第四十六話 昇華
「良イカ ジュリア。”疾風怒濤”ハ我等モンクノ技ヲ限界マデ引キ出シタ時、ヨウヤクソノ真価ヲ発揮スル。謂ワバ奥義ト言ッテ過言デハ無イ」
兄ジャックスとの稽古の最中、家族なのだから技を教えて欲しいと懇願した時に出た言葉だった。要約すると「お前にはまだ早い」だ。
「基本ガ大事ダ。聞イタ事無イカ?心、技、体ノ融合。精神ヲ鍛エ、技ヲ磨キ、肉体ヲ作ル。ジュリア、オ前ハ何デモ急ギ過ギル。コレハ持論ダガ、成果ッテ奴ハ足ガ遅イ。追イ付クノニ何年ッテ期間ヲ要スル事ガアルンダ。エット……ツマリハ、今出来ル技ヲ極メロ。ソレガ例エ鈍重ナ一歩デモ、諦メズニ前ニ進メ。成果ハ後カラ追イツイテ来ル」
兄は笑うことのない顔を無理やり歪めて笑顔を作った。
「俺ハイツデモ応援シテイルカラ」
兄のぎこちない笑顔は怖くて見ていられなかったが、兄の出来る精一杯の鼓舞だと思えば受け入れられた。
(成果ハ足ガ遅イ?フフッ……クサイヨ、兄サン……)
フッと笑顔を見せる。親を早くに亡くしたジュリアにとって兄は親代わりであった。自分も辛いだろうにそれをジュリアには見せることなく、体も心も強く育てられた。もし両親が、片親だけでも生きていたら、ここまでの力は手に入れられなかったかもしれない。
兄妹の絆と逆境が生んだ奇跡だ。それが役に立っているかは別にして。
今は故郷も失くしてラルフたちと放浪の旅。正直、この旅に加わったとてジュリアに出来ることは少なかった。相手が悪すぎる。ジュリアの立ち位置はどこまで行っても中級魔族止まりであり、魔王と戦えるかと言われれば首を横に振る。自分でも情けないとは思い、密かに鍛えていた。能力を十全に出し切るこの時のために……。
「ふむ……見た目によらず技がある。単調な攻撃では効果がなさそうじゃのぅ」
トドットは警戒レベルを一段階上げる。遊んでいては勝てない。
バッと手を広げ、ジュリアと違う方向に手を翳した。その方向の先に杖が転がっていて、トドットの行動と共に飛ぶ。まるで磁石に惹きつけられた金属のように杖がサッと手に収まると、ブンッと杖を振り回した。
(!?……シマッタ!)
魔法の増幅装置と言われる魔法の杖。魔法使いは素手でも魔法を使うことが出来るが、杖を用いた魔法は強大である。単純な魔法強化、冷却時間の短縮、杖自体に込められた魔法と自分の魔法発動による連続攻撃など攻撃の幅が広がる。接近戦しかないジュリアにとってはトドットの更なる強化は好ましくない。
「ふははっ血の気が引いたか?だがおぬしの想像以上の危機が迫っていることを認識すべきじゃな。様子見なんぞせずに一気に決めねばならんということじゃて」
杖をジュリアに向ける。
「等活よ「反転」させよ」
キィンッ……
杖の先端についている宝石が光り輝く。だが特に何かが起こったわけではない。拍子抜けと言える状況だったが、トドットが別の魔法を唱え始めた時に先の魔法の意味を知る。
ジュリアがトドットの魔法を止めるために走ろうと右手を振り上げた。
「……エ?」
ジュリアは確かに左足で踏み出したはずだった。でも動いたのは右手。他にも全身の動きに違和感がある。自分が動かそうとする部位全てが逆というか、頭が混乱して動くことが出来ない。
等活。この杖は魔法の強化はもちろん、それ以外の能力で認識や感覚を狂わせる力を持っている。この力は範囲魔法であり、大人数でこそ本領を発揮する。敵味方関係なく魔法を解除するまで効果は続く。故にチームの面々から苦情が殺到し、腐らせていた。
単体に使うのは気が乗らなかったが、ジュリアの一筋縄ではいかない空気感がトドットのやる気を引っ張り出した。
「これで終わりじゃ、ファイアーボール」
それはバスケットボールくらいの火球。発射されて当たるまで時間がかかるあまり速くないこの攻撃は、ジュリアにとっては鼻で笑う程度の魔法。但し、通常の感覚を用いた場合の想定であり、今の状態では如何しようもない。
ボッ
飛んできた魔法に為す術なし。隠れる場所、避ける空間、弾く力、どれもあってどれも無い。
ジュリアは覚悟を決めたように目を閉じる。
(諦めたのぅ……)
トドットに残念な気持ちが湧き上がる。最後まで争う姿勢を見せて考え抜いた末に食らって欲しい。無様に動いてどうしようもない苦しみに苛まれ、最後に間に合わずに当たる姿こそ望んでいる理想の形だ。早々に諦められてはつまらない。
火球が迫り来る。トドットは冷ややかな目で見守り、ジュリアはピタッと止まって動けない。もう1mも無い。
クワッ
ジュリアは目を見開いて火球に当たる直前に屈むことに成功する。
「ぬっ!?避けおっただと!!」
ありえない。いや、屈む程度なら時間をかければどこを動かせば良いかに気づけるだろうが、ここまで切羽詰まった現状で見抜くなどありえない。偶々力が入らなくなって避けられたという強運の持ち主かもしれないが、それにしてはその眼光は強すぎた。まるで全てを理解したかのような煌めきはトドットをして恐怖足らしめる。
『ソレガ例エ鈍重ナ一歩デモ、諦メズニ前ニ進メ。成果ハ後カラ追イツイテ来ル』
(ウン……ヤット追イツイタヨ。兄サン)
心、技、体。
仲間が死に、兄が死んで心が壊れかけた。常に冷静を意識して慌てないことを心に誓い、モンクの精神安定を可能とするスキル”不屈”を鍛えて”心頭滅却”の頂に立つ。技を磨き、基本の型を完全習得し、自分なりに応用できるレベルにまで昇華させた。どんな時でも何を考えていても完璧に体勢を整える術を独自に編み出し、体の扱い方を学んだ。
ジュリアは人知れず達人の領域にまで自身を強化させている。その成長は著しいものの、自分ではあまり変わっていないと落ち込んだりしていた。しかしここにきて確信する。ジュリアは遂に兄の領域に足を踏み入れたのだと。
「チッ……油断してしもうたのぅ。じゃが!!」
杖を前に構えて次なる魔法を放つ。
「全てを巻き込め”ブロークン・テンペスト”」
ゴォッ
凄まじい突風がジュリアに吹き荒ぶ。大気を巻き込んだ風の渦がまるで突撃槍のような形を持ってジュリアを貫こうと襲う。巻き込まれれば挽肉は免れない。
向かい風の中、ジュリアは走る。猛烈な風に抵抗する獣。その姿は荒々しくも美しかった。
「電光石火ッ!!」
シュンッ
ジュリアの体は消えるほど早く動く。兄が生きていた時は下位の”疾風”しか使えなかったが、ここ数ヶ月のうちに飛躍的に成長していた。風の刃を回り込み、トドットに近く。強力な魔法を用いたためか、冷却時間がトドットの体を鈍らせる。これが感覚を狂わされた者の動きだというのだから驚異的という他ない。
「なっ!?」
魔法一つ一つは確かに強力だ。だがトドットは所詮魔法使い。攻撃魔法を避けられ、接近戦を許す事態となれば不利になるのは当然の理。本来格下のはずのジュリアにここまで追い詰められた事態に混乱する。彼の肉体が強化に次ぐ強化を行われていなかったらここで終わっていた。
ジュリアの接近に後方ジャンプで距離を取る。仕切り直しとまではいかないが、魔法が使えるようになるまでの時間稼ぎにはなった。もし感覚を狂わせていなかったらどうなっていたことか。
二人は拮抗している。この均衡が崩れる時、どちらかが死に、どちらかが生き残る。
二人の勝負の世界に引き分けはありえない。




