第五話 ワイルドカード
木々が鬱蒼と生い茂る大森林。昼でもジメジメして暗いこの森は”迷いの森”と呼ばれ、自然を愛する職業”レンジャー”でも避けると恐れられている。
実は迷いの森というほど複雑な地形では無い。悪党どもの塒として重宝していて、一般人を立ち入らさせないための方便として噂を流しているのだ。森案内や森の実りで生計を立てているレンジャーはもちろん、迷いの森の関係者全員がその事実を知っているので近寄ることはない。
「あー……」
腰掛けるのに丁度良い高さの岩に座り、木の葉の隙間から青空を痴呆のように見上げる軽戦士。顔に意味不明な模様の刺青を入れたこの男は”ブルータイガー”と呼ばれる野盗集団の一味である。
筋肉が盛り上がり、脂の乗った年頃の男の役割は警備。アジトとして使用している野営地に近付く敵を撹乱するのが役目だ。その間に何とか味方に敵襲を知らせて援軍を期待し、多勢に無勢で撃退する。そのはずなのだが……。
「おいコラッ!サボってんじゃねーよ!」
そこにいつの間にやって来たのか、顔中傷だらけのモヒカン男が叱責してきた。
「はいっ!!」
刺青男は背筋を伸ばしてサッと立ち上がる。それは授業中に眠りこけた生徒が寝ぼけてやるような仕草に見え、モヒカン男が苦笑する。
「はいっ!……じゃねーよ。最近平和だからって弛んでっぞ?」
「すんません!!」
直立不動で声を上げ、精一杯の謝罪で応えた。モヒカン男の隣には肩幅の広い剛毛男が腕を掻きながら欠伸をしている。二人一組の見回りだろう。見張りがサボっていないか確認がてら新人をイビっているのだ。
「でもオメーの言う通りだで。何だって最近はこうも何も無ーだ?」
剛毛男は首を傾げながら腕を組む。
「何も無ぇことはねーだろ。こいつ立たせてんのは何のためだ?ん?……イルレアンに向かった連中が壊滅したからだろうが!シャキッとしてろ新人!」
「はいっ!!すんません!!」
刺青男はモヒカン男から視線を外してさらに姿勢を正した。剛毛男はヒゲで痒くなった顎を掻きながら訝しそうに眉を歪める。
「でもよぉ、俺らがやったことは向こうに筒抜けだってのに全く攻めて来ねーべ?それに魔族だって最近飛んでねーべ?魔獣に気をつけてりゃ何ともねーってのは……初めてじゃねーか?」
「何だよそのことか?俺が聞いた話じゃ人も魔族も内ゲバが原因だって噂よ。大方、お上が難癖付けあって領土進行してんだろうぜ」
「へぇ、内ゲバ。けどよぉ、今まで特に何もなかったってのにおかしくねーだか?」
「しつけー奴だな。俺が何もかんも知ってると思うか?」
「あ、兄貴……兄貴!!」
「んだぁ?!うっせぇなぁ!!」
バッと顔を上げると、草木を挟んで10m程向かいに黒い鎧で身を包んだ青年が剣を抜いて立っているのに気づいた。
*
「……面白くなってきやがったな」
白髪の老人は肺から何とか絞り出したように掠れた、しかしハッキリとした声で向かいに座る屈強な男に笑いかけた。
「頭。そろそろ打って出る時と違いますか?」
しょぼくれて痩せ衰えた老人に敬意を払う千人長が一人、豪傑のブルーガー。昔はその腕を生まれ故郷のために振るったものだが、領主だけが肥え太る政策に耐えかねて何度も進言し、領主の機嫌を損ねた結果追い出された不運な男。
そんなヤサグレた彼を拾ったのが”ブルータイガー”を立ち上げた男、頭目キジョウ。肩甲骨まで伸びた白髪を結おうともせず、白いヒゲも腹まで伸ばしっぱなしにしている。老いさらばえたカサカサで皺だらけの燻んだ肌。いつ死んでもおかしく無いような雰囲気は妖怪を想起させる。
「バカ言うぜぇ……俺たちは何もせず、ただただ力を蓄えんだよ……」
「しかしですな……このまま放置していては我らの面子に関わります。せめてゼアルの小童には一泡吹かせたく……」
「……ぜってぇ動くな……お楽しみは、最後まで取っとかなきゃ駄目だぜ……」
納得行かないブルーガーの訝しむ顔にニヤニヤしながら口を開いた。
「魔族ってのは人の敵だ……言わんでも分かるだろうが、奴らがいるお陰で人は団結出来る。なら今のままの勢いで駆逐されて、居なくなっちまったらどうなる?」
「……次は野盗でしょうな」
「違う……いや、半分は当たってる。人同士の争いになるって点だけはな……今は小競り合い程度で済んでるもんが火を噴いて燃え上んのよ……裏で繋がってるっつーエルフ、ドワーフ、翼人族……その他大勢の人種に俺たちヒューマン。無駄に生きてる連中も含めて領土問題が起こり、大戦争に発展すんのよ……」
キジョウは魔族根絶の先にあるであろう争いの様相を幻視し、ニヤケ面を辞めようとはしない。ブルーガーは少々呆れた様子で目を伏せる。
「何故今まで手を取り合っていた連中が魔族が消えた途端に争いに?長い年月を掛け、そんなことを忘れた玄孫世代ならいざ知らず。……まぁ、その頃には我らはとうに他界していることでしょうな」
「……ただ放置してりゃそうなるわな。けどよ、俺らがちょいと掻き乱せば戦争は起こる。家に火を点けりゃ火事になるように、そこかしこで火種を蒔くのさ。そこに介入して大儲けよ。イルレアンに居た頃の上がりなんざ吹っ飛ぶくれぇのな……」
「流石はお頭!考えることが違いまさぁ!」
先程まで黙って聞いていた百人隊長を任される剃り込み男、カプランがここぞとばかりに横入りする。持ち上げられて嬉しくない訳では無いが、相手は”ゴマすりのカプラン”と呼ばれた男。おべっかは好かないキジョウは、ふんっと鼻で笑ってムッとする。
「……そうだろう?分かったならお前が全員に伝達しろ。もちろん俺が良いと言うまで暴れるなとだけな。企みって奴ぁどっから漏れるか分かったもんじゃ無ぇからよ……」
「え?あ、はい……」
面倒な仕事を押し付けられたカプランはデカい体を縮こませながら不服そうに返事をした。
「しかし……ラルフの野郎をあの時ぶっ殺さなくて良かったぜ……こんな機会が巡ってくるたぁ夢にも思わねぇ。お前のお陰だなぁ」
くつくつ笑ってブルーガーに感謝を送る。ブルーガーはその時のことを思い出して苦々しく口許を歪めた。
「いえ……あれほど情け無く、全てを曝け出してまで生き残ろうとする雑魚に辟易しただけです。宝を横取りされそうだってのに抗いもせず地べたに這いつくばって……殺す価値もないと一気に冷めましたからな……命令に背く行為でした。真摯に猛省しております」
「巡り巡って良い方向に進むものよ。ラルフのこともイルレアンのことも……部下は多少失ったが、利益は莫大。過去のことは水に流すべきだよなぁ……」
キジョウの機嫌はうなぎ登り。かつてイルレアン国を堕落させ、闇の首領として裏社会を牛耳っていた彼は、今またその地位に……いや、もっと大きく躍進しようとしている。裏社会を超えた先、裏世界の闇の権力者として……。
「流せぬ過去もあると言うものだ」
ブルーガーやカプラン、その他大勢の幹部の背後。キジョウにとっては正面から忌々しい声が響き渡った。声のする方に一斉に視線を向ける。
そこに居たのは口髭を立派に生やし綺麗に切りそろえ、肩幅が広くがっしりとした体格の偉丈夫。ジラル=H=マクマイン。イルレアン国の事実上の支配者であり、キジョウを追い出した張本人。
「……お、お前……なんで……?」
唇が震え、それくらいしか言葉が出ない。
「なんで?いや、違うな。貴様が真に言いたいのは「どうやってここまで気付かれずに来たのか」であろう?ふふ……答えは単純明快だ。部下を皆殺しにした。誰も報告出来ぬように一瞬で。洞窟の奥底で深淵を気取る無様な貴様らにちょっとしたサプライズを享受してやろうと考えてな……」
マクマインは敵の中枢にズカズカと入り込む。その背後から押し寄せるように騎士団が連なって来る。滲み出す膿のように静かに確実にこの場を掌握していく。
「っざけんなクソが!!」
眉毛を全部剃った男がマクマインに向かい、立ち上がりざまに忍ばせたナイフを突き出す。奇を衒った攻撃。常人であれば致命傷は免れない。
ゾンッ……
ナイフを握っていた手は腕ごと切り落とされる。何が起こったのか分からない眉無し男は、痛みより先に腕の行方が気になった。呆けた顔で辺りを見回す男の視界は何故か下に落ちていく。迫る地面に為す術もなく鼻から着地したが、痛がる様子は微塵もない。
当然だ。彼は既にこと切れている。突き出したナイフ持ちの手は宙空を彷徨い、切断された首は地面と正面衝突。他のパーツもマクマインを避けるようにバラバラに飛び散り、座っていたブルータイガーの幹部たちに降り注ぐ。
顔に血を浴びながらも瞬きせずにそれを見ていたブルーガーは戦慄を憶えた。
「……何が起こった?」
何も見えなかった。本来在るべき鋼の煌めきや、何か鋭利な物が通った残像が無かった。つまりはブルーガーの目では知覚出来ない何かが仲間を微塵に引き裂いたのだ。
そして、その何かの正体は魔断のゼアルであった。いつの間にいたのか、マクマインのすぐ後ろに控えているではないか。直接動きを見ていたわけではなかったが、この男以外に先の状況を再現出来る者など存在しまい。
すっかり怯えきった野盗の幹部たちは、マクマインの私兵に取り囲まれて身動きが取れない。
「……イルレアンから追い出しといてよぉ……まだ足りねぇか?」
「殺されなかっただけ有り難いと思え。……貴様ら全員いつでも壊滅させることは出来た。この場所は随分前から把握していたからな。それをしなかったのは、この組織を何とか使えないかと考えていたからだ」
「……お前まさか……」
「貴様の考える通りだ。ブルータイガーは今日から私が頭領だ、逆らう者は処刑する」
マクマインは澄ました顔でキジョウを見下す。ゴミを見るような目はこの後の惨劇を予想させる。そう、頭領は二人といらないのだから。
「手始めに……ゼアル、そこの男を殺せ」
指を差した先にいたのはブルーガー。突然のことに目を白黒させる。真っ先に殺される理由を聞くために口を開いたが、直後にゼアルの剣はブルーガーの首を刎ねていた。屈強な武人で鳴らしていた男の最期はあっけないものだった。
「な……何で、そいつを?」
真っ先に死ぬと思っていたキジョウは困惑気味に尋ねる。マクマインはふんっと鼻を鳴らして怒り交じりに呟く。
「……こいつのせいで色々と面倒な目に遭ってきたのかと頭に来てな……要は私怨だ」
そして興味を無くしたように顔から感情が抜け落ちると幹部たちを見渡す。全員目を伏せて嵐が過ぎ去るのを待っていた。
「此奴らの沙汰は追って下す、引っ立てろ」
「「「はっ!」」」
兵士たちは幹部連中の脇に手を差し入れ、一気に立たせるとすぐに出て行く。然しものキジョウも為す術なく連れて行かれた。ガランとして広いばかりの空間。マクマインとゼアルの二人だけとなったこの場に小さな女の子が姿を現した。
『順調?』
「恙無くな。貴様らのお陰でゼアルの力も更に向上した。よもや一人で野盗を殺しきるとは……ふふ……これでようやく我らの悲願も達成されよう」
マクマインはニヤリと笑う。神々が力を集結させて得た最強の力。ゼアルは遂に世界最強の候補へと躍り出る。
「必ずやミーシャを亡き者とし、この世界に秩序と平和を取り戻します。この力と、そして新たな能力と共に……」




