第十四話 深淵から滲みし者たち
ハーフリングの村はその日、突然やってきた訪問者に恐怖した。人族と魔族が足並みを揃えて村の一角を焼いたのだ。騒然とする村民に対し投げかけられた言葉は信じられない言葉だった。
「静まれっ!!」
刀を抜き払った男の怒号は焦るハーフリングたちの心身を萎縮させた。
「この村の近くに”還らずの洞窟”があると聞いたが、どこにあるか案内出来る者はいるか?」
その名を聞いて一瞬何のことかと不思議に思う。洞窟といえば”命要らずの深淵”を思い出した。「もしかしてあそこのことじゃないか?」と口々に囁き合う。怯えこそあったが、一体何のために危険な洞窟に用があるのかと興味が湧き、隠れていたハーフリングの子供達も顔を覗かせた。ここにいる誰もがその洞窟を知っているが、案内しようなどという恐れ知らずが現れるわけもない。
八大地獄の面々はだんまりを決め込むハーフリングの臆病な様子に顔を見合わせた。
「……ふむ、案内はしたくないか……?少し脅かすくらいでは足りないと見える」
二、三人切る必要があると感じたロングマンだったが、一人の子供が岩陰から飛び出した。「あっ!おいっ!」と大人が制止しようとするが、それ以上は出てこない。誰一人として入ってこなかった間合いに踏み込む少年に感心の眼差しで迎える。
「小僧、名は?」
「フィ、フィンレー……です」
体が震えているが、その真っ直ぐな目はロングマンという恐怖に真っ向から立ち向かう漢の目だった。殺されるかもしれないのに危険に飛び込む。蛮勇だが、この時ばかりは彼の行動に怪物の心は絆された。納刀し、腕を袖にしまう。
「面白い……お前の行動は愚かだが、我はお前を尊敬する。小僧、案内せよ」
「あっ、あのっ!」
その時、フィンレーの背後から白髪の老人が声をかけた。
「その子はまだほんの子供でございます。わしはこの村の長を担っている者。わしが案内をいたしますので、どうか……」
「我はフィンレーに案内を依頼した。お前の出る幕は無い……失せろ」
その目に確かな怒りがあった。横暴だが、老い先短い男が命惜しさに先ほどまで黙っていた事実に腹を立てている。フィンレーの覚悟に泥を塗るような登場に虫酸が走ったようだ。
長老はそれ以上言葉を出せず、黙って俯く。ハーフリングは小人であり、身体能力は他の種族と比べても低い。暴力にめっぽう弱い彼らが、腕力で脅されることに慣れていないのは無理からぬこと。長老だけに留まらず、フィンレーが真っ先に出ていかなければ、ハーフリングの半数以上が殺されていたのは間違いない。そう考えればフィンレーが特別勇敢だったことが彼らの命を拾う結果となった。
とはいえ、誰もついてこないと分かれば心細いのも事実。長老の提案はフィンレーにとって有り難かったが、ロングマンの突き放した態度に誰も頼れないことを知る。
「こっちです。ついて来てください」
こうなった以上、すぐに案内してしまおうと歩き出す。その判断はまたも当たっていた。ロングマンたちは意気揚々と歩き出す。ゾロゾロとついていく怪物たちの背中をただ呆然と見ていることしか、他のハーフリングたちには出来なかった。
「人間でも魔族でも無い者……あれはきっと”深淵から滲みし者たち”じゃ……」
この村には寓話がある。それは”命要らずの深淵”と呼ばれる洞窟から出てくる怪物たちの物語。
『来るぞ来るぞ、奴らは来るぞ。深い闇からやって来る。影のように黒く暗い。子供も大人もパクパク食べる。這いずり、滲んで、闇の底からやって来る。来るぞ来るぞ、奴らは来るぞ……』
童謡にして子供達に言って聞かせる。命要らず深淵に立ち入れば、もう二度と帰って来ることは出来ないと。ぐずる子供に歌で覚えさせる。怪我しないように、死なないように。
大人になるにつれて洞窟の中にいる独自の進化を遂げた魔獣たちが怖いだけで、洞窟からは出て来ることはないと、その内何も気にせず安心して暮らせるようになるのだが、今日ばかりは皆の心が一つになる。何もしていなくても脅威は突然降りかかって来ると。
フィンレーの案内は的確で正確、その上あっという間の到着だった。そこまで村から離れているということでもなかったが、微妙に覚えにくい位置にあったので、脅して良かったと思う反面、この程度のことを子供に率先してやらせたハーフリングに多少苛ついていた。
「こ、ここが命要らずの深淵です。あ!えっと……還らずの洞窟です……」
ロングマンが言ったことを否定しないように気を使うフィンレー。
「命要らずの深淵……か。奴め、適当なことを……まぁ良い。この洞窟の最奥にケルベロスが鎮座しているとのことだが、間違いないか?」
「く、詳しいことはちょっと……分かりませんが、聞いた話では古代種の一柱が居るっておじさんが……」
「お前の親族か?」
「いえ、トウドウおじさんです」
「……ふむ、なるほど彼奴は顔が広いな。こんな田舎にも出張っているとは恐れ入る」
鼻で笑いながら呆れたように洞窟を見る。ここまで来たからには、流石のティファルもテノスも覚悟を決める。ケルベロスにリベンジマッチを申し込むのだ。それも相手に気づかれずに唐突に。真っ向勝負による致命傷を避けるなら、背後からの奇襲。これに限る。
「ケルベロスか……地獄の門番を儂等が殺すことになろうとは何とも皮肉なものだのぅ」
「洒落が効いてる。俺はそう嫌いじゃないぜ?」
「ふっ、これこそが因果というものなのかもしれないな。地獄の門を開き、世界に終焉をもたらそう……」
地獄の門番と地獄の預かり人。
この二つの激突はもはや避けられない。




