われて気付いた歩は「あ、そうか!」と能力を発動させる。しかしラルフの気配はおろか、痕跡すら見当たらない。想定外の事態であるだけに歩は狼狽して何も言えなくなった。


「ど、どうじゃ?あ奴は?」


 ミーシャの驚愕に当てられてベルフィアも焦っているようだ。ここで周りもようやくラルフが居なくなったことに気付く。全員の視線を一身に浴びた歩は観念したように答えた。


「な、何も……何も分かりません。どうやって消えたのか、どこに居るのかも……」


 この一言で部屋一面にため息が漏れた。自分の力で役に立てなかった歩は「すみません……」と消え入るように呟く。でも誰も責めることは出来ない。ミーシャですら見失ったのだから。


「ラルフ……ラルフ!!」


 ともかくミーシャは走り出した。その速度はブレイドやエレノアですら視認不可。本気になったミーシャに追いつける存在はこの世に存在しない。ジュードを隅から隅まで探すのに一秒は長すぎる。

 何度も何度も、繰り返し繰り返し……。とうとう諦めたミーシャは埠頭に立って泣き出した。

 もはやラルフの無事を祈ることより彼女には方法が無かった。



「よっと!」


 ラルフは森の中に入ると真っ先に木によじ登った。


「すっげぇ!スイスイ登れるぞ!!」


 サトリに身体能力を強化されてよりこっち、一度も生活の場で使用することは無かった。もちろん戦闘で使うことこそ意義がある。だが何より重要なのは生きること。木登りは元より得意だがこれほど早く登れないし、一人旅で体力を温存する必要がある中、無駄な労力を使うこと自体がナンセンス。

 でも体力が有り余っているならどうだろうか。例えば一日中動き回っても疲れない体を持っていたら、体力など考慮にも値しない。


 こうして木を登るのは遊びではない。木に生っている果実を取ろうと思ってのことだ。一人旅、それも路銀を一切切らした無一文の旅ときたら、自然のものを頂戴する以外に食う術もない。


「これとこれと……もうちょい行っとくか。へへ、こんだけで許してやるよ」


 ラルフは果実を両手一杯に抱えながら木から降りる。足だけで降りるとかの器用なものではなく、枝から直接地面へと飛び降りるスタイルだ。常人なら足をへし折って人生終了だろうが、今のラルフは難なく着地出来る。どころか着地と同時に走り出し、野営地に一直線に向かった。

 野営地には既に小枝を集め、焚き火の準備も万全。魔獣を遠ざけるために木や蔓で簡易的な罠も用意した。やることは昔から変わらない。縄や(かぎ)針を揃えられなかった貧困生活の時の再現だ。

 今回は水場が濁って使えないから果実で水分補給とお腹を満たすことにした。


「大漁大漁!……スゥーッ、俺一人なんだしこんなに取ってこなくても良かったか……っと、火種を探さねぇと……」


 ラルフは近くの石を持ち上げた。そこに蠢くは様々な虫。


「お!いたいた!」


 そこに居た鮮やかな青い虫を取り上げ、嬉しそうに手に乗っけた。


『楽しそうだな』


「!?」


 ラルフはドキッとして声の聞こえた方に顔を向ける。そこには筋肉質の割に幸薄そうな顔の男性が立っていた。


「え……?何だよあんた。よく罠に引っ掛からずに来れたな……」


『自然と一体となっていても私には手に取るように分かる。不自然には敏感なのでな……』


(あれを見破った?かなりベテランの冒険者ってところか?……いや、まさか魔族が変化しているとかねぇよな?不自然に敏感とか使うか?日常で……)


 そう見れば男が強そうに見えた。太い腕も鋼の如き輝きを放っているようにも見える。ラルフが特に何も言わないでいると、男はハッとしたように言葉を続けた。


『私が誰というのには言及していなかったな。時に君は神を信じるかな?』


「あ、なんだそっち?自然に詳しいってことは森祭司(ドルイド)ってことかよ。うわー、ビビったぁ……いきなり出てくんだもんなぁ」


『ド、ドルイド……?』


 男の疑問を聞かず、ラルフはスクッと立ち上がって帽子の鍔をチョンと摘んだ。


「俺はラルフ。トレジャーハンターのラルフだ。あんた名前は?」


『ああ、私はバルカン』


「バルカンさんね。あんたもこの辺で野営?良かったら一緒にどうだ?ほら、果物ならたくさんあるぜ?」


 ラルフはさっき取って来た果実を指差した。


『まるで私が来るのを察知していたかのような量だな。ところで先ほどは何をしていたのだ?石を持ち上げて……』


「焚き火の種火集めさ。見ろよこれ、アオヒムシ。ちょっと強めに刺激したら火花を吹くんだよな。ガキの頃に親父に教えてもらった数少ない豆知識の一つさ」


 哀愁を漂わせて虫を見つめている。バルカンは黙って様子を窺う。鼻をすすりながら顔を上げたラルフは、朗らかに笑いながらバルカンに手招きする。


「まぁ座れよバルカンさん!」

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