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第五十話 やがて訪れる幸せのために

「なっ……ミ、ミーシャ……?」


 蒼玉はミーシャとアルテミスを引き連れて城に返り咲いた。蒼玉の若々しく美しかった体は(やつ)れたように細くなっていた。

 それにも増して驚いたのはやはりミーシャの存在だろう。敵対していて今にも攻撃しそうだった彼女は鳴りを潜め、豪華な室内に当然のように立っていた。

 マクマインもアトムも、アシュタロトさえもその姿に驚愕を隠せない。


「ん?何だイミーナ。何を驚いている?」


「え?は?」


 困惑から蒼玉を見る。その気持ちの所在に心当たりがあったミーシャは、イミーナを安心させようと率先して口を開いた。


「案ずるな、私は正気に戻った。ラルフ……奴に操られていた時を戻す。取り敢えずグラジャラクに戻って対策を……」


「グラジャラクは滅びました」


 蒼玉の言葉を聞いて、ミーシャはスッと目を瞑る。


「まさかとは思うが、それも?」


「はい。ラルフ一行の所業。一部ミーシャ様も関わっておいでです」


「……一行、か。ここに来る時に見た連中と私が自国を滅亡に追いやったと……?洗脳がこれほど恐ろしいものだとは思いもよらなかったな……。あ、そうだ。イミーナ」


「は、はい!」


 イミーナはビクッとして慌てて返事をする。


「そう怖がるな、私は敵じゃない。私が不在の間、グラジャラクを守ってくれていたんだろう?ありがとう。お前には苦労をかけてばっかりだな」


 久し振りに見た慈愛ある表情。その顔を見た途端、イミーナの心には殺意が湧き上がる。

 蒼玉の言動とその見た目から、特異能力を使用し、痩せさらばえたことはすぐに理解出来た。

 ミーシャの何も知らない様子を見るに、少しの間しか時を戻せないと言っていたのは虚偽だったことが割れた。

 多分ミーシャはあの一件、古代竜(エンシェントドラゴン)懐柔の仕事以前に記憶を戻されている。イミーナに対する心からの信頼が透けて見えたからだ。

 全てを忘れたのであれば朱い槍の威力も忘れているということ。今ここで放てば殺せる。今度こそ抜かりなくそれを成せるだけの場が整っているのも大きい。アトムもアルテミスも加勢してくれるはずだから。

 だが、それを蒼玉が許すはずもない。この女はとうとうミーシャをモノにしたのだ。ラルフの手から取り返し、グラジャラクも住むところも失くしたミーシャの拠り所は蒼玉の住まいだけ。

 手に入らないのであれば殺してしまおうとした女の顔は消え、心からの喜びが満面の笑みにつながっている。


 ミーシャの抹殺。マクマインはこんな蒼玉を無視してでもきっと賛成してくれるが、機を待たねばまた失敗する。今度は蒼玉が全力で阻止してくることが容易に想像出来た。

 様々な葛藤が渦巻き、舌打ちや奥歯を噛み締めたい気持ち全てを堪えて、イミーナはミーシャの前に(ひざまず)く。


「……良くお戻りになられました。魔王様」


「全く……ミーシャだ。何度言っても直らないな」


「はい。ミーシャ様」


 イミーナの顔に張り付いた笑顔は、傍から見れば気味が悪かった。

 ミーシャは満足げに頷くとマクマインを見た。


「そこのヒューマン。蒼玉から話は聞いている。ラルフのことで色々頭を悩ませていたようだが、もう心配はいらない。私が消し炭にした」


「は?消しず……み?貴様が奴を葬ったというのか?」


「そうだ。今後は奴の仲間を討伐するのに人間の力も借りようと蒼玉から進言があった。お前は有能らしいな。期待している」


 ポカーンとしてミーシャを見るマクマイン。ミーシャは何の返事もないこの男が本当に有能なのかと頭を捻った。蒼玉の采配に文句を言うつもりもないので、ほっといて踵を返した。


「どちらへ?」


「服を着替えたい。汚れてしまっているし窮屈だ。何か動きやすい服を用意してくれないか?」


「かしこまりました。こちらへ」


「うん」


 ミーシャはそれだけ言って出て行く。蒼玉の甲斐甲斐しさはミーシャのメイドに転向したのではないかと思わせる。魔王とは思えないほどの見事な接客ぶりだった。

 ミーシャと蒼玉が出て行ってしばらく沈黙が支配していたが、マクマインの吹き出した声にイミーナたちは怪訝な顔をした。


「うははははっ!はーっはっはっはっ!!滑稽だっ!!素晴らしいほどに滑稽だっ!!」


 マクマインは腹の底から笑った。まるで全てが丸く収まったような快活な笑いだが、マクマインの最終目標はミーシャの抹殺。この目標が達成されるまでは解放されることはないはずだが、今そんなことはどうでも良かった。ラルフがミーシャの手で殺されたことが楽しくて仕方がなかった。


『……ようやく死んだか』


 アトムもホッと胸を撫で下ろす。自分で殺したかったのは山々だが、息の根を止められるなら誰でも良かった。とにかくラルフが死んだことが重要なのだ。


「それだけではない!奴は自分の最も信頼するあの女に殺されたのだ!さぞ悔しかったに違いないっ!さぞ無念だったに違いないっ!!はははっ!バカがっ!(みなごろし)を助けるからこうなるのだ!ラルフの絶望した顔が目に浮かぶ!!愉悦っ!!これが愉悦と言うものかっ!?」


 今まで張り詰めていたものが全て解き放たれたようなマクマインの顔は溶けて消えるのではないかと思えるほどにだらしなく緩んでいた。既に他界した両親も見たことがないであろう狂気にまみれた顔は戦慄すら覚える。


『そんなことなかったにゃ』


 そんなマクマインにアルテミスは空気を読まずに冷や水をぶっかける。あれだけ笑っていたマクマインはピタッと笑いを止めると下から睨めつけるようにアルテミスを見る。


「……何だと?何がそんなことが無かったのか聞かせてもらおうか?」


『絶望なんてしていなかったにゃ。絶対に死なないと思ってた顔にゃ、あれは』


 アルテミスはラルフの死に際の顔を思い出しながら答える。


「エフッ!?」


 咳と吹き出すのが混じった声はやはりマクマインが出した。


「ククク……つまり奴はあの女に殺されるはずないからとタカを括って死んだと言うのか?もっと滑稽ではないかっ!!最高だっ!!生涯の笑いのネタが出来た!一生思い出し笑いで苦労せんぞ!」


 マクマインはこめかみに血管を浮かせながら腹を抱えて笑う。笑い死にするのではないかとさえ思える姿に、アシュタロトは冷めた目でマクマインを見ていた。



 蒼玉に案内された部屋に入ったミーシャは、泊まりがけで来た時によく通されたお気に入りの部屋であることに気づく。よく手入れされて埃一つなく、庭の景色も荘厳と呼べる最も美しい部屋。ここで食べるこの国のおやつは格別で、蒼玉と会話しながら食べるのが好きだった。

 そう言う細かなことをよく覚えているのに、半年以上の記憶がすっぽり抜け落ちていると言う事実に歯噛みした。

 ラルフ。ミーシャを操り、故郷を破壊し、お気に入りの国ペルタルク丘陵にも大損害を与えた最悪の人物。

 どういう経緯で操られたのか。何故接近を許したのか。何故人族にも魔族にも与せず、第三勢力として世界を混乱させたのか。ラルフという人物像が見えてこない。ただ、消滅させたあの男の顔を思い出す度に胸が締め付けられる。


「ラルフ……ラルフ……ラルフ……!」


 もう思い出したくない。もう消えて欲しい。そう思えば思うほどにハットを被り直した彼の顔が鮮明に蘇る。

 もう死んだ。もう消した。跡形もなくこの世から居なくなった。

 ミーシャの魔力砲は無情で無常で無上だ。殺せないものなどあんまり居ない。そうだ。ミーシャはラルフを殺したのだ。

 きっと洗脳されていた期間が長かったからこんな風に思うのだ。今後は気を付けねばいけない。弱そうな奴でも近づかせてはいけないのだ。


「……そうよこの服のせいよ。もう脱ぎ捨てよう。私を取り戻すのよ」


 ミーシャは独り言を呟きながら自分に言い聞かせる。こんな気持ちにさせたラルフを恨みながら服を脱ぎ始めた。


「……?」


 胸元に光る指輪。チェーンに通された飾り気のないシンプルな指輪。イヤリングもピアスもネックレスも指輪も、ブレスレットもアンクレットも王冠にも興味がないミーシャは、何故こんなものが自分の首に下がっているのか意味が分からなかった。

 これももしかしたらラルフの持ち物だったかもしれない。ミーシャに付けることでこの人形は俺のものだと主張していた可能性すらある。


「こんなもの!」


 グアッと指輪を握りしめて右手を持ち上げたが、叩きつけることはついに出来なかった。何故なら込み上げてくる涙を抑えられなかったから。

 しゃくり上げて息すらまともに出来ない程に詰まらせ、その度に流れ出る涙。何が悲しいのか。何が心を突き動かすのか。

 現れたのは一度も見たことがないはずの光景。

 ラルフが焚き火の側に座っている、ただそれだけの光景。

 信じたくない。人間にこれほどの情念を湧き上がらせる自分が滑稽でならない。


 やったのは自分だ。辞めなかったのも自分だ。


 彼女は膝から崩れ落ちその場でサメザメと泣き始めた。ただそこに寄り添ってくれる者は誰一人居なかった。



「着替えましたか?」


 丁度茶菓子を持ってきた蒼玉と鉢合わせする。


「ああ、助かった」


 蒼玉が用意したのはミーシャが着たらきっと似合うのだろうと用意した白のワンピースだ。いつもより着心地の良いこの服にミーシャは満足していた。


「おや?その指輪……」


 蒼玉はミーシャの右手薬指に嵌った飾り気のないシンプルな指輪を発見する。


「ああ……似合う?」


 どうして付けているのか、どこにあったのか、何で突然……聞きたいことは山ほどあった。アクセサリーならそれこそ山のように用意する。もっと似合うものもきっとある。しかし蒼玉はそんな無粋な言葉を全て飲み込んだ。


「ええ、とてもお似合いですよ」


「そう?」


 二人は笑いあった。

 蒼玉はこの笑顔を見るためにここまで頑張ったのだと心に言い聞かせた。

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