第三十六話 傍若無人-前
──悪は眠らない。じっと息を潜め、その時を待っている。
スカイ・ウォーカーの異変発覚より少し前。ロングマンは座禅を組んで目を瞑り、精神統一をしていた。静かで物音一つ無く、静寂が支配する部屋は彼の心を安寧へと導く。
キィ……
ドアの開く音。誰か入ってきたようだ。食器の類は持っていない、食事ではないだろう。ただの野次馬か、それとも聴取か。いずれにしても物好きなことだ。
ジャラッ……
金属の擦れる音。その音にカッと目を見開いた。目の前に佇む男がどうしてここに居るのかは定かではない。しかし誰なのかはハッキリと分かる。
「藤堂……源之助……!」
鎖に体を巻かれた小柄なおじさん。ボサボサで寝癖だらけの頭をそのままに、汚らしい姿でニヤニヤと笑っている。
「よぉ〜、何やってんのよぉ?捕まるなんて珍しいなぁ」
「放っておけ。炎熱さえあればお前を消し炭にするところだが、手元に無いのは残念だ」
「?……手元にあったとして、この魔障壁はどうするってんだぁ?」
「ふん、この程度なら真っ二つよ。それより何故ここに居る?……侵入したのか?それとも元からこの要塞に居たのか?」
「そりゃもちろん侵入よ。俺ぁ知り合いだけど別行動を取ってる身でねぇ。悪いとは思ったんだけど、必要あっから仕方なくなぁ……」
藤堂は近くに置いてあった椅子を手に取り、ロングマンと向かい合うように座った。
「にしても、何てぇか……思ったよか頼りねぇ連中だぜぇ。守護獣の一匹や二匹、ぱぱぁっとぶっ殺してくれると思ったんだがなぁ……人生、そう上手くはいかねぇってこったな」
「勝手なことをぬかすな。我らはお前の話に乗ってやっただけだ。あの犬を外に追いやっただけでも感謝してもらいたいところ……いや、感謝など不要。ここから出せ」
「出せっつったってなぁ……ここは俺ん家じゃねぇし?ラルフさんたちは恩人よ。あの人たちの家を壊すわけにはいかねぇ……」
ロングマンはスッと音もなく立ち上がる。一切無駄のない動きのせいで、胡座から直立までの動作が不自然にすら見えた。藤堂は驚きもなく、ぼんやり見上げる。
「藤堂、お前いつまで猫を被っているつもりだ?元の世界に戻るためなら、仲間を出し抜き、見捨て、殺しさえやったお前がだぞ?今更恩人だの何だのと……この世界の根底を揺るがせた、絶対なる意志力はどこに消え去ったのだ?原住民を切り捨てないで、元の世界に帰れると思っているのか?」
「……分かってねぇなぁ。ラルフさんが居なきゃ帰れねぇんだぜぇ?つまり仲間だっつー必要があるってこった。そんでラルフさんの元にいる神がケルベロスの主人。俺が殺したんじゃ敵対しちまうだろぅ?」
「ふっ……そうか。変わったと思ったが、外面だけだったようだ。お前はあの時から変わっていない。目的のためなら手段を選ばず、何者をも使い潰す」
「変わらねぇ人間なんて居ねぇさ。俺も少しは丸くなったんだぜ?ああ、見た目は変わらねぇけど……」
二人してくつくつと笑い合う。腹を割って話すなど、おおよそ千年以上前のことだ。笑い合うなど、それよりも十数年以上前に遡る。仲間だったことが懐かしく感じる。
二人でしばらく笑いあった後、ふとロングマンが話しかけた。
「……我に良い考えがある。この住処を破壊しても咎められず、我らが抜け出してもおかしくない状況を作り出せる」
「へぇ?そいつは面白いなぁ。どんな策か聞かせてもらおうか?」
ロングマンの策を聞いた藤堂は感心したように頷く。
「そりゃ確かに有耶無耶に出来るなぁ。でもそうなるとこの要塞を歩き回らなくちゃいけねぇなぁ……知ってんだろぅ?この要塞にはラルフさん以外に女や子供が住んでるんだ。俺ぁ見つかりたくねぇって前提を踏まえたら、無理筋だと思わねぇかい?」
「自慢の特異能力があるだろう?もし見つかるのなら、それはお前の落ち度だ。我らを利用したいなら少しは役に立て。我はここで待つ」
そう告げるや否や、ロングマンはまた座禅を組んだ。藤堂は後頭部をボリボリ掻きながら部屋を後にする。
「さてと、じゃあどっから探すかな?」
体をぐっと伸ばしながらキョロキョロと辺りを見渡す。
ヒタッ……
その音に気づいて肩を竦めた。これは足音だ。
(しまったぁ……)
まだ特異能力を発動させる前の出来事だったためにどうしようもなかった。肩越しに足音の正体を確認する。
「ウィー?」
そこに立っていたのは子ゴブリンのウィーだった。




