第二十三話 記憶の共有
「これが記憶の中か?真っ暗だ……」
ラルフはどこかで見たことがある闇の世界の中、虚空に投げかけた。すると反響するように白絶の声がどこからか聞こえてくる。
『……正確には無意識領域と呼ばれる場所だよ……誰しも夢を見るように……ここには何かしらの具象が存在する……。しかし今のミーシャには何もないようだ……僕が一度この無意識内に侵入した時は草原だったのに……』
「へぇ……これが今のミーシャの心の内って訳か」
虚無。昔のミーシャにあった草原とは即ちペルタルク丘陵の美しい風景だろう。あそこはミーシャにとっての心安らぐ風景だったに違いない。
「それで?俺をここに連れて来て何をさせたい?単純に記憶を流し込むだけだと思ってたんだが?」
『……うん……僕にとってもそれが楽なんだけど……そういう訳にはいかない……彼女の心には鍵が掛かっていて……ただ流すだけでは響かない……』
「ってことは俺が鍵を開けられるってのか?でも心の解錠なんて魔法使いでもない俺には縁のない話だけどなぁ……」
『……僕はその専門だよ……あの時……外界との接続を切っていたにも関わらず……この子は君の声にのみ反応した……錠前が変わっていないなら……君で解錠出来るはず……』
ラルフは肩を竦めてため息をつく。
「そうかい。それじゃ手っ取り早く終わらせよう。で?何処に行けば良いんだ?」
『……そのままで良いよ……じっとしてて……』
白絶の言うことに従い、動くことなく待っているとふわふわと光る綿毛が複数迫ってきた。触れるとたんぽぽの綿毛のように小さく解けて散っていく。神秘的で綺麗な様子にラルフも魅了される。
自然と綻ぶ顔をそのままにキョロキョロと見渡す。ぼうっと浮かび上がる小さな塊に注目した。目を細くしながらよく見ると、少女が体育座りしている。
「あれは……ミーシャの子供の頃の姿か?」
『……多分……』
「おいおい、色々分かっているんじゃねーのかよ……」
『……この姿は初めて見たよ……君が来たことによる限定解除か……それとも記憶を消されたことによる扉の消失か……何にせよこのミーシャこそが心の核だと思う……』
「つまりこいつに俺の記憶を見せるわけだな?どうしたら良い?触れんのか?」
『……ああ……記憶を流し込むにはそれが良い……手でも肩でも頭でも……触れやすいところに触れてくれ……』
「分かった」
ラルフはミーシャに近づく。その目は虚ろで、こちらを見ていない。これだけ近くにいて気付いていない。確かにこんな状態では目の前で映像を流しても意味はないだろう。ラルフはおもむろにミーシャの目線まで屈む。
「……ミーシャ」
言葉を発するがやはり反応はない。前に洗脳され掛けた時は反応していただけに不安が過ぎる。このまま触れても治ることがなく、最後の手段に手を染めなければならないのだろうか。
(いや、俺は間違っちゃいない)
自分を奮い立たせていざ手を出す。記憶を流し込むならやはり頭から直接が良いのではないだろうか?そう思うのと同時に頭に触れた。
ズッ……
記憶の共有。それはラルフの記憶を一方的に流すだけではない。二人の間でパイプを繋ぐということは、ミーシャの記憶が流れ込んでくることに他ならない。
ラルフは見た。彼女の嘆きを。彼女の悲哀を。彼女の孤独を。生きるためにしてきた所業、悪行、罪。ここ数年なんて記憶じゃない。生きてきた記憶がそっくり入ってくる。
ミーシャは世界最強。それに疑いはない。しかし生まれた時から最強でも結構苦労しているんだと改めて思い知らされる。
そして突然、雑で断片的な映像が頭の中を駆け巡る。テレビの砂嵐に混じったような映像に不安を掻き立てられたが、ここが記憶の改竄が行われている問題の箇所なのだと気付いて眉を顰めた。完全な抹消には至っていない。いや、巻き戻されたのは事実だろうが、肉体以外の部分で残された何かが記憶として形状を保っているのだ。
(この部分を俺の記憶で補完する。俺の見ている世界がミーシャに流れ込む。ん?ってことは自分を第三者視点で見ることになっちまうけど、それは大丈夫なんだろうか?)
自分と思しき女性が喜怒哀楽を見せる。変にゴチャゴチャになったりしないだろうか?出来るだけ同じ時間を過ごしてきたから、砂嵐の部分をミーシャ自身で「確かこうだったような気がする」と構成する程度に考えてくれればと思う。そこでこの作戦の欠点に気づいた。
(え?待って……これ、もしかして俺の恥ずかしい部分……もしかして全部……)
それはそうだ。ミーシャの恥部もラルフに筒抜けである以上、自分の記憶で良い部分だけを切り取ってなど出来ようはずもなく……。それに気づいた時、ミーシャの最後の記憶である「やっぱ洗脳するんじゃんっ!!」の言葉が頭に響き渡った。
「は……白絶!ちょ……待っ……!!」
ラルフが何とか止めたくて目を開いた時、ミーシャと目が合った。
虚空を見つめて意識のなかった彼女はもう居ない。子供の頃の彼女ももう居ない。そこにはいつものミーシャがラルフを不思議そうに見つめているだけだった。
『……何……?……何か言った……?』
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
パチパチと目を瞬かせる。
記憶の共有。記憶の構成。その全ての統合。ラルフと白絶に出来たことは共有のみ。構成と統合の全てをミーシャに任せるこの作戦は今更ながら穴しかない。
記憶を元の姿に戻すことはハッキリ言って不可能だ。そして仮に戻せたとして、今のミーシャが元に戻したいと思うかには疑問が残る。全てを洗脳のせいにして「だからどうした?」とぶん投げることだって出来るのだ。
だからこそ聞かねばならない。彼女が今何を選び、どうするのかを。
「えっと……ミーシャ。俺のことが分かるか?」
ラルフは恐る恐るミーシャに尋ねる。この作戦が最善であったことを信じて。
そんなビクビクしたラルフの声音にミーシャは口を開いた……。




