第十一話 崩れる
「なんだ!?空が……!!」
すっかり日の暮れた空が明るく照らし出された。目がつぶれるほどの光が遠い戦場で輝いていた。何が起こったのか分からず、アルパザの戦闘は敵味方関係なく呆気に取られた。万が一、今攻撃でもされれば深手を負う事も考えられるが、どうでもいいくらいに注視してしまった。
あの空で行われていた戦闘。どちらかの勝敗が決した破滅の光だ。どちらも味方が敗れれば死が確定する。
アルパザ陣営はミーシャを攻撃の要とした守りの戦争。
魔族陣営は全てを破壊する攻めの戦争。
どちらもミーシャの死が絶対視される状況である。その為、特に顕著に心配したのがラルフとベルフィアだ。今一番きついところで戦っているのが最強とはいえ一対軍。多数などという表現では生ぬるいほど厳しい状況である。とはいえ、すぐに立ち直ったのもラルフとベルフィアだった。
ミーシャは不意打ちでやられはしたが、それは”古代種”との戦いで疲弊したのが大きいし、”鏖”の逸話を知っていれば、あの大群が屁でもない事ぐらい予想出来る。ベルフィアはミーシャに限って敗北はあり得ない、とそれほどまでに信頼していた。
問題は人間であるラルフ。魔族に名指しで命を狙われているという”白の騎士団”でもない限り、ありえなそうな状況がラルフの立ち直りを加速させた。相手はちょっとした因縁のある人狼、ジュリア。ベルフィアに比べたら怖くはないが、強さは折り紙つき。手を振り払う程度で人の腕を折る事が出来る(経験済み)。
その上、ラルフには傷をつけられない程、実力と身体の出来に雲泥の差がある。さらに、守衛の連中も騎士団も歯が立たない。団長をぶつければ、あの高速の斬撃で倒せるだろうが、警戒心から寄って来やしない。考えるまでもなく団長他、守衛と騎士団の壁を超えられたら為す術がない。正に膠着状態。だがその時、
ドギャッ
「グァッ!!」
ベルフィアとジャックスの戦いが動く。一瞬気を取られてしまったジャックスに、ベルフィアが攻撃を仕掛けたのだ。ベルフィアの振り抜いた右拳はジャックスの防御した左腕を骨折させ、後方に吹き飛んでいた。
本来、受け流すべき渾身の一撃を、繊細なコントロールが間に合わずに受け止めた結果、へし折れる事態となった。戦闘中に余所見をしていた不甲斐なさと言えるが、早めに復帰し攻撃に転じれた精神の強さが攻防の勝敗を分けるきっかけとなった。
「余所見は行かんノぅ。余裕を見せられル状況でも無かろうに……おやおや、左腕は大丈夫かえ?妾はぬしが心配でタまらぬ……ふふふ」
わざとらしくジャックスを煽るベルフィア。この一見余裕そうに見えるベルフィアだが、あの一撃を防いだジャックスに内心驚いていた。完全に虚を突いた攻撃だったと認識していたが、攻撃の軌道上に左腕が滑り込んできたのだ。無意識の内に防御に転じられるほどの練度。
ベルフィアは知る由もないが、モンクの中でも達人と呼ばれるレベルの経験によるスキル”無拍子”がジャックスには備わっている。戦闘中に何のリソースも割かずに行動できる”無拍子”。体に蓄積された経験は嘘をつかない。知っていたとして、この人狼が、まさか使えるとは夢にも思わなかっただろう。
「グッ……クソッ!」
どれだけそのスキルが凄いと言っても傷は傷、左手を庇うように、半身になって隠す。
「まだやルノか?しょうノない…諦めて首を差し出せば、苦しめず逝かせてやルノに……」
「フゥゥッ……情ケ無用」
一撃で済むと思ったが、そういうわけにはいかなかった。しかしようやく手応えがあったのだ、このチャンスをモノにすれば勝てる。
「馬鹿ナ……兄サンガ……」
ジュリアもそのベルフィアの不意打ちに気付いて、敵に向き直る。モンクの中でも練度の高い兄が傷つけられるのは、随分久しぶりの事だ。そしてあれだけのダメージは初めてだった。ジュリアは気を引き締め直す。どんな相手であれ油断は禁物だ。
兄の心配はしているが、助けるなど言語道断。兄の邪魔になるし、任務にない事はしてはいけない。もうすぐ”稲妻”が姿を現す。実際には既に来ても、おかしくなかったが”竜巻”が遅れている可能性も考慮すれば魔王を相手取って死闘を繰り広げた事だろう。
あの光は十中八九”稲妻”の「落雷」だと思われる。あれを使用したのであればただでは済まない。楽観論ではなく、その威力を目の当たりにした事があるからこその純粋な評価であり、”稲妻”という英雄に対する信用、信頼でもある。一気に勝負に出るべきか思案し始めた頃。
「どぅおりゃあぁぁぁっ!!」
守衛のリーダーが斧をまたしても横凪ぎに振るう。ジュリアは斧の軌道に合わせ、潜るように紙一重で避けると踏み込もうとする。
「せいっ!」
しかし、斧は突如軌道を変えさらに襲ってくる。リーダーは掛け声だけ勇ましく、斧を振るったが次の手に移れるよう加減していたようだ。元戦士だというが現役並みの実力で、その豪腕も衰えることなく凄まじい。踏み込んだ足を狙い、完璧に合わせてきた攻撃。そのはずが、ジュリアは飛ぶ事で回避に成功する。
斧は地面に刺さり、リーダーは無防備となる。空中で旋回するジュリア。体を捻りながら空中にいる様は、この後の展開を予想させる。旋風脚だ。万が一この人狼の蹴りを食らえば、死ぬ可能性が高い。さらに、今この段階で避ける事は不可能。斧を手放し、蹴りの軌道に両腕を出す。そして案の定、右回し蹴りが飛んでくる。
ガギッ
一応、着けていた手甲の形が変わるほどの一撃。金属を曲げ、ビギギという音が体の中で響き渡る。両腕の骨にヒビが入る音だ。蹴りの勢いが凄まじく、踏ん張っていた両足の地面が抉れて後退を余儀なくされる。1m下がった所で停止し、片膝をついて痛みを堪える。
「セッカチネ、少シ待ッタラドウナノ?」
「かっ……!ぐっ……お前……女だったのか?……驚きだな」
ジュリアはムカッと来る。種族毎に性別は分かりにくい事もあるが、自分は見たら分かるだろう。出るとこ出てるし、引っ込む所は努力している。女の肢体を目の前にしてなんという失礼な男か。
「オ前ノ目ハ節穴ダナ。コレデモ アタシハ、美人ト評判ナノダケド?」
「へぇ……マジ?価値観の違いってやつだな……俺ならもっとマシなのを押すね……」
戦士の誇りか、はたまた人間の意地か。傷ついた身で、それでも尚、煽る姿勢は「お前には屈しない」という精一杯の負け惜しみだ。ジュリアは足元に刺さっていた斧を取り上げ、その手で弄ぶ。中々に良い代物だ。戦斧という戦士特有の、両手持ちの斧で重量も去ることながら、破壊力も段違いの武器だ。軽々と持ち上げてしまう人狼の筋力は脅威と言う他ない。
「そいつは……俺の自慢の武器でね……返してもらえるとありがたいが……」
腕の痛みを堪えつつ言葉を発する。予想外のダメージだったろうし、万が一斧を返してもらっても振るうのは難しい。目の前で苦しむリーダーを前にジュリアは斧を振り上げる。
「ソンナニ大切ナラ、モウ離レナイ様ニ、体ノ一部ニシテアゲルワ」
ヤバい死ぬ。周りの部下の他、騎士の面々もリーダーの死を直感し、動こうとするが間に合うわけがない。そこにひとつの小さな影がジュリアに一直線に飛んできた。その影は、リーダーの顔のすぐ横を掠め、ジュリアの腹部に当たる。
「ウッ!?」
それはラルフの使用する投げナイフ。距離はかなりあったが、上手い事当ててきた。刺さりはしなかったが、小突かれた様なダメージとなる。痛みより不意をつかれた驚きが、ジュリアの体を一瞬膠着させる。リーダーはその隙を見逃す事なくその場から急いで逃げる。
「っぶねー……助かったぜ!ラルフ!」
リーダーはお礼を言いつつ回復に入る。部下達に守られながら回復アイテムを取り出す。魔族との戦いにおいて一発でひっくり返される事が多々ある現状、回復アイテムは戦場において必須。この戦いにおいてもぬかりはない。
「油断すんなよな!アイツは人狼の中でも強い!牽制しつつ余裕をもって戦うべきだ!」
ラルフがリーダーに対して言葉を発する。雑魚の中でも戦闘に長けた人間を仕留められる寸前に邪魔が入る。そしてその邪魔な奴はラルフ。
「コノ……羽虫ガ!」
斧をラルフに向かって放り投げる。戦斧を投擲武器にするなど魔族くらいだろう。その強肩により放られた斧は弧を描きながら確実にラルフに向かって来る。当たり所が悪ければ死ぬ。だが、ラルフの強固な壁を打ち砕くにはこの程度では足らない。
シャリンッ
妙な音だった。完璧な軌道が斜めに外された時、この音は鳴り響いた。ラルフに迫った斧の刃に剣の切っ先を当て、勢いに逆らわずあの速度の中、徐々に力の向きを変え、受け流した。ゼアル団長はいつの間にかラルフの前に壁となって立ち塞がっていた。
「おいおい、助けてくれたのか?あんたに助けられるなんてな……ありがとよ。」
「勘違いするな、奴等に勝たせたくないだけだ。この勝利は一分の隙もなく人類の勝利で決着させる」
団長は剣を振ってラルフを見ずに答える。
「カァ!!」
牙を剥き出しにして怒りにまみれる。目が赤く染まり、スキル”血走った目”を団長に向けるが簡単に抵抗されてしまい、何事もない顔で冷ややかにジュリアを見ていた。
「そのスキルは格下相手のモノだろう。私を前にして使用するとは、実力差も見えぬほど戦闘経験が浅いか、あるいは単なる愚か者か……」
剣を構えつつ前に進む。部下達は前を開け、団長の行く手を阻まない。ジュリアの眼前に立って戦闘時の突きの構えで相対する。避けられぬ戦い。ここまで挑発されて逃げるのは性格的に難しい。しかし、ジュリアはジャックスと消滅させられた仲間達の事を思い出して意地を捨てる。
あの武器を軽々と防ぎ、兄が危険視する相手となれば自分の力を過信した所で埋められる理はない。ラルフは思い通りに行った事に内心満足する。このカードは願ってもない事だ。自分が動かなければまだ睨み合っていた事だろう。ヘイトをこちらに向けるだけでよかった。まさか団長が身を挺して守って、無傷でここまで運ぶとは夢にも思わなかったが、いずれにしろこれで戦況は変わる。
バジィッ
その時、結界に亀裂が走った。どこかに攻撃を加えられたのだ。今ここに相当量の兵士がいる。他に守備を振る前に人狼に邪魔された為、少数の騎士しか四隅を守っていない事に今更気付く。
「しまった!結界が!!」
リーダーが大声で叫ぶと、結界に大きな裂け目が出来る。まだ三つは無事だが、町の入り口左側が破られた。敵に侵入を許した事が人の心をかき乱す。この屈強な男たちも恐怖を抑えられず誰からか分からないが小さな悲鳴が洩れる。そしてそれは力の持たぬもの全員の総意でもあった。
「おい……そんな嘘だろ?」
ラルフは飛来する敵を視認して絶句した。