第三話 虫の報せ
「……ん?」
森王はベッドの上で目を開く。掛け布団を退かして起き上がると目だけで辺りを見渡した。
「なんだ?この焦燥感は……。誰か!誰か居ないか!」
声を張り上げて静寂を押しのける。側女はその声に急いで寝室に駆けつけた。
「森王様。どうかなさいましたでしょうか?」
「むっ、そなたか。わがままを言って申し訳ないが、外の様子を見て来てくれまいか?……委細変わりないかを確認して欲しいのだ」
「はっ」
側女はささっと寝室から出る。森王は自分が見て来たい気持ちを抑えて側女が戻ってくるのを待つ。
結界が発動し、厳戒態勢を解いたせいで少し不安に駆られてしまっただけだろう。最近気を張っていたのが今に波及しているだけだと森王は首を振った。
「……ハンターとグレースの結婚、これに何かあってはいかんからな。これは良い虫の知らせであろう」
自分に言い聞かせるように肩の力を抜く。何もなければ良し、そうでないならその時に考えれば良い。
そんなことを考えているとパタパタと走ってくる音が聞こえた。何かが起こっているはずがない。何故ならつい数時間前に史上最高の結界を展開させたのだから……。
*
「……手前ぇら……何の用だ?」
ガノンはギザギザの歯を剥き出しにして威嚇するように大剣を掲げる。周りには本日夜番に当たっていた弓兵が弓矢を引き絞って攻撃の合図を待っていた。その中心にいるのは密入国したラルフ一行。
「ええっと、あんた確かガノンって言ったよな?白の騎士団のさ。ここに来たのは誰かを傷つけるためじゃないんだ。そいつを納めてくれないかな?」
馴れ馴れしい語り口調ではあったが、ラルフは両手を上げて降参の意を示している。戦う気は微塵もないという意思表示である。
だが圧倒的な戦力差を鑑みればラルフの行動に余裕が見え、逆にガノンを煽っているようにも感じた。煽る煽らないは個人的な意見だが、それ以上にラルフはここに居てはいけない厄介な連中を連れて来てしまっていた。
「……ざけんな。よりによってその屑どもをこの国に入れておいて傷つけるつもりはないだと?誰が信じるんだよそんな嘘」
ラルフはガノンの視線の先に目をやる。八大地獄の面々が特段気にすることもなく、黙って成り行きを見ている。人族や魔族に傾倒しない独立した暴力装置である八大地獄の存在は、当然のように警戒される。ラルフとて野放しにしておくのは危険と捉え、要塞が健在だった時は閉じ込めていたくらいだ。目を瞑れなどと自分が出来なかったことを言うつもりは毛頭ない。
どうしようかと考えるラルフを見兼ねてミーシャが前に出た。
「おい、そこのヒューマン。私たちはただ休むためだけにこの国に来た。そう長居するつもりもないからそこを退け。退かないならどうなるか分かっているだろうな?」
シンプルな脅しである。
「……やってみろよ。たとえ相手が誰だろうが関係ねぇ。死んでもそいつの喉笛に噛り付いてぶっ殺す」
闘気立ち昇るその姿に確かな強さを感じた。しかし所詮はヒューマン。人族の中でも最強の一角に数えられたところで高が知れている。ガノンの実力をよく知るジニオンがニヤリと笑った。
「へっ!活きが良いなぁ。でもよぉ、この俺とさえサシでまともに戦うことも出来ねぇ野郎が調子こいてんじゃねぇぞ?」
火に油を注ぐとはこのこと。ガノンの筋肉はミキミキと音を立てて膨れ上がる。戦意が向上し、魔族相手だろうと一息で五人は真っ二つに出来るだろう。エルフの弓兵にも怒りは伝播し、もはや戦闘は避けられない局面にまで発展しようとしていた。
思っていた状況とはまるで別、戦闘意欲の高い連中ばかりに任せていては何のためにここに来たのか分からない。
「ちょっ……やめろやめろ!ミーシャはともかくあんたは口を出さないでくれよ。さっき傷付ける気はないって宣言したばっかだぞ?」
ラルフは安全な国としてエルフェニアを紹介した。目的も休息を考えてのこと。争いなど以ての外だ。
「ふむ。とはいえこうして警戒されていてはいつまで経っても体を休めることなど不可能。浜辺で寝ていた方がマシだったな」
ロングマンは情けない現状に正論をチクリ。しかし、この状況になってしまった元凶が文句を垂れているのには素直に肯定出来ない。
「……あんたも黙っててくれ」
何と言おうが浜辺に戻る気などさらさら無い。ミーシャたちのわがままを聞き入れた手前、ここで引くことも出来ないラルフはガノンから視線を外す。
「森王と話をさせてくれ!」
エルフの弓兵はラルフの言葉に引き絞った弓矢を、さらに弦が切れそうなほど引いた。統治者を狙おうなど考慮にも値しない。
「……間抜けが。それこそ無理に決まってんだろ!話にならねぇ!!」
今にも始まるエルフェニア内での戦い。こうならないために結界を張ったと言うのに、これでは全くの無意味である。全ての努力が水泡に帰すかと思われたその時──。
「双方待てぇっ!!」
森王は一触即発の空気を切り裂いた。肌着にローブを纏った、如何にも今眠りから覚めましたと言わんばかりの格好で走って来た。側女もエルフの戦士たちも同様に息を切らせてやってくる。
「ヨうやくか。伝達ノ遅い連中じゃノぅ」
ベルフィアは愚痴をこぼす。それを尻目に手を振り上げて弓兵の戦闘態勢を解除させた。
「ガノンよ、そなたは下がれ。ここは私が話す」
「……話し合うことなんざねぇ。あそこに居るのは八大地獄の連中だぜ?……時間の無駄だ。野放しにすりゃ死人が出る。戦って生き残る選択をするべきだぜ」
危険な連中であることは経験則からの言葉だ。報告を聞き、その危険を何となくでも知っている森王はロングマンたちを見据えて口を開いた。
「ラルフ。悪いがその危険な連中を遠ざけてくれまいか?一番は結界の外に出すことだが……このままではそなたとの交渉ごともままならんぞ?」
「え?……ってことは彼らが居なければ寝泊まりさせてくれるってこと?」
アンノウンはここぞとばかりに声を上げる。話し合いの前に外に出せと言ってるのに、厚かましいにもほどがある。
「なるほど、宿を貸せと言うことか……良いだろう。但しその者たちはダメだ。先も言ったが、この国への入国を拒否する。すぐにどうするか決めてもらおう」
「チッ……面倒な野郎だ。こうなったらエルフなんぞ俺が皆殺しにして……!」
ジニオンは手の骨を鳴らして前に出る。直後、ジニオンのデカイ体は地面に吸い込まれるように消えた。
「だから傷つけねぇって言ってんだろうが。ちったぁ反省しろ……あんたらも異空間に入っててくれ。この国から出た時に出してやるから」
これには文句の一つも言いたいところだが、逆らったところで強制的に落とされる。従った方がストレスはないので、八大地獄はぶつくさと文句を垂れながら自ら収容されに行った。
「ふふ、俺ぁ許されたな」
藤堂は一人ニヤニヤしていたが、背後からロングマンがガスッと蹴って異空間の穴に入れた。八大地獄が影も形もなくなったところでラルフが口を開く。
「……これで蟠りは解消か?」
何が起こったのかいまいち分からなかった森王たちだったが、ラルフの言う通り確かに余計な心配ごとは一つ消えた。
「こっちは譲歩した。次はそっちの番じゃねぇか?」
図々しい言いようだが、森王は「良いだろう」と返答する。
「……だがここに居る以上は暴れてくれるなよ?」
「おう、もちろんだぜ」




