第三十五話 生殺与奪
ミーシャはゼアルの動向に気づき、ラルフに知らせようと口を開いた。
(遅い!!)
速度超過。それはイビルスレイヤーに備えられた最強のスキル。人智を超えた速度で敵を切り裂ける。
もちろん凄まじい力には欠点が存在する。それは人間の体では瞬きの間だけしか動くことが出来ないということ。
ゼアルは神に力を与えられ、肉体能力も飛躍的に向上したが、現在発動している特異能力”ジャッジメント”内ではそういった強化は全て制限されている。なので、昔からの使用方法よろしく、一瞬しか使うことが出来ない。
だがそれで良い。
ラルフが背中を見せた瞬間、口に咥えたイビルスレイヤーのスキルを発動する。ミーシャが名前を叫ぶより速く間合いを詰める。草臥れたハットを被る頭を胴体から切り離すこと、それだけがゼアルが目指すべき全て……。
ヒュンッ
「ラルフ……ッ!!……え?」
ミーシャが手を伸ばしたその瞬間、不思議なことが起こった。ラルフを今にも殺そうと迫っていたはずのゼアルは、スキル発動と同時に消えて無くなった。側から見てもよく分からないのに、周りから見た者たちなど意味不明だったろう。
「へへ、上手くいったか?」
ラルフが肩越しに後ろを見てニヤリと笑い、振り向いて屈みながら足下を見る。そこには大きな次元の穴が開いていた。
罠だった。ゼアルがスキルを発動する少し前、ラルフが背中を見せた時には既に仕掛けが完了していたのだ。少し注意すれば気づく程度の落とし穴。だがゼアルは冷静さを欠いていた。
一瞬の内に開けられた穴の存在に気付かぬまま、為す術もなく垂直に落ちていった。それもクイックアップで速くなった身で落ちていったので、誰も知覚することが出来なかったというオチだ。
「おーい!まだ元気かぁ?!」
ラルフは口に手を添えて、遠くのゼアルに声を届ける。
「チッ、本当に……なんて奴だ」
ゼアルは気が遠くなりながらも苛立ちを見せた。
「おい待てよ、何もしなきゃそんなことになってねーんだよ。いいか?油断した瞬間を狙うなんざ、裏社会じゃ日常茶飯事だ。何も策が無いまま隙を見せるかよ。少しは勉強して次に活かせ……って言いてぇとこだけど、そのままじゃ死んじまうもんなぁ……」
ラルフはキョロキョロと辺りを見渡す。
「あっ、おーい!マクマイン!」
気さくに声をかけたのは相手方の総大将。マクマインは血管が浮き出るほどの怒りに身を焦がしたが、ラルフはそのまま続ける。
「今からそっちにゼアルを落とすから、回復剤とかで回復してやれ」
「……何?」
マクマインは訝しむ。どういうわけか命を狙った相手を生きたまま返そうとしている。ゼアルなど殺す価値もないということなのだろうか。だとしたら傲慢極まりない。
そんな考えなど御構い無しにゼアルは空から降ってきた。今にも死にかけのゼアルを見てマクマインは感情を抑え込み、声を張り上げる。
「回復剤をここへ!!」
「はっ!」
すぐ側に控えていた部下が素早く動いてゼアルの治療を始める。出血多量によるショック症状が気絶を誘発していた。クイックアップの効果のせいで、かなり早く血を流してしまったようだ。回復剤のお陰で何とか一命を取り留めたが、死ななかったのは奇跡である。
『あっ!あれっ!!』
先ほどまで静観していたアシュタロトは突然大きな声で前方を指差した。
ゼアルの気絶で特異能力が切れたその場所にはラルフたち四人が立ち、先の戦いの反省会をしている風だった。アシュタロトが指摘したかったのは、ラルフの手には魔剣イビルスレイヤーが握られていたことだった。
「ラルフ!その魔剣は我が国の宝だぞ!貴様如きが握って良い剣ではない!!」
「ん?ああ、これ?何か危なそうだし、いつまでも付け狙われるのもアレだから、壊しちゃおっかなって……」
「ふざけるなっ!!この世に一本しかない貴重な魔剣なのだぞ!!貴様盗賊として恥ずかしくないのか!!」
「トレジャーハンターね。まぁ確かに宝ではあるけど、換金出来ねぇからなぁ……それにお咎め無しってわけにはいかねぇだろ?じゃ、こいつは俺たちに喧嘩を売った罰ってことで貰っていこう」
「それこそふざけるな!!返せ!!今すぐに!!」
「もー、ちゃんと大切に保管するって。どうせ魔剣は選ばれた者しか使えないし……」
「いや、返せ!!」
最強の魔剣イビルスレイヤー。今後絶対に必要になるのに、ここで取られるわけにはいかない。ゼアルの弱体化に繋がるどころか、人族の戦力を大きく損なうことになる。
ラルフと幼稚な言い合いを続けるマクマイン。その内、弛緩した空気が流れ始める。
『……これ、どうするにゃ?』
『えぇ?それ僕に聞くの?いつもみたいに突撃したらいいじゃん』
『うにゃぁ……それは……』
アルテミスは負けたことへのトラウマが原因で動けずにいた。既にミーシャの力は戻っているし、イミーナとベルフィアの存在も気掛かり。最も面倒なのはラルフだ。次元をどうにか出来るのはハッキリ言って面倒だ。アルテミスが渋っていると、夜の水平線に何かが見えた。
『ん?』
それは光の柱だ。ミーシャが何度か見せた、世界を照らすほどの魔力砲などによる柱ではない。遠すぎてよく見えないが、それは火柱のような揺らめく光に見えた。
『えっと……アレは、何にゃ?』
アルテミスだけが見ていた光の柱に徐々に注目が集まる。海に背を向けていたラルフたちが振り返り、全員の視線が同じ方向を向いた時、その答えがラルフの口からポロッと出た。
「なぁ……あれもしかして、スカイ・ウォーカーじゃねぇか?」
もしそうだとしたら……一大事だ。




