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第四十話 危険域に突入

 ゾクッ……


 突如訪れる寒気。気温の変化ではない、もっと何か別の……心臓を掴まれたような根源的な恐怖。刃を突きつけられたような悪寒。

 円卓の場で銀爪に怒ったミーシャが撒き散らしていた殺気に似ていた。


『終幕だな』


 アトムは目を閉じてため息をつく。その言葉に真っ先に反応したのがイミーナだったが、黙っているように命じられた口は開けることが出来ない。モゴモゴしたあと諦めて椅子に座り直す。


「終幕、でございますか……確かに現状をひっくり返す手立てがありませんし……」


 蒼玉は神の顕現にかなり期待を寄せていた。アトムも蒼玉にとっては高位の存在に違いないが、自ら体を創造したアルテミスの方が更に上の存在だと認識していたからである。

 紐解いてみればアルテミスは正直頭が足りない。言い包められやすく単純で感情的。自ら創造した体の年齢に引っ張られているのではないかと疑ってしまう。

 今だってミーシャが殺気を撒き散らしている。勝ち目は皆無。それが蒼玉の出した答えだった。


『いや、アルテミスが手ずから戦うことを決めたようだ。この殺気……粘性があって纏わり付く気持ち悪い殺気はアルテミスのもので間違いない』


「そんなまさか……言ってはなんですが、あの御方からこの様な気が放てるとは夢にも思いませんよ?」


『普段の奴は馬鹿を装っているが、戦闘の時は雰囲気が一変する。一度見れば印象が変わる。……行かぬ方が賢明だがな』


 フッと笑って昔を懐かしむアトム。

 その言いようにマクマインの眉が動いた。


『心配?』


 マクマインの隣に座る幼女が足をプラプラさせながら質問する。


『アシュタロト……貴様今更何しに……!』


 アトムもその存在に気づいて口を挟むが、アシュタロトが口元に人差し指を持ってきたことで睨めつけるように黙った。マクマインはそれを確認し、アシュタロトに向き直る。


「貴様は出てくる気はないかと思っていたがな……今の話で私に忠告があるのか?」


『流石僕が見込んだ男!話が早い!……アルテミスが暴れ出したら手がつけられない。君ご自慢のゼアルを呼び戻した方が良いと僕は思うんだけどなぁ』


 アシュタロトは唇を尖らせながらゼアルを呼び戻すように伝えた。


「貴様が強化したゼアルも危険だと、そう言いたいのか?」


『危険はどんなものにも付き物さ。ただ、神様を相手にするとはどういうことかをその身に知ることになるだろうね』


 覗き込むように見上げる目は、いつもの陽気さが消えた光のない深淵と呼ぶべき瞳。その目に恐怖を感じないこともないが、若干興奮していた。それは性癖であるとか目覚めたとかではなく、神殺しというワードが浮かんできたことに起因する。

 複数いると言われる神たち。そんな神を殺すことが出来るなら、いったいこの世界は誰のものになるのか?所有権は誰に移譲されるのか?神が消滅したと同時に世界の崩壊か、または何もなくあり続けるのか?気になることが浮かんでは消えていく。

 ふと返事がまだだったことに気づく。不敬な考えをしていたことがバレたら何を言われるか、何を命じられるか分かったものではない。綺麗に切り揃えた口髭を撫でながら考えるふりをする。


「……いや、ゼアルは呼び戻さん。今私の警護に当たっている者たちを、かの戦場に差し向ければ二度と戻っては来まい。ゼアルに接触すら出来ずに死んでしまっては無駄死にというレベルでは片付かんからな」


『とかなんとか言ってアルテミスとどっちが強いのか戦わせてみたいだけでしょ?それこそ無駄な戦いだよ。ここにいる兵士の何兆倍も価値があるっていうのに。あ、ごめんね』


 警護に当たる兵に軽く謝罪を入れる。深く傷ついた兵士たちだったが、公爵と対等に話してアトムを黙らせる少女に何か言えるわけもなく、身じろぎ一つしないようにただじっと前を向いていた。


「職務中だ。彼らに声をかけるな」


『はーい』


 マクマインに注意されたアルテミスは面白くなさそうに抜けた返事をした。こうしてみると娘か孫娘のような感じがしてくる。

 その会話を黙って聞いていた蒼玉はニヤリと笑った。


「これは面白い。期待が胸にふつふつと湧いてくるというものです。ふむ、これを機に私も動きましょう。こちらのことをお願いしてもよろしいでしょうか?」


 その目はイミーナに向いていた。イミーナは口が動かせない代わりにぺこりと頭を下げる。


「……アトム様。そろそろ彼女を許してくださいませんか?これでは不便でいけません」


『ん?……そう、であったな』


 すっかり忘れていたようだ。『喋って良い』とイミーナの口を解放した。パッと快活に口が開け閉め出来るようになり、ようやくホッとするイミーナ。


「……感謝いたします」


 複雑な気持ちからでた苦く重苦しい言葉は蒼玉とアトムに発された。アトムが口を塞いだ張本人ではあるが、感謝の一つも言っておかないと今後もっと面倒なことになりそうだと判断したためだ。アトムは鷹揚に頷いた。イミーナの判断は正しかった。


「それより、貴様が行ってどうなる?このままアルテミス頼りでも利がありそうだが?」


「マクマイン。あなたは何も分かっていない。私が今動こうとした苦悩を……これだけはしたくなかった最終手段を……」


 スッと自分の手のひらを見る。自分がこれからすることに対して自分を納得させる、ある種儀式のような時間。蒼玉はそっと手を握ると、目を瞑って二秒後に目を開けた。


「これは形勢逆転の一手。これで全てが変わる」


「ほぅ……随分な自信だな。この絶望的な戦況を打開出来るなど考えられん。お手並み拝見といこう」


 マクマインがほくそ笑みながら蒼玉を見つめる。そんなマクマインの熱い視線を蒼玉の顔と交互に見ながらアトムが口を挟む。


『それは私のセリフだマクマイン。口が滑らかなのは結構なことだが、私のセリフまで全部持っていくのは許さん』


 アトムのわがまま。変なところで変なこだわりが出た。

 マクマインはため息をつきたい気持ちをぐっとこらえて「失礼した」と一言謝って黙った。



「ん?」


 ラルフは上空に居座るアルテミスに目を向けた。そこで一緒に話しているサトリの姿も確認できる。


(あれ?あいつ体は持ってなかったんじゃ……ははーん、今作ったな?そんな芸当が出来るんなら、ミーシャと離れてた時に部屋に来てくれれば良かったのに……いや、これだけ躱されているなら俺に脈なしってことだろう。悲しいがこれが現実……って、だったらなんで俺の中にわざわざいるんだよ!)


 一人心の中でツッコミを入れながら、ふたりを眺めていた。サトリは説得しているのか、それとも挑発しているのか。サトリのことだからどっちもやったのではないだろうか?などと詮無いことを思っていると、急に体全身にさぶいぼが立つ。

 ゾゾゾゾ……っと悪寒が全身を駆け巡り、途端に居心地が悪くなった。ミーシャはバッと上を見た。その目はアルテミスを注視している。


「……やっぱあいつか?」


「うん」


「面倒だな。八大地獄とも決着がつきそうだってのに……」


 チラッと周りを見渡すと皆この気に当てられてか、戦いを中断してアルテミスに目を向けている。

 アルテミスはバッと手を広げ、何かを手招きするように動かした。やって来たのは黒い鞭と金属の塊、そして槍だ。


「魔道具が集まってる?」


 ブレイドは第二地獄”黒縄”、第四地獄”叫喚”、第五地獄”大叫”だと気づく。そんな武器を一箇所に集めて何をしようというのか?

 アルテミスはおもむろにそれを掴む。右手に鞭、左手に槍、そして変形型魔道具は背中に羽のような形でくっついた。


『しょくーん!うちはアルテミスだにゃ!今からうちに逆らうものすべてを蹂躙していくにゃ!抵抗せずに地面に蹲ってたら何もしないにゃ!!』


 突然何を言い出したのだと疑問符だらけの戦場と化す。腕に自信のあるものたちにとって、鼻で笑うような提案である。その意味を知るロングマンたちも蹲ったりはしない。例えこれから起こることに自分たちが巻き込まれようとも、絶対に無様な格好はしないという明確な意思が感じ取れる。

 誰もがその言葉の意味を理解しようと頭を捻る中にあってサッと蹲る男がいた。ラルフだ。自分を狙わないでくださいという明確な意思を感じる。


『いや、お前はダメにゃ!逃げられるわけ無いにゃろ?!』


 ラルフはせっかく蹲ったというのに何にもならなかった状況にため息をついた。


「駄目か……」


 内心分かっていた。どうせ狙いはラルフ()なのだと。


「大丈夫。ラルフは私が守るから」


 ミーシャはラルフを守るために位置取りをする。


 世界最強の魔族vs神。

 またも天変地異同士が争うこととなった。


 その中心に座するラルフ。イメージ的には座らされていると言った方が自然。


「……ったく勘弁してくれよな。俺、マジになんかやっちまったのかよ?」


 ラルフの中で謎は深まるばかりだった。

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