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第20.5話 幕間─感情の奔流─

『ああもうっ!!何やってるにゃぁっ!!』


 アルテミスは怒り狂った。豪華な宿泊先のロビーでダラダラとくつろいでいたというのに、突然ガバッと起き上がって叫び出す。

 この様な奇行、本来なら宿泊先の店員に諌められそうな状況だが今回に限っては近寄ってすら来ない。というのもアルテミスの怒りは周りに伝播し、生き物という生き物を巻き込んで感情を発露させる。

 奇声が響き、物が壊れ、客も店員も暴力に走る。五感の神アルテミスの迷惑な力である。


『落ち着きなよアルテミス。あなたがその調子で不和を撒き散らせば死人が出ちゃうよ?』


 アシュタロトは店員の代わりに諌めようとするが、アルテミスには効果がなかった。


『理解不能なことが起きれば思考はバグるにゃっ!!マ・ジ・でっ!意味分からんにゃっ!!』


 頭を掻き毟りながら憤慨し続ける。


「意味が分からないのはこちらだ。何がどう理解不能なのか、順序立てて理路整然と語ってみせろ」


 マクマインは腕を組んで苦言を呈した。アルテミスの奇行はハッキリ言って面倒くさい。「能力が戻った!」とドンチャン騒ぎに(うつつ)を抜かしたかと思ったら、急に冷静になって場を白けさせたり、落ち着いて話が出来るかと思いきや感情を爆発させたりと双極性障害を思わせる。


『ユピテルとアトムがやられたのさ』


 要領を得ないアルテミスに代わって答えたのはアシュタロトだった。


「何?アトムが?……能力が戻ったのでは無かったのか?」


『うん。残念だけど(みなごろし)には勝てなかったってことだね』


 全く残念がってないアシュタロトには(むし)ろ余裕すら感じられる。


『それどころじゃないにゃっ!!ユピテルはゼアルにやられたにゃっ!!あと少しであの男を殺せたのに余計にゃことを……!!』


「ゼアル……が?どういうことだ?!」


 アルテミスの言葉に憤慨する。アシュタロトの力でアルテミスの暴走の影響を受けないマクマインの心に去来したのは、困惑と絶望と憎悪。自らの意思で沸き立つ感情は誰にも止められない。

 マクマインは怒りを発散させるだけのアルテミスに見向きもせずにアシュタロトに疑問を投げかける。


『彼は彼の意思によってラルフを助けた。どうやら彼に取ってのラルフは心の拠り所だと言って過言では無いようだよ?』


「ふざけるなっ!!憎むべき敵に対して心の拠り所だと?!あり得ないっ!!」


『だからさっきからそう言ってるにゃっ!!』


「貴様は何も言ってないっ!!」


 どんどんヒートアップしていく怒りのボルテージ。


『彼に直接聞くのが良いんじゃない?』


 アシュタロトの向かう視線をマクマインは血眼で追う。宿場の出入り口に立つ若き団長は、自らに負い目を感じている様子もなく静かにマクマインを見据えていた。


「貴様っ!!」


 バッとソファを飛び越え、ゼアルの元へと駆け抜ける。歳の割に軽々と動くのをアシュタロトは面白そうに見ていた。マクマインは拳を握りしめ、ゼアルの顔面に叩き込もうと振りかぶった。が、直前で拳が緩む。というのも、ゼアルの背後に妻の姿を認めたからだ。

 ゼアルはマクマインの行動に既に把握済みなのだと気付き、颯爽と跪いた。マクマインは妻の訪問に対し、呆気にとられていたが、ゼアルの行動で我を取り戻す。


「閣下……申し訳ございません!」


 マクマインは震える唇をキュッと締めてゼアルを見る。この姿を見るのは何度目か。ラルフの命を幾度も取り損ね、失敗に失敗を重ね続けるゼアル。ラルフのこと以外では最善の結果を出し続けてきたからこそ、沸騰する頭を冷やすことは出来ない。だがアイナの手前、頭ごなしに怒鳴れず、絞り出すように静かに問いかけた。


「……ラルフを助けたそうだな。理由を述べよ」


「……」


 ゼアルにその理由を語ることは出来ない。理解されるはずがないのだから。


『浪漫だよ』


 アシュタロトは横から口を挟む。ピクッとゼアルの頭が動く。


「浪漫だと?」


『そう、男の子の浪漫。自分が見定めた最大の敵を自分の手で倒したい。出来れば果し合いのような、始まりから終わりまでを通した戦いでさ』


「……つい先日あれだけお膳立てされた戦いをしておいてか?神と結託すれば全てが丸く収まる状況において、やることが真逆など騎士の風上にも置けぬ。いつまでそんなものに(すが)るつもりだ?……答えろゼアル!!」


 腹の底からビリビリと震えるような怒号に場の空気はすっかり冷える。きっとアルテミスの怒りがようやく治ったのだろう。一気に静まり返ったロビーでアイナの「あなた……」と諌める声が妙に響いて聞こえた。


「怒りはごもっとも。この罪を死を持って贖えと仰るなら、我が命など惜しくはありません。どうか私に沙汰をお与えください」


 この男は自ら首を撥ねろと言われれば即座に剣を当てがう。それほどまでにマクマインに心酔している。そんな男でもラルフを殺せない。何がそうさせるのか。どうしてそうなるのか。


「……貴様の覚悟は誰よりこの私が認めている。我が妻を……アイナ=マクマインを護衛し、イルレアンに戻れ。私が国に戻るその時までは謹慎処分とする」


「……はっ!」


 この命令にアイナもホッとする。マクマインの弱点の一つは妻である。惚れた女の前に沙汰が甘くなるのも致し方ないこと。

 マクマインは踵を返して宿場の自室に戻ろうとする。その横にはアシュタロトが居た。


『良かったの?そんなユルユルで』


「ふんっ、最早どうでも良いことだ」


 マクマインの吐き捨てる言葉にアシュタロトも面白くなさそうな顔をする。その表情を見てか知らずか一拍置いて口を開く。


「……気付いたのだ。これは他人に任せるものではない。私がやらねばならないのだとな」


 二人だけの廊下でマクマインは立ち止まる。マクマインはおもむろに跪き、アシュタロトの目線の高さに合わせた。


「アシュタロトよ、私に力を寄越せ」


 アシュタロトはその覚悟に……マクマインの瞳の奥に燻る炎を見て小さく笑った。

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