第二十三話 変化
初めての体験だった。ぶちのめされたり、斬られたり、抉られたり、剥がされたり、突き刺されたり。生き物なら凡そ死ぬ攻撃を受けてきたが、正確に急所を射抜かれたのは今回が初めてだった。普段は血を摂取した後、心臓に血を溜める。団長との戦いでは何度か心臓部分を突かれたが、別の場所に心臓を移動させていたおかげで正確な位置がバレず、血が減る事は無かった。
しかし、今回の人狼の攻撃は一度、鳩尾をかち上げられ、心臓の逃げ場を無くしてしまった為に凄まじい一撃がクリーンヒットし行動不能まで追い込まれる事態となってしまった。ミーシャの攻撃は規格外すぎて、直接急所に入らずとも堪えきれずに血を流す結果となったわけだが、それを差し引いても今回のダメージは大きい。ぐったりとして血の泡を噴くベルフィア。目の前が暗くなり、世界が黒く塗り潰される。暗い闇の中、ふと目の前に小さな光が見える。その光が徐々に大きくなるにつれ、自分の居る場所が何処なのかと分からなくなった。
ここはアルパザとかいう町だった筈だが、何故か目の前に人狼は居なくなり、見馴れぬ町並みも無く、魔鳥人も人間も居ない。そこに見えたのは見馴れた場所。見馴れた顔。吸血鬼一族が立っていた。
『何をしておル……ベルフィア。そちは何故ここにおルノじゃ?』
「母上?皆々も何故ここに……死んだはず……」
そこはかつて吸血鬼が最後に住んでいた霧の谷、名を”ブラッドスモッグ”。かつての里。かつての仲間たち。そして肉親。里は滅び、血族は絶えた。だからこそ疑問だった。何故ここにいるのか?
言葉を発したはずが、空気に溶ける様に霧散し、見知った顔の耳に届く事はない。ベルフィアを無視する形で話が進行する。
『そちは役に立タぬ、帰ルノじゃ』
『嫌じゃ母上!妾ならやれル!』
聞きなれない声が聞こえてくる。それが自分の声である事はすぐに分かった。これは過去の映像である。何故ならこの事をよく覚えているのだ。
その日はある作戦の為、有能な部隊の面々が集合していた。今の状況は自分がどれ程有用で、同行したかったかを、頑張ってアピールしている。活躍しなければ認められなかった。だが他の同胞に比べ、ベルフィアはそこまで有用というわけでは無かった。仲間の中でも下位に位置付けられる程に信頼がなく、手柄を上げようと踠いても、他の仲間の方がもっと良い成果を上げる始末。万が一にもベルフィアが同行できるのは数合わせくらいだった。詰まる所、今回の作戦には必要ない。最早見向きもせず部隊はベルフィアから離れる。
『母上!母上!!』
無様に叫び続ける過去の自分。何度も繰り返し、ただその場で動く事もなく。
今なら分かる。あの頃の自分がどれほど情けなく、そして、どうしようもない存在だったのか。仲間たちは何故連れていかなかったか、どれほど自分が無能で使えなかったか。去っていく仲間たちの後ろ姿は、この後起こる最悪の事態を予見していた。何も出来ずにただ見ているだけの木偶の坊。今も昔も変わらない。
「妾はタだノ案山子に過ぎぬ」
そのシーンを最後に記憶は途絶えた。光が別の場所を写し、元の見馴れぬ町が目に飛び込んできた時、人狼の顔や人間達と魔鳥人達の姿が見える。意識が戻った。景色があまり変わってない。一瞬だけ気絶していたらしい。吸血鬼で気絶など後にも先にも自分だけだろう。悲しい事など無い。だが辛い記憶だ。他の生物より圧倒的に強くても、同胞には下に見られていた事実。
そしてそれが自他共に認める、真実である事も。胸の中央に埋まるジャックスの右腕を掴む。この手がベルフィアに過去の情景を照らし出した。懐かしさと同時に辛い記憶を掘り起こし、嫌な気にさせてくれた。
「ヌッ!クソ!コイツッ!!」
黒目にすぐ様、赤い瞳が戻る。それを確認した時、やはり無駄だったと絶望の淵に立つジャックス。この化け物は軽く捻るだけで枯れ枝のようにポキリとこの腕を折る。まだ無事だった方の腕が折られるのは勘弁願いたいが、腕を持たれた段階では諦めざるを得ない。腕を犠牲に逃げればまだ命はある。だが利き腕の無いモンクが果たしてこの人魔大戦の最中、命があると言えるのか?ならば道連れにするくらいの気概でぶつかるしかない。ベルフィアの動向を伺いながら待っていた。そのまま力を入れられて、胸部から手を捻られるように引き抜いていく。思った通りの凄まじい力に抗う事なくそのまま引き抜かれる。
ベルフィアは目が覚めると同時にさっきまであったダメージが右足以外瞬時に再生する。見た感じだと、皮膚一枚でもくっついていれば、回復するようだが、離れていれば難しいらしい。この情報を持ち帰る事は無理だろう。ここで頭でも千切られれば絶命する。極端な話だがこいつにはそれが出来る。
「そちは強いノぅ……さぞや、ちやほやされとっタんじゃろうなぁ……」
ニヤニヤしながらジャックスを見ている。けれどその目はイヤらしい感じも蔑みもない。その目は里で同種族からよく見られた羨ましさと憧れがあった。
「オ前……一体……」
ブンッと軽々放り投げられる。体重など関係ない。しかし簡単に着地する。5mは飛び、間合いが空いて仕切り直しになった。ジャックスにはこの行動は不思議で仕方なかった。
「……何故ダ?」
折ろうと思えば折れる。が、そうはしなかった。その場で殺してしまえば考える事も減る。ダメージを入れられたのも余所見していたその隙を狙われただけだし、仕切り直すにしろ何故怪我を与えてから離さなかったのか?ベルフィアを注視していると、右足をくっ付ける。またも瞬時に再生し、その感触を踏みしめつつ確認している。それが終わると、右足をそのままに左半身を隠し、右半身を前に出す。先にしていた構えとは逆の構えを取る。さらに右手を前に突き出し、肘を軽く曲げると掌を上にして俗に言うモンクの構えをする。今までとは違い明確に型が存在するかの様なそんな感じだ。明らかに雰囲気が変わった。
本気を出していなかった?そうとしか思えない。ジャックスはまた”疾風怒涛”の構えを取る。
「……良イダロウ……来ルガ良イ……」
間合いをジリジリ詰めながら緊張を高める。詰め寄りながらもどちらも前に出ない。どちらも動けないままだが、着実に進行している。
ベルフィアは掌を二度曲げて挑発する。ジャックスは右拳を握りしめ直す。ギチッという革を擦る様な音が鳴る。ジャリッと地を踏み締める。ベルフィアとジャックスは視線を会わせながら、ぶつかる瞬間を待っていた。
他、一切の戦いを無視して、二人の世界に入っていた。
睨み合いから一転、ベルフィアが動いた。踏み込みからの一撃。右手が延びるように間合いを侵食し、頭をかち割ろうと迫る。まるで先の攻防の事を忘れたような妙な攻撃だった。カウンターで弾かれた事をもう忘れたのか?ジャックスはその右手に即座に反応し、またもその攻撃を弾く。さっきと同じだ。まさしく、再現に近い。
しかしジャックスは気付いた。その右手の攻撃はさっきとまるで違う。それは体重が乗ってない、所謂弾かれる為に繰り出したのだと分かる。疑似餌だ。全く思っても見なかった。魔獣以上に獣同然に動く吸血鬼が罠を張ろうだなんて。
だが気付くべきだった。構えを変えた時から警戒すべきだったが、行動が完全に同じだった所から思わず手が出てしまった。もう止まる事は出来ない。技は始まってしまったのだ。振りかぶった右拳はベルフィアの顔面を殴る為に迫る。一度食らった技は余程力に差がない限り二度は効かない。ベルフィアはその右拳を避けると、右腕を頭と肩で挟み込み攻撃を止める。
その程度で止められる程甘くはない。左手の手刀で右足を切り取ろうと太股に迫るが、その攻撃が当たる瞬間、同じ方向に飛ぶ。右方向に真横になったと同時に蹴りが入る。右腕を捕縛され、左腕を振り抜いたジャックスにこの蹴りを避ける術はない。
ガキャッ
左頬に完璧な蹴りが入る。その蹴りは頬を抜き、牙を二、三本へし折る。それだけに留まらず左目を破裂させ、首の筋肉がブチブチ悲鳴を上げ、骨が折れる寸前まで軋んだ。その一撃に体が吹き飛び、ジャックスは吹き飛んだ先の建物を突き抜けた。左半分顔が崩壊したジャックスはそのまま動かなくなった。
「技……か。面白いもノじゃノぅ。そちノおかげじゃ……妾はまだまだ強ぅなれル」




