第十六話 内緒の話
「イミーナ殿、ちょっと宜しいかのぅ?」
イミーナは一人廊下を歩いていた時にアスロンに呼び止められた。
「……いつからそこに?」
確かに一人で歩いていた。すれ違ってもいないし、忍び寄られるようなヘマもしていない。魔王クラスの実力者でも知覚出来ない隠蔽スキルを持ち合わせているのかと考える。
「ん?ああ、儂はこの通りホログラムでのぅ。今ここに出現しただけじゃて」
この通りと言われても、ただ両手を広げるお爺さんにしか見えない。イミーナはアスロンを触ろうと手を伸ばす。しかし手は素通りする。ホログラムの意味する通り、ただの映像がそこにあるだけのようだ。
「ほう?良い度胸ですね。私を相手に映像のみを送るとは舐められたものです。……警戒せずとも私にはあなた方を傷つけることは出来ません。用があるのなら本体で来られてはどうでしょう?」
それだけ言うと踵を返して歩き去ろうとする。
「実は儂はこの世のものではない、と言ったら?」
その言葉に足を止める。アスロンは続ける。
「この姿こそが本体で、肉体は既に灰と化している。出来れば儂も皆と同じように食事をし、孫を抱きしめてやりたいが、それはもう叶わぬ。触れることが出来ないのなら、せめて孫を導く他、儂に出来ることはないと思っておるのじゃ」
イミーナは自嘲気味に笑うアスロンを肩越しに見る。何とも哀愁漂う表情にイミーナはため息をつく。
「……監獄とも呼べる薄汚れた建物で、ミーシャの下僕になるという屈辱に耐えながら、私が初めてやるのは死んだはずの老人の介護ですか……。全く、喜ばしいことですね。心がズシリと沈んで仕方がない。……それで?何の用でしょうか?」
「ここでは何じゃから、そこの部屋でどうですかな?」
アスロンが指差したのはすぐ側の部屋。
「ほう?他の方に聞かれて困ることでしょうか?俄然聞く気が出てきましたね」
イミーナは断ることなく指定された部屋に入る。居住スペースの一部屋で、特に変わった部屋ではない。
「……灰燼はどうしてこれほどまでに多くの部屋を作ったのでしょうね?部下も部屋を使うのはデュラハンとお婆さんだけだったのに……」
「記録によれば実験目当てに人族を住まわせていたこともあったようじゃ。魔族も同様にのぅ」
「ふーん、生活環境がいやに充実していると思えば……でもまぁ、彼らしいといえばらしいですね」
ミーシャが魔王になった日、円卓の席に見かけた死骸。偉そうに強者ぶって、一丁前にいちゃもんを付けてきたのを思い出す。
ミーシャの初めての任務「吸血鬼討伐」。初めてで不可能と呼べる嫌がらせの任務を押し付けたのも灰燼だった。特に問題なく完遂したミーシャは、黒雲から第二魔王の席を賜った。偏屈な灰燼ですら、苛立ちの中に賞賛の眼差しを向けていたのが印象的だった。
「それでは早速本題に移らせてもらおう。儂はそなたの魔法が知りたいのじゃ」
「魔法?なるほど……他に知りたいのは?私のスリーサイズですか?それとも性感帯?」
「……ご法度なのは重々承知じゃ。だが知らねばならん。たとえ不快に思われても、今後のためには進歩せねばならんのじゃ」
アスロンの顔は真剣そのもの。イミーナは困ったような顔で肩を竦める。
「死人にしては偉そうですね。しかしラルフの方が不快に思えるのは、あなたがマシなのか、それともラルフが特別うざいのか……。いずれにしても、魔法は私の生命線。アイデンティティを奪われるようなことは避けたいですね」
「儂は魔法省と呼ばれる場所で局長を担っておった。その気持ちは痛いほど分かる。しかしながら引き下がれん。これは全てアルルのためじゃ。もちろんタダで教えて欲しいとは言わん。そなたの欲するもの……魔法、知識、儂の経験と研究の中にあれば何でも授ける。そう、取引をしよう」
アスロンの覚悟を受け取ったイミーナは思わず笑った。
「ふふ……先ほどの不快感の答えが出ましたよ。答えは両方です。あなたの方がマシであり、またラルフの方が特別うざいようです。”朱い槍”の秘密……あなたに特別に教えて差し上げましょう」




