第八話 無駄な抵抗
黄泉が先行で出した一つの提案に対し、ラルフの条件は既に三つ目に突入していた。
一つ、黒影の引き渡し。一つ、ミーシャと黄泉間での和平を結び、今後戦争に発展しないようにする。一つ、どうしても領空、領地、領海に難が無い限りは外への侵略行為は辞めること。万が一必要となった場合は一度ミーシャ側に相談し、判断を仰ぐこと。
「馬鹿な……それでは俺の立場が無いでは無いか?この際、和平を結ぶことに異論は無い、異論は無いが対等の関係を希望する」
「じゃあ協議という形は?それで決着を付けるのはどう?」
「……それに応える前にちょっとした質問だが、唯一王は魔族と人族の間に立とうというのか?魔族の生存圏の拡大を制止するということは、同時に人族の侵略行為を阻止する必要があると考えるが……つまりどちらからの攻撃も牽制し、平和に導けるというのか?」
ミーシャは面倒なことを聞かれたと眉を顰め、腕を組む。必ずしも平和に導けると豪語出来ない。何故ならどれほど王の威光を振りかざしても、隠れて行動をする者が現れてしまう。これは黄泉の方が良く知るところだろう。というのもつい先ほど部下が勝手にミーシャたちの迎撃を考えていた。
ミーシャにも思うところがある。断然イミーナの存在だ。勝手に動き回って内政を統治し、魔王を蔑ろにしていた。それはミーシャにとって助かっていたことだが、裏切られ、殺されかけたのは容認出来ない。好き勝手やったくせに円卓でその地位を確実なものにしていたのも止めることは出来なかった。
イミーナは蒼玉が裏で操っていたのだが、そういった裏の存在が争いを助長していれば、どれほど注意していても諍いは起こる。戦争とは往々にして小さな”いざこざ”の拡大である。そう言ったことを念頭に入れた上での平和を問うなら、簡単に肯定出来ないし出来る訳も無い。
「ちょっとした質問だって?おいおい笑えるなぁ。そんなの簡単に答えられることじゃないだろ?平和なんて水物だ。どれだけ気をつけても、どれだけ警戒しても無駄だぜ」
「ふっ……開き直りか?そんなことで条件が達成されると思っているのか?」
「曲解すんな。俺たちの条件は「このヲルト大陸から出たいなら俺たちを通せ」と言っているんだ。平和に導こうなんて鼻っから思ってねぇよ。そこは人族と魔族でよろしくやれとしか……」
「何?ではその条件を飲むことは出来ないぞ?」
ラルフと黄泉は睨み合う。途中から参加した黄泉の家臣がハラハラしながら固唾を呑んで見守る。怯えるのはミーシャやエレノアの力に対してだが、ラルフの一声で戦争に発展しないかと恐れているのだ。
「まったくぅ……揚げ足取りも良いところよねぇ。それじゃぁ私から良い?」
エレノアは前のめりに肘をついて不遜な態度を取る。
「これは例えばの話なんだけどねぇ。双方を平和にするっていうのを考えた場合、必要になってくるのは人と魔族が干渉しないことなのぉ。つまりは私たちが人と魔族の境界線に立って、近づく者たちを消滅、あるいは海洋生物の餌になってもらうことで、争いの火種を駆逐するってこと。領域の拡大を阻止することが目的となるからぁ、一切の抵抗も、一切の言い訳も聞かないことになるよねぇ。さらに遠距離による攻撃はどちらにとっても不利になるように双方滅亡してもらう。もちろんこの条件を飲んだヲルトから真っ先に消滅してもらうことになるけど、それは問題ないよね?」
「何だその極論は……?!」
「極論も何も、当然のことでしょう?争いが生まれる理由は、争いを生みたい側からのちょっかいなんだからそれを断つの。ちょっかいを掛けられなければ争いは生まれない。結果、平和。そして私たちに攻撃を仕掛けないことで平和が保たれるなら条件を飲まない手はないでしょう?」
「馬鹿な!そもそもお前の説明の中にあった「遠距離による攻撃」についてはこちら側が最も不利ではないか!!人間側が攻撃を仕掛けた場合であっても真っ先にこちらを滅ぼすなど、冷静に考えなくても頭がおかしい!!」
「頭がおかしいのはあなたよぉ。二つの種族が争っている現状、平和のみに舵を切った場合は、片方の種族を絶滅させる必要があるのは今の話で分かるでしょう?両側の平和となれば話は別。どちらも滅んでもらうのが手っ取り早いわぁ。ふふ……誰かに平和を委ねるということは、その誰かに命を預ける行為だと知りなさい」
「ぐっ……!」
黄泉は論破された。悔しいがその通りだと納得せざるを得ない。
(ん?おいおい、ちょっと待てよ。こいつ何がしたいんだ?)
ラルフは黄泉の発言に違和感を覚えた。交渉を提案した側が何も出来ずに一方的に口撃されている。何らかの切り札があるのではないかと条件を人族に有利なものに持っていったが、黄泉から出たのは曲解による論点ずらし。それもエレノアの極論で破綻する程度のゴミ手。
この攻防……いや、ラルフたちによる一方的な蹂躙から見えたのは、黄泉は出たとこ勝負を仕掛けているということだ。どうにかこの不利な状況を覆せないものかと苦心している。その姿はまるで一昔前のラルフそのものだった。
「……もう辞めよう黄泉。あんたにこの牙城を覆すことは出来ねぇぞ?」
「ぬっ……いや、そんなことは……」
しどろもどろになる黄泉。このことから察するに「国民を盾に取られたから仕方なく」と言った態度や「王としての気丈な振る舞い」は全てが単なる負け惜しみだったことが判明する。言葉の穴をついて、何とか自分のペースに持ち込もうとしたあたりは往生際の悪さが目立つ。
これがラルフであったなら、自分の命を優先し、隷属を願い出たに違いない。黄泉は王という立場から、国民を守る名目で対等の立場を保とうとしている。実に浅はかだ。浅はかだが、国民を助けようとする気持ちに偽りはなさそうだ。
「俺も言葉が過ぎたぜ。和平を結ぶ以上、伺いを立てろってのは無神経すぎた。ミーシャの言う通り、協議って形で落ち着かねぇか?」
「……」
答えは沈黙。しかしその態度が物語っている。黄泉は既に諦めたようだ。何を言おうがこちらの思うがまま。決着だ。
呆気ない幕切れだが、同時に当然だとも言える。ラルフの持つ戦力は世界最強。ラルフの生きてきた中でここ一年がピークであるが故に気づけなかった。どんな奴が相手であっても誰も交渉のテーブルにつけるはずがないと言うことに……。
ラルフはおもむろに立ち上がった。
「帰るぞ」
「え?何で?」
「話し合いは終わった。これ以上は無意味だ」
黄泉の弱点や癖、その他諸々の攻略法を考えてきたというのに、それを使うことなどない。黄泉は戦う前から負けている。
ラルフは踵を返した。異次元トンネルをこじ開け、引き取った黒影と共に浮遊要塞へと戻る。その光景を目の当たりにした家臣たちに戦慄が走った。転移阻害が通用しなかった事実、迎撃魔法の意味の無さ。罠を張ることの無意味さ。ただのヒューマンに何を手こずっているのかと苛立ちすら覚えていた家臣たちの目から戦意が喪失する。
後日届いたラルフからの書状は、和平やその他条件に逆らわないとする誓約書であった。黄泉は家臣たちの目の前でそれにサインすることになる。




